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アサホコ
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■アサホコ■シンザンが恐れた馬
アサホコ、牡、鹿毛、日本生産、日本調教
生没年月日・1960年6月27日−1973年
父ヒカルメイジ 母アサヒロ
生産者・盛田牧場  馬主・手塚榮一
調教師・藤本冨良(東京)  主戦騎手・加賀武見
競走成績・50戦12勝(12−12−5−21) 主な勝利・天皇賞・春
■コメント
アサホコは、1960年に青森県の盛田牧場で生まれました。

1965年の天皇賞・春の勝ち馬。

同年の重賞5勝は、当時の中央競馬記録。

下級クラスで走った時期が長く、「晩成の名馬」の1頭とされます。

出世が遅かったですが、1965年春に充実、重賞5連勝で天皇賞・春を制覇、天皇賞・春後にアサホコは調子を落とし連敗、秋にはワシントンD.C.インターナショナルに日本代表で推薦されますが出走できず、しばらく休養、その後は1966年にオープン2連勝の後、アルゼンチンジョッキークラブカップ2着を最後に引退しました。

1965年の天皇賞・春の戦前は、3冠馬・シンザンとの対決が注目されましたが、シンザンは体調不良を理由に、出走を回避し、アサホコとの対決は実現しませんでした。

天皇賞・春は、不良馬場の中で、アサホコがブルタカチホに7馬身差で圧勝、重馬場を苦にしたといわれるシンザンだけに、もし出走できていても、苦戦は必至でした。

シンザンがアサホコとの対決を避けたともいわれ、アサホコは「
シンザンが恐れた馬」ともいわれます。

シンザンは、ほとんどの強敵に勝利していますが、アサホコとだけは対決の機会がありませんでした。

最初はほとんど藤本勝彦騎手が騎乗しましたが、充実してからはほとんど加賀武見騎手が騎乗しています。


□アサホコを知るおすすめ作品

■履歴
▼デビュー前(と血統)
アサホコは、前述のように、青森県の盛田牧場で生まれます。

父ヒカルメイジ母アサヒロ(父月友)という血統です。

父ヒカルメイジは日本ダービーを勝った馬で後に種牡馬としても活躍、母アサヒロは現役時代「ミスアサヒロ」の競走名で中央競馬、地方競馬(南関東)で重賞を勝っています

母と同じく手塚榮一氏の持ち馬で、藤本富良厩舎に入ります。

▼現役時代
▽3歳
デビューは、1962年7月の福島のオープンで5着。

デビュー戦の後、2連敗で、このシーズンは終了。

▽4歳
1963年も敗戦からスタートしますが、続く未勝利で勝ちます。

その後3連敗。

40万下を勝ち、2勝目を挙げると、10連敗。

続く80万下を勝つと、4連敗。

続く中山特別を勝って、シーズンを終了します。

▽5歳
1964年は、14連敗からスタート。

14連敗目は天皇賞・秋7着でしたが、暮れの180万下を勝ち、このシーズンを終えます。

▽6歳
1965年は年明けに、金杯・東を勝つと、アメリカジョッキーズクラブカップ、京王杯スプリングハンデ、スワンステークスと連勝し、天皇賞・春に臨みます。

天皇賞・春で、ブルタカチホに7馬身差で圧勝します。

しかし、その後に調子を落とし、オープン2着、日本経済賞5着。

秋にワシントンD.C.インターナショナルに出走する予定が出走できず休養、このシーズンは終了します。

▽7歳
1966年春に復帰し、オープンを連勝しますが、アルゼンチンジョッキークラブカップ2着で現役を引退します。


競走成績・・・・・
3歳 オープン5着、オープン2着、未勝利4着
4歳 未勝利2着、未勝利1着、椿賞10着、4歳特別10着、4歳特別8着、40万下1着、4歳特別4着、特ハン3着、千葉4歳S7着、吾妻賞6着、80万下2着、河北新報杯2着、みちのくS3着、府中特別2着、多摩特別7着、仲秋H6着、80万下1着、白菊賞7着、多摩H11着、120万下4着、120万下3着、中山特別1着
5歳 オープン2着、中日杯7着、中京記念4着、オープン2着、日本経済賞8着、民放杯3着、民友C3着、河北新報杯2着、福島記念7着、日本中央競馬会創立10周年記念5着、オクトーバーH6着、仲秋H2着、目黒記念2着、天皇賞・秋7着、180万下1着
6歳 金杯・東1着、アメリカJCC1着、京王杯スプリングC1着、スワンS1着、天皇賞・春1着、オープン2着、日本経済賞5着
7歳 オープン1着、オープン1着、アルゼンチンJCC2着

現役引退後
現役引退後は、種牡馬になりますが、目立った産駒はなく、1972年に種牡馬を引退。

翌1973年に病気で死亡しています。

死亡月日、死因などは不明です。

■シンザンが恐れた馬
シンザンの担当厩務員だった中尾謙太郎氏は、後に1965年の天皇賞・春を回想し、「(シンザンが)5歳(旧表記、現在の4歳)の春の天皇賞を使えなかったのは、シンザンにとって幸運だったと思います。

あの頃のアサホコの強さは絶好調のシンザンでも五分だったと思いますよ」と述べ、対戦を回避したことは「シンザンの持って生まれた運の強さ」だと語っています。

アサホコは「
シンザンが恐れた馬」ともいわれています。

アサホコがシンザンに勝っていたとまではいいませんが、重馬場を苦にしたといわれるシンザンが、1965年の天皇賞・春に出走していれば、当日は不良馬場だったこともあり、シンザンの苦戦は必至だったといわれます。


□アサホコを知るおすすめ作品

■5代血統図
Rock Sand5×5
ヒカルメイジ

1954 黒鹿毛
Bois Roussel

1922 鹿毛
Vatout
Plucky Liege
*イサベリーン
Isabelline

1924 栗毛
Canon Law
Legai Tender
アサヒロ

1950 鹿毛
月友

1935 栗毛
Man o’war
*星友
Ima Baby
昇嶋

1940 黒鹿毛
*ダイオライト
Diolite
鶴嶋

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