村田兆治 |
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■村田兆治■野球選手■マサカリ投法、サンデー兆治 右投右打 身長181センチ、体重79キロ 1949年11月27日− 村田兆治(むらた・ちょうじ)は、ダイナミックな投球フォームから「マサカリ投法」と呼ばれ、右肘を手術後、日曜日に登板することが多く「サンデー兆治」と呼ばれました 通算148暴投のプロ野球記録保持者 ■履歴 ▼プロ入り前 球が速くて球質の重い剛速球で、福山電波工業高時代から県内屈指の投手 しかし、広島県内には強豪が多く、甲子園出場ならず 1967年のドラフトで、東京オリオンズに1位指名 ▼プロ 1967年のドラフト1位で東京に入団 背番号「29」 1968年の1年目は、3試合登板し、0勝1敗 2年目、3年目も6勝(8敗)、5勝(6敗)だったが、1969年から球団名がロッテへ、3年目の1970年にリーグ優勝を経験、1971年に投球フォームを「マサカリ投法」に変え12勝 1974年のリーグ優勝に貢献、1975年はリリーフでリーグのセーブ王 1975年、1976年が最優秀防御率 1976年にフォークボール習得 1976年、1977年、1979年が奪三振王 1981年が19勝で最多勝と奪三振王 1962年に肘を故障し、1983年も症状が改善されないため、右肘をジョーブ博士のトミー・ジョン手術をし、1984年シーズン終盤に復帰 1985年は開幕から11連勝で、17勝5敗で復帰 日曜日に登板が多く「サンデー兆治」とも 1989年に、最優秀防御率 1990年に、現役引退 通算215勝177敗33セーブ、防御率3.24 村田兆治は、自分の決め球・フォークボールを予告し、空振りを奪ったことも ▼引退後 現役引退後は、解説者・評論家を経て、投手コーチ 投手コーチ退任後は、評論家など 時々、マスターズリーグで投げるが、2013年に135キロ、2018年に112キロの球速を記録 投手成績 22年、604試合登板、215勝177敗33セーブ、防御率3.24 最優秀防御率3回、、最多勝1回、奪三振王4回(当時表彰なし)、セーブ王1回 ベストナイン1回 パ・リーグプレーオフMVP1回 オールスターゲームMVP1回(1982年第1戦) 野球殿堂入り(日本)2005年 人生に引退なし 村田兆治の 挑み続ける「気力」と「体力」の鍛え方 |
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