江藤槙一 |
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■江藤槙一■野球選手■ON時代に2年連続首位打者 右投右打 身長178センチ、体重80キロ 1937年10月5日−2008年2月28日 江藤槙一(えとう・しんいち)は、ON時代に2年連続首位打者を獲得し、パ・リーグでも首位打者となり、プロ野球史上初の両リーグ首位打者を獲得 ■履歴 ▼プロ入り前 日鉄二瀬時代に社会人野球で活躍し、1959年に強肩・強打の捕手として中日に入団 ▼プロ 入団後は、一塁手に転向 1959年の1年目は、全130試合に出場(うち125試合が一塁手)し、守備は上手くなかったが打撃では、打率2割8分1厘、15本塁打、84打点の好成績 (新人王は、31本塁打で本塁打王の桑田武) 1961年は、外野手を兼ね、初の20本塁打 961年から打撃成績は年々上がり、1964年、1965年は2年連続首位打者 1964年は、王貞治の3冠が期待される中で本塁打王と打点王は、王がトップを独走したため、江藤との首位打者争いに注目されるが、「絶対、首位打者は渡さない」と江藤が執念を燃やし、首位打者 翌1965年の江藤は、ケガでデビュー以来の連続試合出場がストップするが、この年も王の3冠の期待の中で執念を見せ、2年連続首位打者 ON(王貞治、長嶋茂雄)が揃って現役だった1959年から1974年の16年間で、打撃タイトルを2年連続でON以外が獲得したのは江藤のみ 1970年は構想から外れ、引退に追い込まれるが、ロッテで現役復帰する ロッテ監督に、日鉄二瀬時代の監督・濃人渉が就任したためで、ロッテに移籍 途中加入ながら、リーグ優勝に貢献、日本シリーズでは巨人に敗れるもシリーズでも本塁打を打っている 1971年に一塁手に定着し、首位打者 史上初のセ・パ両リーグでの首位打者獲得 (後に、内川聖一もセ・パ両リーグ首位打者を獲得) 1972年に大洋へ移籍 1975年に太平洋にプレーイングマネージャーとして移籍 監督を解任され、翌1976年にロッテに復帰 しかし、シーズン途中に現役引退 闘将といわれ、闘志あふれるプレーが特色 ▼現役引退後 引退後は解説者や野球指導などをした 2008年に死去、80歳没 2010年に野球殿堂入り(日本) 打撃成績・・・ 18年、打率2割8分7厘、367本塁打、1189打点 首位打者3回 最高出塁率1回 ベストナイン6回 オールスターゲームMVP2回(1965年第3戦、1968年第1戦) 野球殿堂入り(日本)(2010年) 監督成績・・・ 1年、58勝62敗10分、勝率4割8分3厘 |
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榎本喜八 |