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マイケル・ジョーダン
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■マイケル・ジョーダン■バスケットボール選手■エア・ジョーダン、バスケットボールの神様

身長約198センチ、体重約99キロ

1963年2月17日−


マイケル・ジョーダンを知るおすすめ作品

どこの世界にもその世界の規格外的「天才」や「神」の存在があるものです。

今回取り上げたマイケル・ジョーダン選手は、バスケットボールの世界における「天才」や「神」といえる選手だと思います。

バスケットボールにさほど詳しくない私から見ても、マイケル・ジョーダンのパフォーマンスは、他の選手とは別次元の凄さでした。

特に「エア」ともいわれた滞空時間の長いジャンプは一瞬時間が止まったような凄さで、「エア」をはじめ、オフェンス全般の絶対的凄さに驚嘆します。

その実績のすごさから「バスケットボールの神様」といわれています。


■実績
15年間にわたるプロ選手生活で

得点王10回(1987年−1993年、1996年−1998年)
年間最多得点11回
平均得点30.292点はNBA史上1位

通算得点32,292点はNBA史上4位

1990年代に、シカゴ・ブルズを6回の優勝に導き、5回のシーズンMVP、6回のNBAファイナルNVP

1984年のロス五輪と1992年バルセロナ五輪でドリームチームの一員で2回の金メダル・・・

現役時代の背番号23は、ノースカロナ大学、シカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒートで永久欠番・・・

1996年、NBA50周年オールタイムチームの一員に選出

2009年、バスケットボール殿堂入り

■履歴
▼大学卒業まで
マイケル・ジョーダンことマイケル・ジェフリー・ジョーダンは、1963年2月17日にアメリカで生まれます。

少年時代は、兄にバスケットボールの手ほどきを受けます。

地元のE・A・レイニー高に進学

最初は、バスケットボールチームに入らず、1年後にチームに入り、ある程度注目される選手になります。

ノースカロライナ大学に進学

後に伝説のショットといわれる1982年のNCAAtオーナメントチャンピオンシップでの彼のウイニングショットで、NCAAチャンピオンに

2年生で全米ジュニア選抜

3年生で、ネイスミス賞とウッデン賞受賞

この年のシーズンオフにプロ入りを決意

1984年に全体の3位でシカゴ・ブルズに指名されます。

▼シカゴ・ブルズ時代(1回目)
▽キャリア初期
ジョーダンは1年目からレギュラーで、リーグ上位の平均得点

2年目はケガでシーズンの多くを欠場します。

3年目はリーグトップの平均得点37.1で、シーズン総得点は3000点を超えます。

得点能力は高かったが、チームとしてはジョーダンは独りよがりとわれます。

入団当初のジョーダンは、派手で、生意気な新人といわれ、新人で出場したオールスターではパスを回してもらえませんでした。

▽ピストンズの壁
1980年代の終盤は、デトロイト・ピストンズとシカゴ・ブルズが台頭

ピストンズは、得点の力の高いジョーダンを封じ込める「ジョーダン・ルール」でジョーダンを苦しめ、1988年・1989年とシカゴ・ブルズはピストンズに敗退

フィル・ジャクソンが監督に

トライアングルオフェンスといわれる新システムなどでチームの改革に奔走

しかし、プレーオフではまたもピストンズに敗れます。

▽1回目の3連覇(3ピース)
翌1990−1991シーズンは、フィル・ジャクソンのチーム改革が機能し、ジョーダンの平均得点が過去数年で最低の31.5点(それでも得点王)でリーグ優勝

プレーオフでも、カンファレンスファイナルでピストンズに4連勝

NBAファイナルで、マジック・ジョンソンのロサンゼルス・レイカーズに4勝1敗で勝ち、ジョーダンはファイナルMVP

翌シーズンもシカゴ・ブルズはリーグ優勝

再びファイナル進出のシカゴ・ブルズは、ポートランド・トレイルブレイザーズに4勝2敗で勝つ

次のシーズンもシカゴ・ブルズは、ファイナルに進出しチャールズ・バークレーのフェニックス・サンズに4勝2敗で勝つ

NBAファイナル記録の平均41得点を挙げたジョーダンがファイナルMVP

3連覇を意味する「3ピース」達成

▽父の死と1回目の引退
3連覇達成後の1993年7月23日、不慮の事故でジョーダンの父が死去し、ジョーダンが1回目の引退表明

▼大リーグ挑戦
ジョーダンは、引退後、野球転向

シカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加

シカゴ・ホワイトソックス傘下のAA級バーミンガムへ入団

1994年は大リーグのストライキが起き、翌年になっても事態は進展しませんでした。

ジョーダンの大リーグでの成績も芳しくありませんでした。

▼シカゴ・ブルズ時代(2回目)
▽現役復帰(1回目)
1995年3月にシカゴ・ブルズに復帰

カンフェレンス・セミファイナルでオーランド・マジックに2勝4敗で敗退

▽2回目の3連覇(3ピース)
1995−1996シーズンは、1994−1995シーズンオフにジョーダンが本格復帰のトレーニングを積極的にしたこともあり、シカゴ・ブルズは快進撃を続け、シアトル・スーパーソニックスに4勝2敗でファイナル制覇

さらに1996−1997シーズンは、ファイナルでカール・マローンとジョン・ストックトンのユタ・ジャズを4勝2敗で下します

特に初戦のブザービーターなどでのジョーダンのパフォーマンスが光ります。

続く1997−1998シーズンは、フィル・ジャクソンが退任をほのめかし、チームにも不穏な空気が。

ファイナルで再びユタ・ジャズとの対戦で、5戦目まで3勝2敗とし、6戦目の残り5.2秒のジョーダンの決勝シュートで、シカゴ・ブルズは優勝

シカゴ・ブルズは2回目の3連覇(3ピース)達成です。

ジョーダンは、シーズン終了後の1999年1月31日に2回目の引退表明

▼ワシントン・ウィザーズ時代
1999年、引退後のジョーダンはシャーロット・ホーネッツ(現・ニューオリンズ・ペリカンズ、後にジョーダンが筆頭オーナーになるシャーロット・ホーネッツとは別チーム)のオーナー陣に加わると報道されましたが、協議は物別れに

翌2000年にワシントン・ウィザーズに出資し、オーナーの一人に

▼2回目の現役復帰
2001年に2回目の現役復帰

チーム事情でポジションはスモールフォワード

2001−2002シーズンはケガに悩まされながら1試合平均23点

2002−2003シーズンは1試合平均20点

ラストシーズンは40歳で40得点の記録も

2003年に3回目の引退

ウィザーズのオーナーも解雇

▼シャーロット・ボブキャッツ
ジョーダンはシャーロット・ボブキャッツのオーナーの一人に

2010年3月、ボブキャッツの筆頭オーナーに

(現在は、ボブキャッツは、シャーロット・ホーネッツとなっています)

■大舞台
ジョーダンは、大舞台に強く、

6回のNBA優勝(1991年−1993年、1996年−1998年)
5回のレギュラーシーズンMVP(1988年、19981年、1992年、1996年、1998年)
6回のファイナルMVP(1991年−1993年、1996年−1998年)
3回のオールスターMVP(1988年・1996年・1998年)

1985年はルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)

レギュラーシーズン、ファイナル、オールスターのMVPの三冠を1996年と1998年の2回
(他にMVPの三冠は、1970年のウィリス・リードと2000年のシャキール・オニールだけ)

■オフェンス
得点能力が非常に高く、ポジションは主にシューティングガード(以下SB)だが、ポイントガードやスモールフォワードもこなします。

インサイドでは、華麗なダンク、独特のステップからのレイアップを多用・・・

滞空時間の長い「エア」からのダブルクラッチなどは、彼独特・独自のスキルで、全般に高いオフェンススキルを持ちます。

初期のジョーダンは、長い滞空時間を利した絶対的運動能力差のシュートが多かったですが、加齢に伴いフェイダウェイなどの「上手さも」で、運動能力の衰えをカバーし、高い得点能力を維持しました。

スリーポイントはさほど得意ではありませんでした。

前述の長い滞空時間から「エア・ジョーダン」ともいわれます。

■デフェンス
驚異のオフェンス力を誇ったジョーダンですが、デフェンスも上手く、NBAの重鎮・ジェリー・ウェストをして「ジョーダンのディフェンス能力はオフェンス以上に強烈だった」といわしめます。

■ジョーダンの有名なプレー
1986年のプレーオフのボストン・セルティック戦で、プレーオフ記録の63得点を挙げたジョーダン
試合後、セルティックの名選手であったラリー・バードは「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」とコメント
(試合はジョーダンのブルズの負け、シリーズもブルズの3連敗で敗退)

1989年のプレーオフのクリーブランド・キャバリアーズ戦で、ジョーダンが空中でマーカーをかわし、難しいジャンプシュートを試合終了のブザーと同時に決め、逆転勝利
(このシュートは英語圏では「ザ・ショット」といわれることも)

1991年のデンバー・ナゲッツ戦で、ジョーダンは「これがNBAだ」と発言しながら目を閉じたままフリースローを決める

1991年のプレーオフのニューヨーク・ニックス戦で3回にわたり、ガードをかわし、最後は豪快にダンクシュート

1991年のNBAファイナルで、ダンクに向かって跳躍するジョーダンはマーカーのブロックをかわすため、ボールを左手に持ち替え、落下しながらスクープシュートを決める
(このシュートは英語圏では「ザ・ムーブ」といわれることも)

1992年のNBAファイナルの第1戦で、ジョーダンの3ポイントシュートがことごとく決まる
前半で6本の当時のNBAファイナル記録

1993年のプレイオフのクリーブランド・キャバリアーズ戦第4戦で、ジョーダンは痛めた右手首の影響でシュートに精彩を欠いていた
試合終了間際のシュートが、終了と同時に決まる
(このシュートは「ザ・ショット2」ともいわれる)

1993年のNBAファイナル第6戦で、試合終了前に、一人でデフェンスを突破し、レイアップシュートを決める
(ブルズは3連覇達成)

1997年のNBAファイナル第1戦でジョーダンが試合終了と同時にウイニングショットを決める

1997年のNBAファイナル第5戦でジョーダンは食中毒だったが、38得点を挙げ、勝利に貢献

1997年にダブルチームを受けたジョーダンはフリーのスティーブ・カーへパス、カーのシュートは決勝点

1998年ファイナル第6戦で、ジョーダンがスティールしてそのままジャンプシュート・・・
残り5.2秒での逆転
(試合はこのままブルズの勝利で、3連覇達成・・・このシュートは「ザ・ラスト・ショット」といわれることも)

■家族
1989年に結婚し、二男一女をもうける
2006年ン離婚
(妻には1億5000万ドル以上の財産分与・・・)
(2011年に婚約し)2013年に2回目の結婚

■ジョーダンの主な名言
「目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない、そこに近道はない」

「人生で何かを達成したいと思うときは、積極的かつ攻撃的にならなければならないと僕は自覚している、目標を決めたら、それに向かってひたすら努力するだけだ、何かを達成しようとする場合は、受身の姿勢では絶対に達成することはできないと確信している」

「10本連続でシュートを外しても僕はためらわない、次の1本が成功すれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう」

「一度でもあきらめてしまうと、それが癖になる、絶対にあきらめるな!」

「限界とはほとんど幻にすぎない」

「高校時代は代表チームの選考から漏れた、9000回以上のシュートを外し、300試合に敗れ、チームからウイニングショットを任されて26回も外した、人生で何度も何度も失敗してきた、だから私は成功した」

「失敗することは耐えられるが、挑戦しないでいることは耐えられないんだ」

「気持ち半分でやることなんて出来ない、結果も半分になってしまうからね」

「成功したいと思うなら自己中心でなければいけない、だがもし最高のレベルに達したなら、自己中心であってはならない、他人とうまくつきあい、一人になってはならない」

「才能で試合に勝つことはできる、だがチームワークと知性は優勝を導くんだ」

「運命よ、そこをどけ、オレが通る」

「バスケットボールを心から愛したヤツがいた、ただ、それでけでいい」

マイケル・ジョーダンは上記の名言が示すように、常にポジティブな前向きな考えの持ち主です。

■コービー・ブライアントとマイケル・ジョーダン
体格、ポジション、プレースタイル、勝負強さ、高い得点能力、負けず嫌いの精神面などが似ていたこともあり、コービー・ブライアントほどバスケットボールの神様・マイケル・ジョーダンと比較された選手はいない


ブライアントはジョーダンを尊敬し影響されジョーダンを兄のように慕い、ジョーダンもブライアントを弟のように愛し自分の後継者にブライアントを挙げ「ネクスト・ジョーダン」の一人にもブライアントを挙げていた

ジョーダンは「自分の全盛期にマッチアップしてみたい相手は誰ですか?」の問いに「・・・誰にも負ける気はしないよ。コービー以外には。・・・」
ブライアントも「・・・誰も俺には勝てない。もし俺に勝てる選手がいるとすれば、彼は98年(1998年)のユタでラストショットを決めて引退したよ。」と答えた
もちろんラストショットを決め引退したのはジョーダンだった

このように2人はお互いに相手の実力を認めていた

■背番号に関するエピソード
23は、兄がつけていた背番号45の半分以上は上手くなりたいとの思いから

マイアミ・ヒートでも背番号23が永久欠番なのは、ジョーダンはマイアミ・ヒートでプレイしたことはないが、マイアミ・ヒートの球団社長だったパット・ライリーがジョーダンに敬意を表して23番を永久欠番としたためです

■影響力
マイケル・ジョーダンは、たんなるバスケットボールの存在を大きく超えた影響力があり、スポーツを通じての経済効果もあります。

多くの一流アスリートにも憧れと尊敬をされています。

マイケル・ジョーダンは、スーパースター揃いのNBAでも別格・異次元の存在でした
彼のスーパープレーが収録された「アルティメット・ジョーダン コレクターズ ボックス(DVD)
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