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■黒澤明■映画監督■映画界に多大な影響を与えた「世界のクロサワ」

黒澤明を知るおすすめ作品

▼世界のクロサワ

 黒澤明は、日本の内外を問わず多大な影響を与え、特に海外の映画関係者に信奉者が多く
 「
世界のクロサワ」と呼ばれました。

 黒澤の映画の制作手法、ストーリー、キャラクターを参考、模倣した海外の映画も多く、
 その中には名作といわれる作品も少なくありません。


 1910年(明治43年)3月23日に生まれ、1998年(平成10年)9月6日に亡くなりました。享年88。


▼映画界に入るまで

 黒澤はもともと画家を志し、プロレタリア美術研究所に通い、18歳で二科展入選、日本プロレアリア美術同盟に参加、
 岡本唐貴(漫画家・白土三平の父)に師事します。

 1936年(昭和11年)に画家に見切りをつけ、26歳でP.C.L(現在の東宝)に入社し、主に山本嘉治郎の助監督を務めます。


▼映画監督として

 1943年(昭和18年)に「姿三四郎」で監督デビューします。

 以後、「
わが青春に悔なし」、「素晴しき日曜日」、「酔いどれ天使」、「野良犬
 など社会派の佳作を次々と発表します。

 1950年(昭和25年)に大映で撮影した「
羅生門」が1951年(昭和26年)に
 
ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞、続いて「白痴」(1951年)、「生きる」(1952年)と名作を発表し、
 「
生きる」はベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞します。

 1954年(昭和29年)には「
七人の侍」が大ヒットし、同作はベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞します。

 さらに「
蜘蛛巣城」(1957年)、「隠し砦の三悪」(1958年)、「用心棒」(1961年)、
 「
椿三十郎」(1962年)、「天国と地獄」(1963年)、「赤ひげ」(1965年)と傑作を次々に発表し、
 黒澤の名声は一層高まります。


 ハリウッドからオファーを受けた黒澤でしたが、1966年(昭和41年)に制作を準備していた
 「暴走機関車」では制作方針を巡り、アメリカ側プロデューサーと対立し、制作が頓挫
 (後に
黒澤の脚本を元に完成)します。

 1968年(昭和43年)に日本側監督をオファーされた日米合作の「トラ・トラ・トラ!」では
 アメリカ側制作会社(20世紀フォックス)と演出方針、撮影スケジュール、予算などを巡り激しく対立し、
 翌44年(1969年)に監督を
降板させられます。

 黒澤はこの事件のショックもあったのか2年後の1971年(昭和46年)に
自殺未遂をします。

 この自殺未遂以後、黒澤作品はほぼ
5年に1本とペースダウンすることになります。

 1975年(昭和50年)にソ連に招かれ、少数の日本人スタッフとソ連に入り、社会主義国ゆえの厳しい撮影条件下で
 「デルス・ウザーラ」を完成させます

 「デルス・ウザーラ」はこれまでの黒澤作品と趣の違う静的ないわゆる「地味」な作品であったため、日本国内では酷評
 されましたが、海外ではモスクワ映画祭金賞、アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、黒澤復活を印象付けました。

 「デルス・ウザーラ」は黒澤作品の変遷のターニング・ポイントとなった作品といえるかもしれません。

 この作品の前後では黒澤作品に大きな変化が見られます。


 そして以後も外国資本参加の作品が続くことになります。
 (黒澤の完璧主義な映画撮影は、多額な費用、日数を要し、さらに商業的成功も保証出来ないことから日本国内だけでは
 予算が集まらないとの事情もあったようです)

 1980年(昭和55年)には
ジョージ・ルーカスフランシス・コッポラを外国版プロデューサーに据えた「影武者」、
 1985年(昭和60年)にはフランスと合作の「乱」、1990年(平成2年)にはアメリカのワーナー・ブラザース制作で
 
スティーブン・スピルバーグ制作・総指揮の「夢」を発表しています。

 1990年(平成2年)に長年の映画界への功績を認められ、
アカデミー賞名誉賞を受賞しています。

 この時のプレゼンターに
スティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスが名を連ね、
 
スタンディング・オベーションの中で賞を受ける黒澤の勇姿は183cmと長身の黒澤がより大きく見えました。

 1995年(平成7年)3月、「八月の狂詩曲」(1991年)、「まあだだよ」(1993年)に続く次回作に予定していた「雨あがる」の
 脚本を京都の旅館で執筆中に転倒して骨折及び脱臼、療養生活に入りますが、1998年(平成10年)9月6日に脳卒中に
 より死去。享年88。

 映画監督としては初めて
国民栄誉賞を受賞しました。


▼黒澤作品の評価

 黒澤は日本国内外で高い評価を受けている監督です。

 作品を貫く重厚なテーマは全作品にほぼ共通だったといえるでしょう。

 初期には社会派ヒューマニズムな作品が多く、「素晴しき日曜日」のように日常を切り取った小津安二郎を思わせる作品も
 撮影しています。

 黒澤本人を含む複数の脚本家によるストーリーの巧みさも黒澤作品の魅力でしょう。

 映画の魅力の多くは
脚本の出来にあり、黒澤は脚本家としての評価も高かったといえます。

 しかし黒澤作品では「赤ひげ」までと「赤ひげ」より後の作品では評価が分かれます。

 重厚なテーマは同じながら娯楽性も有した「赤ひげ」までの作品の評価の高さに比べ、芸術性を追求する
 ことになる「赤ひげ」より後の作品では、作品の評価に否定的な見解が多いようです。


▼完璧主義

 黒澤は映画撮影に妥協を許さず、厳しい演出、撮影衣装のままでの長期にわたるリハーサル、撮影意図に沿った天候に
 なるまで何日も待ち続ける、細部にわたるセットの造形、撮影に使う馬はレンタルせずに買い取り調教し直すなどその
 完璧主義をうかがわせる逸話も多くあります。

 作品においての逸話で有名なものとしては以下の2つでしょうか。

 「七人の侍」では雨の激しさを強調するため、水に墨汁を混ぜて降らせる

 「天国と地獄」では撮影の邪魔になる民家の2階を壊し、撮影した後にまた元に戻した



▼黒澤明の影響
 黒澤作品を参考、模倣したといわれる映画関係者を列記します。

 ここに挙げる映画関係者が黒澤を敬愛しているのはいうまでもありません。


 スティーブン・スピルバーグ

 「未知との遭遇」  砂嵐からジープが現れる  「蜘蛛巣城」

 「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」  主人公が後姿だけで顔を見せないファースト・シーン  「用心棒」

 「プライベート・ライアン」  オマハビーチの乱闘シーン  「乱」

 スピルバーグは、新しい映画を撮る、撮影に行き詰まるといったターニング・ポイントで
 映画の原点を見つめ直すために必ず
黒澤作品、特に「七人の侍」を観賞するといわれます。


 フランシス・コッポラ

 「ゴッド・ファーザー」  ファースト・シーンの結婚式  「悪い奴ほどよく眠る」


 (作品と模倣した場面、模した黒澤作品の順に表記しています)


 ジョージ・ルーカス

 
「スター・ウォーズ」シリーズの登場キャラクターは「隠し砦の三悪人」を参考にしたといわれ、
 「スター・ウォーズ4/新たなる希望」はファースト・シーン、ラスト・シーンだけでなく
 ストーリーそのものが酷似しています


 また、「
荒野の七人」は「七人の侍」を時代劇から西部劇に置き換えた作品であることは有名です。


 近年では「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」の合戦シーンに「七人の侍」からの引用、「ラスト・サムライ」にも黒澤作品
 からの引用があるといわれます

 以上は、代表的な例で黒澤作品の影響力は計り知れないほど大きいといえます。


 また、黒澤を尊敬し、影響を受けた関係者はまだまだおり、新たな信奉者を生み続けています。

 晩年になっても新しい撮影技術を取り入れていったという黒澤明は映画という世界に
 貪欲に向き合った「巨人」だったと思います。


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