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ヘルマン・マイヤー選手の不屈の挑戦
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■コラム■■■■■
■ヘルマン・マイヤー選手の不屈の挑戦■

2008年12月7日、たまたまFMラジオのNACK5を聞いていたら、アルペンスキーのヘルマン・マイヤー選手(オーストリア)の話が・・・

ヘルマン・マイヤー選手は1998年の長野五輪の男子スーパー大回転、大回転で金メダルを獲得、ワールドカップでも4回の総合優勝、史上2位の54勝(2010年現在)を挙げています。

ちなみに史上1位はインゲマル・ステンマルク選手(スウェーデン)の86勝です。

インゲマル・ステンマルク選手の86勝は、突出しており、今後も不滅の記録かもしれません。

インゲマル・ステンマルク選手については、本サイト内「ステンマルク」と「ステンマルクを知るおすすめ作品」でも取り上げています。

さてラジオで語られたマイヤー選手の話は、彼の不屈の挑戦の人生についてでした。

以下にラジオでの内容を中心に私の補足を交えて私なりに話を進めます。

マイヤー選手はアルペンスキー王国・オーストリアに生まれ、少年期にスキーエリート学校に入学するも、頭角を現すことなくこの学校を去ります。

彼には喘息の持病もありました。

学校を去った後も趣味に近い形でスキー競技を続けます。

それまで一家の家計を支えていた父が自宅の改装中に屋根から落ち大怪我をすると、マイヤー選手は、夏はレンガ職人、冬はスキー教師として一家を支えることになります。

この時にスキー教師として本格的な訓練を受けたマイヤー選手は、夏のレンガ職人としての重労働と冬のスキー教師としてのスキー講習でスキーヤーとしての本格的「基盤」を作ります。

そしてワールドカップへ「前走者」として出場するチャンスをつかんだ彼はワールドカップ上位者にもひけをとらないタイムをたたき出します。

翌年にはワールドカップ・ガルミッシュパルテンキルヘェン大会において大回転で初の勝利を挙げます。

この時のマイヤー選手の年齢は25歳・・・トップクラスのアルペンスキーヤーの多くが20代後半から30代の前半に引退することを考えると「遅いワールドカップ初勝利」といえるでしょう。

その後は「強さ」を見せつけることになります。

1998年の長野五輪では滑降と複合、スーパー大回転、大回転にエントリーをしたマイヤー選手でしたが、最初の滑降で大きくコースアウトし転倒・・・複合、スーパー大回転、大回転は「絶望」と思われました。

しかし彼には強靭な肉体と不屈の精神がありました。

さすがに直後に行われた複合は大事をとり棄権しましたが、3日後のスーパー大回転に出場した彼は金メダルを獲得、さらに3日後の大回転でも金メダルを獲得したのでした。

さらに1999−2000年、2000−2001年シーズンと2年連続でワールドカップの総合優勝と滑降、スーパー大回転、大回転の種目別優勝の4冠を達成します。

しかしキャリアの絶頂にあったマイヤー選手にまたも悲劇が・・・

2001年8月に選手生命はもちろん右足切断も危惧するバイク事故にみまわれます。

ところがその後、奇跡の復活を遂げたマイヤー選手は2002年のソルトレーク五輪は欠場するものの、2006年のトリノ五輪ではスーパー大回転で銀メダル、大回転で銅メダルを獲得しています。

そして2008年11月30日に行われたワールドカップ・レークルイーズ大会のスーパー大回転で2006年1月以来の3シーズンぶりのワールドカップ勝利、ワールドカップ通算54勝目を挙げました。

2009年10月13日に引退を表明しています。


彼の人生はあまりにも劇的だと思いました。

何度も試練を乗り越えてきた彼の人生はまさに「不屈の挑戦」の人生だと・・・。

ラジオを聞きながら熱いものがこみあげてきました。


関連記事:ステンマルク  ステンマルクを知るおすすめ作品 (本文内でも掲載)


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