西村幸生 |
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■西村幸生■野球選手■酒仙投手 右投右打 身長167センチ、体重64キロ 1910年11月10日−1945年4月3日 西村幸生(にしむら・ゆきお)は、1937年秋、1938年春の大阪が最強だった時のエースで、特に1937秋には、15勝で最多勝のタイトルを獲得 (他に防御率1.48で最優秀防御率のタイトルも獲得) (ちなみに、1938年春は11勝で、防御率1.53で最優秀防御率のタイトルを獲得) お酒が好きだったことから「主戦投手」をもじり、「酒仙投手」とも呼ばれた ■履歴 ▼プロ しかし、「酒豪」といわれるほどではなく、一人で人一倍の練習をしていたり、宿舎では禁酒の規則を守っていたとも 酒を飲んで暴れても、翌日にすばらしい投球で勝ち投手になったことも 制球力があり、当時の監督の石本秀一は「コントロールは、稲尾和久と西村が双璧だった」といっている 巨人・沢村栄治と同郷で、沢村との対戦を望み、関西大から大阪に入団した 1937年秋には、沢村らに投げ勝ち、大阪優勝の立役者に このシーズンは、15勝を挙げ、最優秀防御率と最多勝のタイトルを獲得し、MVPに 翌1938年春も最優秀防御率のタイトルを獲得s ▼プロ後 1940年に実業団でプレーし、引退 1943年から兵役、1945年に戦死、34歳没 1977年に野球殿堂入り(日本) 投手成績・・・ 3年、防御率2.01、55勝21敗 MVP1回、最優秀防御率2回、最多勝1回 初代巨人キラー=阪神の名投手西村幸生の生涯 戦前に、阪神が最強だった時のエース 酒仙投手といわれた伝説の投手、初代巨人キラー |
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