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大山倍達
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■大山倍達■空手■極真空手の創始者、ゴッド・ハンド、牛殺し

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大山倍達 1923年7月27日−1994年(平成6年)4月26日 (生年月日は韓国籍では1922年7月27日)

大山倍達は自身が創設した極真空手を世界的組織に育て、直接打撃によるフルコンタクト空手の大会を本格的に行った最初の人物として知られています。
早くからウエイトトレーニングを取り入れ、全米各地でプロレスラーやプロボクサーと対決したり、ビール瓶の首を手刀で切り落とすデモンストレーションを行い、「ゴッドハンド」と呼ばれました。
帰国後は牛との戦いも行い、合計47頭と対決していずれも倒し、うち4頭は即死だったといわれます。
このため「牛殺しの大山」ともいわれました。
多くの名だたる弟子を育て、その中からは極真を離れて独立した者も多く、格闘技の世界に大きな影響力を残しました。
(一例を挙げれば打撃系格闘技の巨大イベントのK−1は大山倍達の流れを汲む正道会館の石井和義によって興されました)

■履歴
大山倍達は朝鮮で朝鮮人の両親の間に生まれ、朝鮮名は崔永宜、帰化後の日本名が大山倍達です。
大山の姓は書生として住み込んでいた大山家(後に大山倍達の弟子となる大山茂、大山泰彦の実家)から、倍達は朝鮮の英雄・倍達国から採ったといわれます。

大山が最初に習った武術は朝鮮に伝わる借力(チャクリキ、シャクリキとの読みも)拳だといわれています。
(一時期、K1のピーター・アーツが所属していたオランダのキックボクシングジム「チャクリキ」はここから採ったといわれます)
(借力拳では借力の修行法を現在流に組み直したとされる力抜山氏が知られています、彼は「虎殺し」を2度行ったといわれていますが、真偽はわかりません)

幼少期を朝鮮半島、満州で過ごした大山は16歳で山梨県の山梨航空機関学校に入学し、石原莞爾の東亜同盟に参加し、軍人を志すも、卒業前に終戦を迎えます。
その後に卒業、拓殖大学卒業、早稲田大学を中退したとされます。

空手は松濤館流、剛柔流を主に学んだとされ、他に大東流合気柔術、講道館柔道、ボクシングも学んだといわれます。
空手の修行で「山篭り」も行っています。
また空手にさほど取り入れてはいなかったウエイトトレーニングを本格的に取り入れました。

1947年(昭和22年)に京都で行われた戦後初の全日本空手道選手権で優勝したとされます。
(大山によれば、当時は一般的であった「寸止め空手」であったとされます)

その後、全米各地でプロレスラーやプロボクサーと対決し、それらをことごとく破ったり、ビール瓶の首を手刀で切り落とすデモンストレーションを行い、「ゴッドハンド」と呼ばれました。
帰国後は牛との戦いも行い、合計47頭と対決していずれも倒し、うち4頭は即死だったといわれます。
このため「牛殺しの大山」ともいわれました。
大山道場から極真会館を設立し、当時の主流であった「寸止め」の空手大会に対し、直接打撃によるフルコンタクト空手のオープントーナメントによる大会を開き、その後の極真空手は、日本はもちろん世界にも広がりました。
(極真空手の大会は手技による顔面攻撃無しの直接打撃だったが、スーパーセーフ着用やグローブ着用で手技による顔面攻撃有りの直接打撃の大会を行う団体も登場し、極真の流れを汲む正道会館がキックボクシングに近いルールで行う打撃系の格闘技イベントのK−1を興しました、ちなみにK−1王者・アンディ・フグも極真空手出身です)
多くの名だたる弟子を育て、その中からは極真を離れて独立した者も多く、極真空手は直接間接を問わず格闘技の世界に大きな影響力を残しました。

1994年(平成6年)4月26日に死去。享年70。

▼大山倍達の評価
大山倍達は、当時の空手で重視されることの少なかった「力(パワー)」をアップすることにも力を注ぎました。
一般的な空手の修行に加えウエイトトレーニングを取り入れ、30代の頃には身長175センチ、体重85キロ、胸囲に至っては132センチという見事な体格を作り上げました。
ウエイトトレーニングは日本ボディビル界の祖といわれ「怪力法」の著者でも知られる若木竹丸から指導を受けたといわれます。
これは進駐米軍の軍人との喧嘩などで外国人のパワーを思い知り、パワーの必要性を感じたためといわれます。
現在の格闘技にパワーは必要な要素であり、大山の先見性を感じます。

異常に握力が強く(もちろん鍛錬により強化されたのだろうが)、3本の指で10円硬貨を曲げたといわれます。
この「10円硬貨曲げ」は多くの猛者を輩出した極真空手史上でも現在まで大山しか出来なかったといわれています。

極真空手の世界的広がりは、大山の「牛殺し」などの伝説的強さはもちろんですが、それらを時にはオーバーに伝えた漫画「空手バカ一代」や大山の多数の著作、極真空手を取り扱った映画、大山道場から現在までに多く輩出した極真空手の猛者の存在も大きかったと思います。

▽百人組手
百人組手は、1人の空手家が連続して100人の空手家と組手を行うもので、極真空手で最も過酷な荒行といわれています。
2008年9月現在、百人組手を達成したのは以下の9名といわれています。

ハワード・コリンズ
三浦美幸
松井章圭
アデミール・ダ・コスタ
三瓶啓二
増田章
八巻建志(現在は建弐に改名)
フランシシスコ・フィリォ
数見肇

▼極真空手〜独立、分裂
極真空手は前身の大山道場時代も含め多くの猛者を輩出しました。
以下に独立した主な団体や代表者、実績者、大山倍達の死後に分裂した極真各派についても簡単に示します。

▽大山道場
石橋雅史
安田英治(「ケンカ十段」の異名をとったといわれる)

▽大山倍達が存命中に独立した主な団体とその代表
目白ジム−黒崎健時(目白ジムはキックボクシング中心のジム)
ワールド大山空手−大山茂、大山泰彦(弟子に「熊殺し」といわれ、極真世界大会にも出場したウイリー・ウイリアムス)
誠道塾−中村忠(大山倍達から副館長を打診されたともいわれる)
芦原会館−芦原英幸(「サバキ」という独自の技術体系を確立、弟子に円心会館の二宮城光、正道会館の石井和義)
逆真会館−山崎照朝(第1回全日本選手権優勝、天才といわれた)
士道館−添野義二(山崎照朝のライバルといわれた)
佐藤塾−佐藤勝昭(第1回世界大会優勝、全日本2回優勝)
大道塾−東孝(大道塾の大会優勝者にはK−1王者のセーム・シュルトの名前も)
円心会館−二宮城光(師匠の芦原英幸とともに独立するも、後に芦原会館を離れて円心会館を設立)

▽大山倍達の死後に分裂した主な極真各派
大山の死後、彼の遺言により松井章圭が極真会館を継承しましたが、その後に遺言を無効とするあるいは松井館長に反対の各グループなどが各派に分裂することになります。
以下に分裂した主な各派と大山倍達の死後に独立した主な団体と代表者を示します。

・極真会館(松井派)
松井章圭(百人組手達成、全日本2連覇に続いて世界大会優勝)
中村誠(極真の最大の大会である世界大会の2連覇、全日本優勝)

・極真館
盧山初雄(全日本優勝、ローキックの鬼、太気拳の澤井健一や拳道会の中村日出夫の下で修行した時期あり)

・全日本極真連合会
長谷川一幸(全日本優勝)
増田章(百人組手達成、全日本優勝、松井章圭、黒澤浩樹とともに「3強」と呼ばれた、増田道場設立)

・新極真会
三瓶啓二(百人組手達成、全日本3連覇)
緑健児(世界大会優勝の小さな巨人)

・極真会館 宗家
大山倍達の遺族を中心に設立

・極真会館 松島派
・極真会館 手塚グループ
極真会館宗家(旧遺族派)より分裂

▽大山倍達の死後に独立した主な団体と代表者
三浦道場−三浦美幸(百人組手達成、全日本優勝)
黒澤道場−黒澤浩樹(全日本優勝、格闘マシーンといわれた、一時期K−1のリングに上がる)
八巻空手−八巻建弐(百人組手達成、全日本優勝2回、世界大会優勝)
数見道場−数見肇(百人組手達成、全日本5回優勝は極真最多優勝)

大山倍達の創設した極真空手は独立や分裂がありながらも格闘技の世界で大きな存在であり続けています。
そのことは創設者である大山倍達の存在も大きいのだと思います。

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