ハイセイコー |
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ハイセイコー、牡、鹿毛、日本生産、日本調教 |
生没年月日・1970年3月6日−2000年5月4日 |
父チャイナロック 母ハイユウ |
生産者・武田牧場 馬主・(株)王優→ホースマンクラブ |
調教師・伊藤正美(大井)→鈴木勝太郎 主戦騎手・増沢末夫 |
競走成績・22戦13勝(地方競馬6戦6勝、中央競馬16戦7勝)(13−4−2−3) 主な勝利・皐月賞、宝塚記念 |
■コメント |
ハイセイコーは、1970年に生まれました。 ハイセイコーは、地方競馬(6戦6勝)から中央競馬に移籍し、1970年代に社会現象になるほどの人気を集めた国民的アイドルホース。 第1次競馬ブームの立役者であり、この競馬ブームは、第2次競馬ブームのオグリキャップへ 現役引退後は、種牡馬として、自身の勝てなかった日本ダービー(と天皇賞・春)を産駒のカツラノハイセイコが勝っています 無敗で皐月賞を勝った馬で、日本ダービーでは3着に敗れますが、その後も中距離を中心に活躍し、苦手とされた長距離でも菊花賞2着、有馬記念2着に入っています。 3歳で皐月賞、古馬になって宝塚記念を勝っています。 □ハイセイコーを知るおすすめ作品 ■血統 ハイセイコーは、父チャイナロック母ハイユウ(父カリム)という血統です。 父チャイナロックは、「怪物」タケシバオーや菊花賞馬・アカネテンリュウなどを出した名種牡馬 母ハイユウは、現役時代に、南関東公営競馬で16勝を挙げていた 南関東公営競馬デビューですが、なかなかの良血 ■履歴 ▼デビューまで ハイセイコーは、1970年に生まれ、馬格があり、地方競馬へ入りましたが、期待の大きな馬でした。 武田田牧場で生産され、(株)王優が馬主で、地方競馬の大井の伊藤正美厩舎に入りました。 ▼現役時代 ▽2歳 ハイセイコーは、1972年の2歳(当時は馬齢旧表記、3歳)の6月に大井でデビューすると、デビューから6連勝し、「怪物ぶり」が評判になりました。 ▽3歳 1973年になってホースマンクラブに売却され、中央入りし、中央入り初戦は弥生賞で、このレースを勝つと、スプリングステークスにも勝ち、皐月賞ではカネイコマに2馬身1/2差で快勝します。 NHK杯も制すると、日本ダービーでは単勝支持率66.6パーセントの最高記録(当時)を出しました。 しかしレースでは、ハイセイコーがタケホープの3着に敗れました。 秋になると、京都新聞杯(2着)から菊花賞に臨みましたが、日本ダービーで敗れたタケホープにゴール前で差され2着、有馬記念はストロングエイトの3着でした。 ▽4歳 1974年になるとAJC杯9着、中山記念を勝ちますが、天皇賞・春がタケホープの6着、宝塚記念、高松宮杯と連勝し、京都大賞典4着、オープンと有馬記念がタニノチカラの2着でした。 最後の有馬記念は勝てませんでしたが、ライバル・タケホープに先着しています。 ▼競走成績 2歳 6戦6勝(地方競馬) (未出走1着、53万上1着、秋草特別1着、ゴールドジュニアー1着、白菊特別1着、青雲賞1着) 3歳 弥生賞1着、スプリングS1着、皐月賞1着、NHK杯1着、日本ダービー3着、京都新聞杯2着、菊花賞2着、有馬記念3着 4歳 AJC杯9着、中山記念1着、天皇賞・春6着、宝塚記念1着、高松宮杯1着、京都大賞典4着、オープン2着、有馬記念2着 ▼現役引退後 現役引退後、種牡馬となり、自身の勝てなかった日本ダービー(と天皇賞・春)を制するカツラノハイセイコなどを出しています。 主な産駒・・・ カツラノハイセイコ(日本ダービー、天皇賞・春) ハクタイセイ(皐月賞) サンドピアリス(エリザベス女王杯) 1984年に「競馬の大衆人気化への大きな貢献」が評価され、JRA顕彰馬に選出されています。 2000年に死亡。 □ハイセイコーを知るおすすめ作品 |
■3代血統図 |
Son−in−law4×5 |
*チャイナロック Chaina Rock 1953 栃栗毛 |
Rockfella 1941 黒鹿毛 |
Hyperion | ||
Rockfel | ||||
May Wong 1934 栗毛 |
Rustam Pasha | |||
Wezzan | ||||
ハイユウ 1961 黒鹿毛 |
*カリム Karim 1953 鹿毛 |
Nearco | ||
Skylarking | ||||
*ダルモーガン Dalmogan 1950 黒鹿毛 |
Beau Son |
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Retioent | ||||
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