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クモハタ
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■クモハタ■日本競馬史上初の内国産種牡馬のリーディングサイヤー
クモハタ、牡、栗毛、日本生産、日本調教
生没年月日・1936年3月4日−1953年9月10日
父トウルヌソル 母星旗
生産者・下総御料牧場  馬主・加藤雄策
調教師・田中和一郎  主戦騎手・阿部正太郎
競走成績・21戦9勝(9−5−3−4) 主な勝利・日本ダービー
■コメント
クモハタは、1931年に生まれ、3〜4歳時21戦9勝、日本ダービー。

競走成績は、日本ダービーを勝ったのが目立つ程度ですが、種牡馬として7頭の天皇賞馬を出し、内国産種牡馬として初のリーディングサイヤーになって大成功しました

□クモハタを知るおすすめ作品

■血統
クモハタは、父トウルヌソル母星旗(父ノーム)という血統です

父トウルヌソルが大種牡馬、アメリカから輸入の母星旗の産駒(クモハタの半姉)のクレオパトラトマス(繁殖名・月城)が活躍し、クモハタも期待され、セリで高値で取引されます。(当時の最高価格)


▼競走馬として(日本ダービーまでの経緯)・・・

クモハタは、競走成績だけを見ると、21戦9勝で、日本ダービー優勝以外には、特筆すべき点もありません。

デビュー前から常に脚元に大きな不安を抱えていたために万全な状態でレースをできなかったといわれていますが、競走成績に、その影響があったのかもしれません。

事実、脚元の不安の影響でデビューが大幅に遅れました。

そのために日本ダービー制覇への道のりは困難を極めました。

デビューが3歳(当時は馬齢旧表記、4歳)の5月20日

デビューからほぼ1週間後の5月26日に2戦目、その2日後の5月28日に、日本ダービーという信じられない強行日程となってしまい、そのうえ脚元(蹄)の不安がさらに悪化し、食事もままならず、痛む止めの注射を打ちながらの最悪の状態での栄冠だったのです。

デビュー9日での日本ダービー制覇は史上最短記録で、その後の競走体系・出走体系の変更などで、事実上更新不可能となっています。

▼その後の競走成績
以後、故障と闘いながら、4歳(馬齢旧表記、5歳)の帝室御賞典・秋2着を最後に現役引退した

▼競走成績・・・
1939年の3歳が新呼馬2着、新呼馬1着、東京優駿競走(日本ダービー)1着、古呼馬特ハン7着、4歳呼馬H3着、横浜農林省賞典4・5歳呼馬3着、古呼馬特ハン1着、古呼馬優勝1着、古呼馬2着、古呼馬1着、古呼馬優勝4着
1940年の4歳が古呼馬特ハン1着、帝室御賞典・春(天皇賞・春)3着、5歳馬特別1着、古呼馬優勝1着、古呼馬特ハン5着、古呼馬1着、横浜農林省賞典4・5歳呼馬2着、古呼馬特ハン5着、5歳馬特別2着、帝室御賞典・秋(天皇賞・秋)2着


▼種牡馬として・現役引退後・・・

クモハタがその真価を発揮するのは、種牡馬となってからでした。

内国産種牡馬が今より冷遇されていた時代に、1952年から1957年までクモハタは6年連続でリーディングサイヤーに輝いたのです。

天皇賞馬を7頭出し、サンデーサイレンスが2006年秋に8頭目を出すまで最多記録でした。

1953年には内国産種牡馬のJRA年間最多勝記録の157勝を挙げ、2010年にキングカメハメハが179勝で更新するまで保持されました。

(キングカメハメハは、2011年に184勝を挙げ、記録を更新したが、2012年にディープインパクトが216勝を挙げ、さらに記録を更新しています

日本競馬史上で内国産種牡馬がリーディングサイヤーとなったのは、クモハタが最初でその後アグネスタキオンまで長年にわたり、内国産種牡馬はリーディングサイヤーになっていません。
(アグネスタキオンによる内国産種牡馬のリーディングサイヤーは、クモハタが最後にリーディングサイヤーになったのは1957年で、アグネスタキオンがリーディングサイヤーになったのは2008年で実に51年ぶりの快挙・・・中央競馬において)
・・・地方競馬を含めた日本リーディングサイヤーでは1980年と1981年にアローエクスプレスが1位になっています・・・

しかも菊花賞、天皇賞・春、有馬記念(当時は第1回中山グランプリ、創設者であった日本中央競馬会理事長・有馬頼寧氏の急逝に伴い第2回より有馬記念と改称)を制したメイヂヒカリを筆頭に前述のように7頭もの天皇賞馬を輩出し、その他にも重賞勝ち馬を数多く出しています。

主な産駒・・・
カツフジ(天皇賞・秋など)
ニユーフオード(菊花賞、天皇賞・秋)
ヤシマドオター(桜花賞、天皇賞・秋など)
ハタカゼ(天皇賞・秋など)
ミツハタ(天皇賞・春など)
キヨフジ(オークス)
クインナルビー(天皇賞・秋など)
タカハタ(朝日杯3歳ステークスなど)
メイヂヒカリ(菊花賞、天皇賞・春、中山グランプリ、朝日杯3歳ステークスなど)
など

母の父として・・・
ヤマトキヨウダイ(天皇賞・秋など)
オンスロート(天皇賞・春、有馬記念など)
タカオー(天皇賞・春、朝日杯3歳ステークスなど)
ダイシンボルガード(日本ダービーなど)
ホマレボシ(有馬記念など)
マーチス(皐月賞など)
トサミツル(桜花賞など)
など

これだけの実績を残したクモハタも1953年に伝貧(伝染性貧血)の診断を受け、薬殺となってしまいます。

クモハタは、「JRA顕彰馬」に種牡馬としての実績を評価されて選ばれていますが、その直仔のメイヂヒカリも顕彰馬となっています。

親子で顕彰馬となったのは、他にトウショウボーイミスターシービーシンボリルドルフトウカイテイオーなどがあります。

▼総評
クモハタは、その美しい栗毛と四白流星の馬体から「栗毛の貴公子」と呼ばれました。

同じく栗毛の流星の馬体から「流星の貴公子」と呼ばれ、レース中の故障、闘病の末亡くなったテンポイントと重なるところがあります。

私は、クモハタの名を冠したクモハタ記念がジャパンカップの創設を機に廃止されたことが印象に残っています。


□クモハタを知るおすすめ作品

■3代血統図
Hampton5×5、St.Simon5×5
トウルヌソル
Tournesol

1922 鹿毛
Gainsborough
イギリス
1915 鹿毛
Bayardo
Rosedrop
Soliste

1910 黒鹿毛
Prince William
Sees
*星旗
Fairy Maiden

1924 栗毛
Gnome

1916 栗毛
Whisk Broom
Faiery Sprite
Tuscan Maiden

1918 黒鹿毛
Maiden Erlegh
Tuscan Red

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