大リーグ史上最高の投手は? |
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■大リーグ史上最高の投手は?■ 野球の大リーグ史上最高の投手は誰かと問われたら、私は生涯のほとんどを二グロリーグなどで活躍したサチェル・ペイジを挙げます。 全盛期を二グロリーグで活躍したので、正確には「史上最高の投手」は、サチェル・ペイジとするべきかもしれません。 二グロリーグにおけるカリスマ性は、大リーグ(メジャーリーグ)のベーブ・ルースと並び称されます。 □サチェル・ペイジを知るおすすめ作品 ■履歴 ▼生い立ち サチェル・ペイジこと本名・リロイ・ロバート・ペイジ(以下はサチェル・ペイジ)は1906年7月7日に生まれたといわれます。 サチェルのニックネームの由来は、諸説ありますが、少年時代に長い棒に荷物をかけて運ぶ仕事をしていたので、友人から「歩くサチェル・ツリー(ショルダー・バッグをぶら下げておくハンガー)」といわれていたという説が最も有力で、それ以来この名前で通したといわれています。 1918年の12歳の時、万引き癖で実業学校に入れられたペイジが、エドワード・バード指導の元でピッチングスキルを身につけたといわれています。 1923年に兄の所属していたセミプロチーム・モービル・タイガースに入団します。 このチームには、後に二グロリーグのスターになったテッド・ラドクリフ、ボビー・ロビンソンもいました。 ▼二グロリーグ時代 二グロリーグ時代のペイジは、約2500試合に登板し、2000勝以上を挙げ、うち完封勝利は350以上、ノーヒットノーランが55試合というにわかに信じがたい驚異的数字を挙げたといわれています。 二グロリーグのレベルも大リーグとの交流戦(大リーグと互角あるいは互角以上にわたりあうことも・・・)などを見ると、高かったようですね。 一説には二グロリーグにおけるサチェル・ペイジの驚異的数字は、中南米のチームとの交流戦なども含めた数字ではないかともいわれていますが、それにしても「とんでもない」数字ですね。 また、抜群のコントロールを誇ったといわれます。 「火の珠投手」といわれた時速160キロ以上の速球を投げていたといわれる速球王・ボブ・フェラーが「サチェル(・ペイジ)の投げるボールがファスト・ボール(速球)なら、俺の投げるボールはチェンジ・アップだよ」と発言したといわれます。 フェラーの速球を見た関係者が時速170キロを超えていたのでは・・・と証言していますから、ペイジは極めて速い珠を投げていたと思われます。 ペイジとノーラン・ライアン(大リーグの奪三振王)の両者の球を受けた捕手は「(ペイジの速球は)時速179キロ位」とコメントしています。 記録が不確かで「伝説」の域を出ませんが、いくかの「伝説」も生まれています。 ・全打者奪三振になりそうな試合で、最後の打者が振り逃げしたため、28奪三振を記録 ・9回裏にわざと走者をためて無死満塁とし、しかも野手をベンチに引き上げさせ、打者と勝負した ・「今から9人連続奪三振をする」と宣言して達成 ・野手全員をマウンドの周りに座らせ、投げる などをしたといわれます。 極めて高いショーマンシップだといえます。 1930年には大リーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利を記録しています。 残念ながら、ベーブ・ルースとの対決の機会はありませんでしたが、ベンチよりペイジの投球を見て、ベーブ・ルースの顔が青ざめていたとの証言がいくつかあります。 記録がはっきりしている1934年は105試合で104勝を挙げています。 ▼大リーグ時代 1947年にジャッキー・ロビンソンがロサンゼルス・ドジャースと契約し、「カラーライン」が破られた時、ペイジは40歳に達していました。 翌1948年にシーズン途中でペイジはクリーブランド・インディアンスに入団。 6勝(1敗、防御率2.48)で42歳にしてリーグ優勝に貢献しています。 大リーグでの通算成績は6年間(1948・1949・1951・1952・1953・1965)で28勝31敗、防御率3.29ですが、1952年には46歳で12勝(10敗)を挙げ、1952年・1953年にオールスター戦に出場しています。 →1948・1949 クリーブランド・インディアンス 1951・1952・1953 セントルイス・ブラウンズ 1965 カンザスシティ・アスレチックス 1965年に、カンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの契約を結び、大リーグ最後の登板(公式戦)を果たしました。 (先発して3回を無失点、勝敗つかず)この時、ペイジは59歳とされています。 しかし生年には異説もあり、実際には60歳を超えていたとの説もあります。 いずれにしてもとんでもない年齢での登板ですね。 その後、アトランタ・ブレーブス入団、エキシビジョンではありますが、2イニングを投げました。 ▼その後 1971年、二グロリーグ特別委員会選出により、野球殿堂入り・・・。 ただし、大リーグでの経験10年という基準を満たしていないため特別枠。 1981年、10年を経て正規の資格者として「黒人として」ではなく、「二グロリーグから初の」野球殿堂入り。 1982年6月8日に死去。75歳。 ■サチェル・ペイジの名言 ・平凡に生まれついたとしても、凡人でいなきゃならないって法はないんだ ・振り返るな。追いつかれる。(何かがあなたに追いついてくるかも知れない) ・もしも自分の年齢を知らなかったら、今の自分を何歳だと思うかね? ※上から、非凡であったゆえの言葉であり・自分の力で未来を切り開いたゆえの言葉・・・、トップ・ランナー(アスリート)であるゆえの言葉、42歳という年(高)齢で大リーグデビューしたゆえの言葉・・・ ■総評 サチェル・ペイジの輝かしい成績や伝説の数々は佐山和夫氏の著書「史上最高の投手はだれか」(潮出版社)に詳しく掲載されています。 42歳にして大リーグデビュー・・・全盛期に大リーグ入りを見たかったですね。 もし、サチェル・ペイジの全盛期に「カラーライン」が破られていたら、サチェル・ペイジはとんどもない記録と成績をたたき出していた可能性があります。 私は、(大リーグ)史上最高の投手はサチェル・ペイジだと思います。 □サチェル・ペイジを知るおすすめ作品 関連記事:サチェル・ペイジ(本記事に、加筆・一部修正した記事です) 関連記事:サチェル・ペイジを知るおすすめ作品(本文中にもリンクあり) |
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