羽黒山政司 |
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■羽黒山政司■横綱在位12年の鉄人 (RANKING 17位) |
羽黒山政司(はぐろやま まさじ) |
本名・小林 政司〜出身地・新潟県〜身長179cm、体重139kg |
生没年月日・1914年11月18日−昭和1969年10月14日 |
最高位・横綱 |
■コメント |
羽黒山政司(はぐろやま・まさじ)は、双葉山定次時代の後に第一人者となった横綱です。 優勝は7回ですが、長く上に双葉山がおり、同部屋であったこと(直接対決がなかったのはよくもあり悪くもありで全盛期に双葉山の存在があり優勝同点の場合は双葉山の時代は優勝決定戦がなく上位優勝の制度があった)、アキレス腱断裂などでかなり損をしており、かなりの強豪横綱としての評価も・・・ 数字以上に評価されるべき横綱かもしれません。 ▼履歴 ▽入門まで 羽黒山政治司は、1914年11月18日に新潟県で生まれ、銭湯で三助をやっていたおりにスカウトされ、最初は断ったものの、最終的には立浪部屋に入門します。 ▽ケガと不屈の精神 双葉山より若干後輩であったものの、双葉山とほぼ同時代で、しかも2度にわたるアキレス腱断裂があったものの、不屈の精神で長く横綱として存在し37歳2ヶ月の高齢で最後の優勝をしています。 ▽現役時代 1934年に初土俵を踏むと、序の口から幕下まで全て1場所で通過し、関取として十両も1場所で通過する驚くべきスピード出世をし、1937年5月に新入幕、入幕後もスピード出世で1939年5月場所後に大関に昇進、1941年5月場所で初優勝すると、翌場所に横綱へ・・・ 特に戦後は双葉山引退の後、第一人者となり、その後優勝から遠ざかった時期もありましたが、前述のように、1952年1月に37歳2ヶ月の高齢で最後の優勝をします。 1953年9月に現役引退。 スピード昇進と長期横綱在位(在位12年3ヶ月、年2場所がほとんどだった時代に在位30場所)の二つの記録を持つ稀有の横綱でした。 ▽現役引退後 年寄・立浪として相撲界の隆盛に貢献、協会の取締役・理事も務めた。 1969年10月14日に死去。享年54歳。 ▽不知火型と長期横綱在位 羽黒山は、横綱土俵入りが不知火型で、「不知火型の横綱は短命」と一般的にいわれるなか「長期横綱在位」でした。 ▽双葉山の存在 「羽黒山は双葉山がいなければもっと強烈な一時代を築いていた」ともいわれますが、双葉山に鍛えられ成長できた側面もあり、評価の分かれるところです。 またアキレス腱断裂がなければ、双葉山に遜色のない記録を残せたかもとの意見も・・・。 容姿や相撲ぶり、土俵入りなどから「剛」の強い力士で、双葉山の「柔」に対し、羽黒山の「剛」といわれた 戦時下などで活躍した4横綱の戦いの軌跡を収録した大相撲名力士風雲録風雲録25−月刊DVDマガジン 羽黒山、安藝ノ海、照国、前田山 それぞれの個性が光る4横綱 ▼ライバル ライバルとしては照国万蔵を挙げます。 (対戦成績は羽黒山から見たものです) 照国万蔵 秋田県出身、身長173cm、体重161kg 幕内通算成績 31場所 271勝94敗74休 勝率7割4分9厘 優勝2回 金星1個 最高位・横綱 アンコ型の巨体を生かしたリズミルな相撲を取りました 照国万蔵についての更なる詳細は、個性派力士内の照国万蔵を参照 対戦成績 8勝6敗 ●●○○○○○○○●●●●○ |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
昭和12(1937)年5月 | 西前16 | 9勝4敗 | ●○●○○○○○○●○●○ | ||
昭和13(1938)年1月 | 東前6 | 10勝3敗 | ○●●●○○○○○○○○○ | ||
昭和13(1938)年5月 | 東小結 | 7勝6敗 | ○●●○●●○●○○○○● | ||
昭和14(1939)年1月 | 東小結 | 8勝4敗1分 | ●●○○○○○○○●●○分 | ||
昭和14(1939)年5月 | 東関脇 | 11勝4敗 | ●●○○○○●○○○●○○○○ | ||
昭和15(1940)年1月 | 東大関 | 11勝4敗 | ○○○○○●●○○○●●○○○ | ||
昭和15(1940)年5月 | 東大関 | 7勝5敗3休 | ○○●○○●○○●●○■休休休 | ||
昭和16(1941)年1月 | 西大関 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○○○●○○○ | 同 | |
昭和16(1941)年5月 | 西大関 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○○●○○○○ | 1 | |
昭和17(1942)年1月 | 東張横 | 13勝2敗 | ○○●○○○○○○○○●○○○ | ||
昭和17(1942)年5月 | 東張横 | 2勝4敗9休 | ●○○●●■休休休休休休休休休 | ||
昭和18(1943)年1月 | 西張横 | 13勝2敗 | ○○○○○○○○○○○○●○● | ||
昭和18(1943)年5月 | 東張横 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○○○○○●○ | ||
昭和19(1944)年1月 | 西張横 | 12勝3敗 | ○●○○○○○○●○○○○○● | ||
昭和19(1944)年5月 | 東横綱 | 10勝 | ○○○○○○○○○○ | 2 | |
昭和19(1944)年11月 | 東横綱 | 7勝3敗 | ○○●○○○○○●● | ||
昭和20(1945)年6月 | 西横綱 | 5勝2敗 | ●○○○●○○ | ||
昭和201945)年11月 | 西横綱 | 10勝 | ○○○○○○○○○○ | 3 | |
昭和21(1946)年11月 | 西横綱 | 13勝 | ○○○○○○○○○○○○○ | 4 | |
昭和22(1947)年6月 | 東横綱 | 9勝1敗 | ○○○○○○○●○○ | 5 | 決 |
昭和22(1947)年11月 | 東横綱 | 10勝1敗 | ○○○○○○○●○○○ | 6 | |
昭和23(1948)年5月 | 東横綱 | 11休 | 休休休休休休休休休休休 | ||
昭和23(1948)年10月 | 西横綱 | 11休 | 休休休休休休休休休休休 | ||
昭和24(1949)年1月 | 西横綱 | 13休 | 休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和24(1949)年5月 | 西張横 | 11勝4敗 | ○○○○○○○○○●●●●○○ | ||
昭和24(1949)年10月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ○○○○○○○○○●○○○●● | ||
昭和25(1950)年1月 | 東横綱 | 6勝4敗5休 | ○○○●■休休休休休○●○●○ | ||
昭和25(1950)年5月 | 東横綱 | 12勝3敗 | ○○○○○○○○○●○○●○● | ||
昭和25(1950)年9月 | 西横綱 | 10勝1敗 | ○○○○■休休休休休休休休休休 | ||
昭和26(1951)年1月 | 東張横 | 12勝3敗 | ○○●○○○○○○○○●○●○ | ||
昭和26(1951)年5月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ●○○○○○○○●○●○●●○ | ||
昭和26(1951)年9月 | 東張横 | 10勝5敗 | ○○○○○□○●○○●●●●○ | ||
昭和27(1952)年1月 | 東張横 | 15勝 | ○○○○○○○○○○○○○○○ | 7 | |
昭和27(1952)年5月 | 東横綱 | 7勝3敗5休 | ○○○○○○■休休休休休○●● | ||
昭和27(1952)年9月 | 東張横 | 4勝3敗8休 | ○○○●○●■休休休休休休休休 | ||
昭和28(1953)年1月 | 西張横 | 9勝6敗 | ○○○○○●○●○○●●○●● | ||
昭和28(1953)年3月 | 東横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和28(1953)年5月 | 西張横 | 0勝3敗12休 | ●●■休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和28(1953)年9月 | 東張横 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
幕内通算成績 39場所 321勝94敗1分117休、勝率7割7分3厘、優勝7回 |
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羽黒山政司 |