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 日本の競馬マスター----------------------------------------------------------

日本の競馬を築いた生産者、馬主、調教師、騎手、競走馬、種牡馬などを紹介します。
ここでは、彼らのことを「マスター=達人」と呼ぶことにします。
(文中敬称略)

MASTER0013
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■競走馬  グリーングラス(TTG最強世代の証明)

グリーングラスは、1973年に生まれ、父インターメゾ母ダーリングヒメ(父ニンバス)、3〜6歳時26戦8勝、菊花賞、天皇賞・春、有馬記念。

天馬の影となった3歳春・・・・・・・・・・

グリーングラスは、父がステイヤー血統のインターメゾ、母が重賞勝ち馬のダーリングヒメで、3歳1月のデビューを迎えました。
ちなみにグリーングラスの曾祖母・ダーリングは「幻の馬」といわれたトキノミノルの全姉です。
しかし、このデビュー戦には、とんでもない大物がいました。後に天馬と呼ばれるトウショウボーイでし
た。
グリーングラスは、トウショウボーイの4着に敗れました。
初勝利は3戦目でした。
その後、日本ダービー出走を目指し、NHK杯に挑戦するも12着に敗れてしまいます。
NHK杯後、6月に2勝目を挙げ、7月に2着と好走し、秋に備え休養に入ります。

緑の刺客・・・・・・・・・・

秋に休養明けを2着と好走したグリーングラスは、鹿島灘特別で3勝目を挙げ、賞金的に菊花賞出走が微妙であったため抽選に出走の望みを託します。

なんとか菊花賞出走の叶ったグリーングラスでしたが、当然の12番人気の評価でした。
人気は、皐月賞馬となったトウショウボーイと日本ダービー馬・クライムカイザー、そして秋に骨折から復帰したテンポイントの3頭に集まりました。
レースは、テンポイントが直線でトウショウボーイを競り落とし、先頭に立ちました。テンポイントが無冠の帝王返上かと思われたその時、内からスルスルと伸びてきた緑の覆面の馬がいました。
グリーングラスでした。
「内からグリーングラス、内からグリーングラス」の実況の中、グリーングラスは、テンポイントを交わし、先頭でゴールしました。
まさに「緑の刺客」、グリーングラスが菊花賞を制した瞬間でした。

そして、グリーングラスは、4歳に備えて休養に入ります。

第三の馬・・・・・・・・・・

4歳になったグリーングラスは、休養明けのアメリカジョッキークラブカップをレコード勝ちし、菊花賞制覇がフロックでないことを証明しました。
目黒記念2着をステップに天皇賞・春に出走したグリーングラスは、4歳になり本格化したテンポイントの4着と敗れます。
そして、宝塚記念で、トウショウボーイ、テンポイントの3着になります。
続く日経賞で再びレコード勝ちすると、秋に備えて休養に入ります。

秋に天皇賞・秋に臨んだグリーングラスは、道中でトウショウボーイと競り合った影響が出たのかホクトボーイの5着と敗れます。トウショウボーイは7着でした。

続く有馬記念は、テンポイントとトウショウボーイの歴史的マッチレースとなり、グリーングラスは「地味に、しっかり」3着に入着しました。
そして、これがTTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)最後の対決でした。
 
最強世代の証明者・・・・・・・・・・

5歳となったグリーングラス、前年の有馬記念を最後に引退したトウショウボーイ、この年1月のレース中、不慮の事故で闘病生活を続けていたテンポイントが3月亡くなっていました。

ライバルのいなくなったターフをグリーングラスは走り続けました。

天皇賞・春で、最強世代を証明する勝利を挙げ、脚部不安に苦しめられながら走り続けたのです。
しかし、5歳のグリーングラスは5戦のみの出走でした。

6歳となったグリーングラスは、有馬記念を最後に引退することになりました。
この年は、さらに脚部不安に苦しみ、3戦したのみで有馬記念を迎えていました。
しかし、ここで再び自身の評価を高めるとともに、TTGが最強世代であることを証明する有馬記念の勝利を獲得します。
グリーングラスは、引退の花道を飾りました。

繰り返しになりますが、トウショウボーイ、テンポイントが去った後のグリーングラスの天皇賞・春、有馬記念の勝利は、自身の世代が最強世代であることを証明することになったと思います。

種牡馬として・・・・・・・・・・

種牡馬としてのグリーングラスは、エリザベス女王杯を勝ったリワードウイングなどを出しある程度の成功をしました。2000年逝去。


引退レースとなった有馬記念は、トウショウボーイ、テンポイントと同世代のグリーングラスが勝ったレースとして印象に残っています。
しかもハナ差での勝利でした。
トウショウボーイ、テンポイントの気迫が乗り移ったような勝利でした。

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■競走馬  タマモクロス(白い稲妻)

タマモクロスは、1984年に生まれ、父シービークロス母グリーンシャトー(父シャトーゲイ)、3〜4歳時18戦9勝、天皇賞・春、天皇賞・秋。

臆病な馬・・・・・・・・・・

タマモクロスは、見栄えにしない仔馬でした。そして、生まれた牧場も後に残念ながら倒産してしまいます。

3歳3月にデビューしたタマモクロスは、3戦目に初勝利を挙げたものの他馬を怖がる臆病な馬のため、秋まで1勝のままでした。

突然の快進撃で最強馬に・・・・・・・・・・

10月の条件戦で2勝目を挙げます。

2着に7馬身差をつける圧勝で、続く条件特別でも楽勝し、一躍「菊花賞の秘密兵器」といわれます。

しかし、タマモクロス陣営は菊花賞には行かず、鳴尾記念に臨みます。

ここでも驚くべき強さを見せ、「もしかすると現役最強馬はタマモクロスでは?」との声も聞かれるようになりなります。

4歳になったタマモクロスは、金杯を後方から物凄い末脚で快勝すると、阪神大賞典でも逃げたダイナカーペンターと1着を分け合い、5連勝で天皇賞・春に駒を進めます。

天皇賞・春でも危なげない勝ち方をし、宝塚記念でも当時の中距離最強馬のニッポーテイオーに快勝し、日本競馬の頂点に立ちます。

芦毛対決・・・・・・・・・・

秋に天皇賞・秋に臨んだタマモクロスには、天皇賞の春秋連覇の記録がかかっていましたが、連覇を阻止すべく、地方から中央入りし快進撃を続けていた同じ芦毛のオグリキャップが参戦してきました。

芦毛対決で注目されたこのレースは、それまで後方から競馬をしていたタマモクロスが2番手につけ、場内がどよめきました。

しかし、直線で逃げていたレジェンドテイオーを交わすと、オグリキャップの追い込みを1馬身1/4抑え込み8連勝を飾りました。

ジャパンカップでは、アメリカのペイザバトラーに敗れたものの2着を確保したタマモクロスは、オグリキャップ(3着)に先着しました。

そして有馬記念を最後に引退を決定したタマモクロスは、現役最後のレースに臨みます。

しかし、積極的にレースを進めたオグリキャップを捕らえきれなかったタマモクロスは、オグリキャップの2着に敗れました。

種牡馬として・・・・・・・・・・

種牡馬としてのタマモクロスは、重賞勝ち馬を何頭か出し、かなりの成功をしています。
今後は、GTクラスの大物が待たれます。


私がタマモクロスを知ったのは、鳴尾記念からでした。

そして、それからのタマモクロスは、現役日本最強馬にふさわしい強さを見せてくれました。

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当ホームページの内容は、私の知識と記憶をベースに、各種の参考資料で内容の肉付けと裏付けを行い、
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(文中敬称略)


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