金栗四三と箱根駅伝 |
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■金栗四三と箱根駅伝■ 2019年のNHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の主人公の一人で日本陸上長距離競走界の発展に大きく貢献した金栗四三は、正月恒例の「箱根駅伝」を創設した人物です・・・ 箱根駅伝において、大会最優秀選手・MVPに贈られる金栗四三杯に名前を刻す金栗四三とは・・・ 金栗四三とは・・・ 箱根駅伝開催に尽力するなど、日本陸上長距離競走に多大な貢献をし、日本における「マラソンの父」と称される・・・ 1911年のストックホルム五輪のマラソン代表選考の予選会で当時のマラソン世界記録で優勝・・・ 1912年のストックホルム五輪にマラソンの日本代表で出場するも、酷暑で気を失い民家で介抱され、途中棄権(正式な届出なし)・・・ その後の五輪ではベルリンが戦争で開催中止、アントワープが16位、パリが途中棄権・・・ こうしたオリンピック挑戦の間に、前述の箱根駅伝開催など日本陸上長距離競走の発展に大きく貢献・・・ 1967年、スウェーデン・ストックホルムのオリンピック委員会は、金栗は行方不明扱いで正式に途中棄権がされていないと完走することを要請・・・ 金栗が完走すると「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」とアナウンスされた。 1983年死去、92歳没 富士山登山駅伝、箱根駅伝において金栗四三の功績を記念して創設 ・富士山登山駅伝では一般の部の優勝チーム ・箱根駅伝では最優秀選手 にそれぞれ贈呈・・・ 走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版(第2版) 「マラソンの父」金栗四三の生涯 半世紀以上前に直接取材を行い書き上げた唯一の伝記 金栗四三:消えたオリンピック走者 日本人が初めて参加した五輪でマラソンにエントリーした金栗四三がレース途中で消えてしまう・・・ 現場では何があったのか・・・ その後のいかにして箱根駅伝の創設に至ったかなどに迫る・・・ 著者は「史上最高の投手はだれか」などと同じ佐山和夫氏 (この記事は、ブログが元で一部変更加筆しています) |
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