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ニジンスキー
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■史上最強馬RANKING−INDEX■■■■■

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■ニジンスキー■20世紀最後のイギリス3冠馬 RANKING9位タイ
ニジンスキー(Nijinsky)、牡、鹿毛、カナダ生産、アイルランド調教
生没年月日・1967年2月21日−1992年4月15日
父ノーザンダンサー 母フレーミングペイジ
生産者・エドワード・テイラー  馬主・チャールズ・エンゲルハード
調教師・ヴィンセント・オブライエン  主戦騎手・レスター・ピゴット(リーム・ウォード)
競走成績・13戦11勝(11−2−0−0) 主な勝利・英3冠、愛ダービー、キングジョージY&クイーンエリザベスS
■コメント

1970年にニジンスキーがイギリス3冠(英3冠、英2000ギニーと英ダービーと英セントレジャー)馬になって以後、イギリス3冠馬は出現していません。

ニジンスキーは「
20世紀最後のイギリス3冠馬」などといわれることが多いですが、長距離レースの価値の地盤沈下、英セントレジャーの価値の低下、現在競馬のスピード化などで、3冠目の英セントレジャーへの挑戦そのもが減ってきている現状から「最後のイギリス3冠馬」となる可能も大きいと思われます。

「イギリス牝馬3冠」(英牝馬3冠、英1000ギニーと英オークスと英セントレジャー)は、1985年にオーソーシャープがなっていますが、イギリス3冠馬はニジンスキー以降出現していません。

それだけイギリス3冠馬は、貴重で珍しい存在であるということです。


ある意味で価値があるともいえると思います。


□ニジンスキーを知るおすすめ作品

ノーザンダンサーの多くの産駒がバレーダンサーの名がついたように、ニジンスキーもバレーダンサーの名がついています。

ニジンスキーの名は、ロシアの天才バレーダンサーのヴァーツラフ・ニジンスキー氏にちなんでいます。

ニジンスキー氏は、伝説的バレーダンサーとして知られています。

ニジンスキー氏のジャンプは、「
重力を無視する」ごとく見事で、「空中を浮かぶジャンプ」ともいわれました。

彼のジャンプは、
「跳躍する」のではなく「(空を)飛ぶ・(空を)浮かんでいる」(!)のような滞空時間の長い見事なジャンプでした。

最近では、NBAのプロバスケット選手のマイケル・ジョーダン氏が滞空時間の長いジャンプで「エア」といわれましたが、ニジンスキー氏のジャンプは、ジョーダン氏のジャンプのようだったかも知れません。

いずれにしても、ニジンスキー氏とジョーダン氏が天才だからこそのエピソードといえます。


(競走馬の)ニジンスキーは、そんな伝説的天才バレーダンサー・ニジンスキー氏にちなみ、名づけられています。


ニジンスキーは、1967年にカナダに生まれました。

生産者は、カナダの天才馬産家のエドワード・プランケット・テイラー氏です。

テイラー氏は、世界的大種牡馬・ノーダンダンサーを生産したことでも知られています。


ニジンスキーの父はそのノーダンダンサーで、前述にように、後にノーダンダンサーは、世界的大種牡馬となります。

母のフレーミングペイジもテイラー氏の生産馬で、カナダの英ダービーにあたるクイーンズプレートを勝ち、カナダオークスも勝ち、アメリカでもケンタッキーオークスで2着となる活躍をしました。

半姉のフルール(父ヴィクトリアパーク)は、母として名馬ザミンストレルを輩出しました。


全弟ミンスキーは、アイルランドの2歳チャンピオンで、後に日本に種牡馬として輸入されています。


ノーダンダンサーは、小型で、産駒も小型馬が多い中、ニジンスキーは大型馬として知れれています。

ニジンスキーは、チャールズ・W・エンゲルハード氏に売られます。

エンゲルハード氏がニジンスキーを所有したきっかけは、アイルランドのヴィンセント・オブライエン調教師が、ニジンスキーに魅了されたことにあります。

オブライエン調教師はエンゲルハード氏の依頼で、リボー産駒を見る目的で、ニジンスキーの生産牧場を訪れますが、目的のリボー産駒よりニジンスキーに魅了されていました。

エンゲルハード氏は、リボーに魅せられたのがきっかけで馬主となり、毎年リボーの仔を持つのが恒例となっていました。

この年も素質がありそうな(優秀そうな)リボー産駒を探していました。

オブライエン調教師は、その目的(リボー産駒を見る)で、ニジンスキーの生産牧場を訪れ、ニジンスキーに魅了されたんですね。


世界的調教師であるオブライエン調教師が魅了されるとは、ニジンスキーはよっぽど魅力的だったのでしょう。

ニジンスキーに魅了されたオブライエン調教師は、エンゲルハード氏にニジンスキーの購入をすすめ、エンゲルハード氏はニジンスキーをセールで購入しました。

こうした経緯もあり、ニジンスキーはオブライエン調教師のバリードイル厩舎に入厩しました。


ニジンスキーは、1969年7月にアイルランドのアーンステークスで、リーム・ウォード騎手騎乗でデビューします。

デビュー戦は、1/2馬身差の快勝でした。

2戦目のレイルウェーステークスで2着の後の愛2000ギニー馬・デシースに5馬身差で圧勝します。

3戦目のアングルシーステークスも3馬身差で圧勝します。

4戦目のペレスフォードステークスでは再びデシースに3/4馬身差をつけて勝ちます。

5戦目にイギリスに遠征すると、レスター・ピゴット騎手騎乗で、デューハーストステークスに3馬身差で快勝、2歳のこの年を5戦5勝とします。

この年は、アイルランドとイギリスで2歳チャンピオンとなっています。

なお、これ以降もアイルランドではウォード騎手、それ以外の国ではピゴット騎手がニジンスキーに騎乗しています。


1970年、3歳のニジンスキーは、アイルランドのグラッドネスステークスに出走します。

このレースでは、前年の愛セントレジャー2着馬・ディープランに5馬身差の圧勝をします。

続いてイギリスに遠征し、
イギリスクラシック1冠目の英2000ギニーに出走します。

このレースでは、後方から追い込み、2着のイエローゴット(後に日本で種牡馬、アローエクスプレスの父)に2馬身1/2差で快勝します。


続いてはイギリス2冠目となる英ダービーに出走します。

しかし、父のノーダンダンサーが1マイル4ハロン(12ハロン、約2400メートル)のベルモントステークスで3着に敗れたことから、スタミナ不安説も出ました。


英ダービーは、当時は1マイル4ハロン(約2400メートル)で施行されていると思われていました。

ところが、1991年の計測で1マイル4ハロン10ヤード(約2323メートル)と判明、以後表記が改められて施行されています。

いずれにしても、ニジンスキーには、距離不安・スタミナ不安ですね。

しかし、そんな不安をふきとばし、
ニジンスキーは、ジルに2馬身1/2差をつけて快勝します。

優勝タイムは、マームードに次ぐ英ダービー史上2番目の速さ(当時)でした。


この英ダービーには、名前の由来となったヴァーツラフ・ニジンスキー氏の未亡人であったロモラ・ニジンスキー夫人がエンゲルハード氏によって招待されました。

自分の亡くなった夫にちなんで名づけられたニジンスキーが英ダービーを勝利すると、この瞬間思わず泣き崩れたといわれます。


続いてアイルランドに戻り、愛ダービーへ出走します。

ニジンスキーは、2着のメドウヴィルに3馬身差をつけて楽勝します。

続いてイギリスに遠征し、ヨーロッパの上半期最大のレースといわれるキングジョージY&クイーンエリザベスステークスに出走します。

このレースは、前年の英ダービー馬・ブレークニー、前年のワシントンDC国際馬・カラバスなどが出走しましたが、ブレークニーに余裕の3馬身差の快勝をしています。

その後に、ウイルス性の感染症によって発疹が出ました。

しかし、イギリスへ遠征し、イギリス3冠目の英セントレジャーに出走します。

当初、ニジンスキー陣営は、英セントレジャー出走に乗り気でなかったといいわれます。

馬主のエンゲルハード氏が英セントレジャーを施行するドンカスター競馬場から出走を要請(お願い)され、それに応えて出走した経緯があります。

同じようなケースは、日本にもありましたね。

1984年に無敗の2冠馬(当時)だったシンボリルドルフが、菊花賞かジャパンカップかで、イギリス3冠の現状(長距離戦の価値の地盤沈下、英セントレジャーの価値の低下など)から、シンボリルドルフは、菊花賞を回避し、ジャパンカップのみに出走するのでは・・・といわれました。

菊花賞は、イギリスを模範としたレース体系からイギリスでいえば、英セントレジャーにあたります。

シンボリルドルフのオーナーだった和田共弘氏が、国際派でヨーロッパに傾倒していることもその理由です。

しかし、和田氏とシンボリルドルフ陣営は、菊花賞とジャパンカップの両方に出走します。

シンボリルドルフは、菊花賞を制し、日本競馬史上初の無敗の3冠馬となりますが、当時のきついローテーション(菊花賞とジャパンカップの間が中1週、その後、ローテーションは改善されます)と下痢の体調不良、カツラギエースの逃げにノーマークだったことなどもあり、カツラギエースの3着に敗れます。

規模や条件などは違いますが、ニジンスキーの3冠と凱旋門賞の敗退(後述)は、シンボルルドルフの3冠とジャパンカップの敗退とだぶります。

日本では3冠馬の価値がまだあり、その後に、日本競馬史上2頭目の無敗の3冠馬のディープインパクトや最近では昨年(2011年)に、オルフェーヴルが日本競馬史上7頭目の3冠馬となっています。

日本では、3冠馬の価値はまだあり、ヨーロッパなどでは、3冠馬の価値がなくなってきており、国が違えば事情も違うことを感じさせます。

日本などは、スピードのある(「能力」のある、強さが抜きん出た)中距離馬が長距離も「能力」や「強さ」で克服する傾向があるためと思います。

シンボリルドルフはジャパンカップに出走し、ジャパンカップの存在感を示しましたが、日本のチャンピオンクラスの馬がジャパンカップを回避し、有馬記念に出走する傾向(ナリタブライアンやオルフェーヴルなどは、このローテーションで3冠と有馬記念を優勝)にあることは、個人的にどうかと思います。

JRAのスローガンの「世界に通用する馬づくり」の点からいえば、もっとジャパンカップを重視すべきだと個人的には思います。

伝統ある有馬記念を重視するのはわからないでもないですが、「世界」を意識した時、もっとジャパンカップを重視すべきと個人的には思います。


ニジンスキーは、前述のように英セントレジャーに出走しました。

レースは、ニジンスキーがメドウヴィルに1馬身差をつけて快勝します。

ニジンスキーが1935年にイギリスの3冠馬となったバーラム以来の
史上15頭目のイギリスの3冠馬となります。

しかも無敗でイギリスの3冠馬となったのは、オーモンドアイシングラスバーラムに次ぐ
史上4頭目の快挙です。

無敗で3冠馬となったニジンスキーは、次にフランスに遠征し、世界最高峰のレースといわれる凱旋門賞に出走します。

レースは、初めて鞭をふるわれるニジンスキーが少しひるみ、よれて、
この年の仏ダービー馬・ササフラがニジンスキーにわずかアタマ差で勝ちます

ニジンスキー生涯初の敗戦・・・

敗因は、騎乗のピゴット騎手が初めて鞭を入れた、慢心・油断があった、ピゴット騎手の「勝ち方」のこだわり(ただ勝つのではなく、「華麗」に勝とうした)、過密なスケジュール、長距離戦(英セントレジャー)に出走した疲労、競走馬としてのピークを過ぎていたなどいろいろいわれました。

敗因はいろいろあり、はっきりとはわかりませんが、過密なスケジュールで、長距離戦に出走した疲労があったと思われます。


名(イギリスの3冠馬)をとって実(凱旋門賞の勝利)を失ったといわれるニジンスキー・・・

この後、イギリスに遠征し、英チャンピオンステークスにニジンスキーは出走します。

レースは、ロレンザッチョが勝ち、ニジンスキーは1馬身1/2差の2着でした。

このレースは、凱旋門賞からわずか13日後で臨んでおり、過密なスケジュールによる疲労が考えられます。

あるいは競走馬としてピークを過ぎていたのかも知れません。

ニジンスキーの過密なスケジュール、長距離戦を使った「教訓」などから、比較的余裕のあるローテーションで、長距離戦を使わずに、ニジンスキーの成し得なかった「欧州3大レース制覇」(英ダービー、キングジョージY&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞)をした馬が、ニジンスキーのイギリスの3冠達成の翌年(1971年)に出現します。

その名はミルリーフ・・・

ミルリーフの「欧州3大レース制覇」は、ある意味で、ニジンスキーが残した「教訓」を活かして達成したものといえます。

ニジンスキーとミルリーフが対戦していたらどうなっていたでしょうか・・・。

興味深い・注目の対戦ですね。


ミルリーフはシャドーロールを装着していたことから「シャドーロールの怪物」といわれました。

日本で「シャドーロールの怪物」といえば、3冠馬・ナリタブライアンですね。

もっと古くは、アメリカからジャパンカップに出走したジョンヘンリーを思い出します。

まったくの余談ですが・・・。

欧州3大レース制覇」は、ミルリーフ以後なかなか出現しませんでしたが、ニジンスキーの死後に、ニジンスキー産駒のラムタラが、ニジンスキー自身が達成できなかった「欧州3大レース制覇」をしています。

ラムタラの戦績は、4戦4勝の無敗で、デビュー戦の勝利以外は「欧州3大レース」の勝利だというから驚きです。

ニジンスキーは、無敗の3冠馬の時点で引退していれば、あるいは「
史上最強馬」の候補だったかもしれません。

あるいは、英セントレジャーに出走しない、翌年の凱旋門賞に挑戦するといった選択肢もあったかもしれません。

高額のシンジケートが組まれ、種牡馬入りを遅らすことのできない事情もありました。

ニジンスキーは、過密なスケジュールに(けなげに)果敢に挑んだからこそ、強烈に「記憶に残る名馬」となりえたと思います。

もちろん「20世紀最後の英3冠馬」として「記録も残す名馬」となっていますが・・・。
(前述のように「最後の英3冠馬」となるかもしれません)


英チャンピオンステークス2着を最後にニジンスキーは競走馬を引退し、種牡馬となりました。

ニジンスキーは、気性の激しい馬だったといわれ、だからこそ走ったといわれています。


種牡馬となったニジンスキーは、カーリアン(仏ダービー、1988年・1991年英愛リーディングサイヤー)、グリーンダンサー(仏2000ギニー、1991年仏リーディングサイヤー)、シャーラスタニ(英ダービー、愛ダービー)、ゴールデンフリース(英ダービー)、ファーディナント(ケンタッキーダービー、ブリーダーズカップ・クラシック)、イルドブルボン(キングジョージY&クイーンエリザベスステークス、コロネーションカップ)、そして前述の無敗の「欧州3大レース」を制覇したラムタラ(英ダービー、キングジョージY&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞)などを出し、父ノーダンダンサーと同じように大成功しました。
1986年のイギリス・アイルランドのリーディングサイヤー。
アメリカでもリーディングサイヤーにはなっていませんが、リーディングサイヤー10位以内に10回ランクインしました。

日本へはマルゼンスキーをはじめ多くのニジンスキー産駒やニジンスキー系が輸入されました。


ニジンスキーは1992年に死亡しています。

□ニジンスキーを知るおすすめ作品

■競走成績
開催日 開催国 競馬場
レース名

距離


頭数
人気
着順
斤量
着差

騎手
タイム

1着(2着)


1969.7.12 愛 カラ
アーンS

T6F





126p


L.ウォード
1.14.6

(Everyday)

1969.8.16 愛 カラ
レイルウォーS

T6F





119p


L.ウォード


(Decies)


1969.8.30 愛 カラ
アングルシーS

T6F





126p


L.ウォード
1.17.3

(Everyday)


1969.9.27 愛 カラ
ペレスフォードS

T8F





126p
3/4

L.ウォード
1.42.6

(Decies)


1969.10.17 英 ニューマーケット
デューハーストS

T7F





126p


L.ピゴット
1.29.90

(Recalled)


1970.4.4  愛 カラ
グラッドネスS

T7F


12


122p


L.ウォード
1.27.6

(Deep Run)


1970.4.29 英 ニューマーケット
英2000ギニー


T8F


14


126p
2・1/2

L.ピゴット
1.41.54

(Yellow God)


1970.6.3 英 エプソム
英ダービー

T12F


11


126p
2・1/2

L.ピゴット
2.34.68

(Gyr)


1970.6.27 愛 カラ
愛ダービー

T12F


13


126p


L.ウォード
2.33.6

(Meadowville)


1970.7.25 英 アスコット
キングジョージY&クイーンエリザベスS

T12F





119p


L.ピゴット
2.36.16

(Blakeney)


1970.9.12 英 ドンカスター
英セントレジャー

T14F127Y





126p


L.ピゴット
3.06.4


(Medowville)


1970.10.4 仏 ロンシャン
凱旋門賞

T2400


15


55.5
アタマ

L.ピゴット
2.29.7

Sassafras


1970.10.17 英 ニューマーケット
英チャンピオンS

T10F





119p
1・1/2

L.ピゴット
2.05.8

Lorenzaccio



■5代血統図
Phalaris5×5、Selene5×5
Northern Dancer

1961 鹿毛
Nearcic

1954 黒鹿毛
Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma

957 鹿毛
Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose
Fiaming Page

1959 鹿毛
Bull Page

1947 鹿毛
Bull Lea Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Rose Leaves Ballot
Colonial
Our Page Blue Larkspur Black Servante
Blossm time
Occult Dis Donc
Bonnie Witch
Flaring Top

1947 栗毛
Menow Pharamond Phalaris
Selene
Alcibiades Supremus
Regal Roman
Flaming Top Omaha Gallant Fox
Flambino
Firetop Man O’War
Summit


■ネットビジネス研究

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