歴代横綱メモ(初代〜10代+雷電為) |
代 | 四股名(ふりがな)〜生没年月日〜出身地 |
当該横綱に関する簡単なメモ 注)横綱在位は横綱在位(推挙年齢-引退年齢)を示す、表示は西暦 |
初代 | 明石 志賀之助(あかし しがのすけ)〜生没年月日不詳〜栃木県 |
初代横綱とされる人物であるが実質性は疑問視されている。 横綱在位・不詳 本名・山内 志賀之助とされる。 身長251.5cm、体重184kgという体格データも一般的には信じ難い。 通算成績 不詳 京都で身長227cmの強豪・仁王仁太夫と対決し、明石は頭より上に差し上げられるが、空中で一回転し、飛び蹴りで仁王を倒して、朝廷より同一の意味ではないが、横綱とも関連する「日下開山」の称号を受けたとされる。 架空の人物であるとの説が有力である。 |
2代 | 綾川 五郎次(あやがわ ごろうじ)〜元禄16(1703)年?−明和2(1765)年1月23日〜栃木県 |
2代横綱とされる人物であるが実質性は疑問視されている。 横綱在位・不詳 本名・不詳 身長、体重ともに不詳 通算成績 不詳 茨城県の出身であるとの説もあり、3代の丸山権太左衛門を2代とし、綾川を3代とする説もある。 |
3代 | 丸山 権太左衛門(まるやま ごんたざえもん)〜正徳3(1713)年−寛延2(1749)年11月14日〜宮城県 |
3代横綱とされる人物であるが実質性は疑問視されている。 横綱在位・不詳 本名・芳賀 銀太夫とされる。 身長197cm、体重170kgとされる。 通算成績 不詳 2代の綾川五郎次を3代とし、丸山を2代とする説もある。 風流人であり、俳号は巴重、「ひと握り いざ参らん 年の豆」の句が伝わる。 長崎巡業の際に病気で現役死したとされる。 |
4代 | 谷風 梶之助(たにかぜ かじのすけ)〜寛延(1750)年8月8日−寛政7(1795)年1月9日〜宮城県〜現役死 |
4代横綱であるが、5代の小野川喜三郎とともに実質的に最初の横綱とされる。 横綱在位・寛政元(1789)年11月-寛政6(1794)年11月(39-44) 本名・金子 与四郎 身長189cm、体重169kg 通算成績 49場所 258勝14敗16分16預5無勝負112休、勝率9割4分9厘、優勝相当21回 (横綱成績 11場所 55勝2敗5分1預2無勝負36休、勝率9割6分5厘、優勝相当3回) 史上2位となる63連勝をした超強豪で、インフルエンザにより35連勝のまま現役死した。 詳細は史上最強力士RANKING内の谷風梶之助を参照 |
5代 | 小野川 喜三郎(おのがわ きさぶろう)〜宝暦8(1758)年−文化3(1806)年3月12日〜滋賀県 |
5代横綱であるが、4代の谷風梶之助とともに実質的に最初の横綱とされる。 横綱在位・寛政元(1789)年11月-寛政10(1798)年10月(31-39) 本名・川村 喜三郎 身長176cm、体重135kg 幕内通算成績 23場所 144勝13敗4分10預3無勝負40休、勝率9割1分7厘、優勝相当7回 (横綱成績 11場所 68勝5敗2分3預2無勝負24休、勝率9割3分1厘、優勝相当4回) 谷風の連勝記録を63で止め、対谷風戦3勝6敗2分2預3無勝負と善戦した。 体格、地力で上回る谷風に対して駆け引き、技術で対抗したといわれる。 前に谷風、後に雷電為右エ門という超強豪に挟撃される悪戦苦闘の相撲人生ながら、見事な成績を残した。 詳細は史上最強力士RANKING内の小野川喜三郎を参照 |
参考 | 雷電 為右エ門(らいでん ためえもん)〜明和4(1767)年−文政8(1825)年2月21日〜長野県 |
横綱にはなっていないが、その圧倒的成績と多くの逸話、伝説により史上最強力士ともいわれる。 身長197cm、体重170kg 本名・関 太郎吉 通算成績 35場所 254勝10敗2分14預5無勝負41休、勝率9割6分2厘、優勝相当28回 「横綱力士碑」に「無類力士」として特別に顕彰された別格の超強豪。 詳細は史上最強力士RANKING内の雷電為右エ門を参照 |
6代 | 阿武松 緑之助(おうのまつ みどりのすけ)〜寛政6(1794)年?−嘉永4(1852)年12月29日〜石川県 |
6代横綱 横綱在位・文政11(1828)年2月-天保6(1835)年10月(36-44) 本名・佐々木 身長173cm、体重135kg 幕内通算成績 26場所 142勝31敗24分8預1無勝負37休、勝率8割2分1厘、優勝相当5回 (横綱成績 15場所 64勝16敗20分6預27休、勝率8割0分0厘、優勝相当1回) 戦略的な立会いが多く、「待った待ったと、阿武松じゃあるめぃし」との当時の流行語を生んだとされる。 ライバルである7代の稲妻雷五郎に記録面では完全に圧倒されたが、両者の対戦成績では5勝4敗5分1預と勝ち越した。 詳細は史上最強力士RANKING(RANKING外の強豪力士)内の阿武松緑之助を参照 |
7代 | 稲妻 雷五郎(いなづま らいごろう)〜享和2(1802)年−明治10(1877)年3月29日〜茨城県 |
7代横綱 横綱在位・文政13(1829)年9月-天保10(1839)年11月(32-41) 本名・根本 才助 身長188cm、体重145kg 幕内通算成績 25場所 130勝13敗14分3預1無勝負73休、勝率9割0分9厘、優勝相当10回 (横綱成績 17場所 82勝8敗12分1預1無勝負56休、勝率9割1分1厘、優勝相当6回) 6代の阿武松と一時代を築いた強豪。 現在にも残る「相撲訓」を著し、風流人としても知られる。 詳細は史上最強力士RANKING内の稲妻雷五郎を参照 |
8代 | 不知火 諾右エ門(しらぬい だくえもん)〜享和元(1802)年−嘉永7(1854)年7月27日〜熊本県 |
8代横綱 横綱在位・天保11(1840)年11月-天保15(1844)年1月(39-42) 本名・近久 信次 身長176cm、体重135kg 幕内通算成績 14場所 48勝15敗3分2預1無勝負65休、勝率7割6分2厘、優勝相当1回 (横綱成績 5場所 15勝7敗3分2預37休、勝率6割8分1厘、優勝相当0回) 名前の「だくえもん」は「なだえもん」と読むなどの説あり。 9代の秀の山雷五郎、大関の劔山谷右エ門とともに「天保の三傑」といわれた。 |
9代 | 秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう)〜文化5(1808)年−文久2(1862)年5月19日〜宮城県 |
9代横綱 横綱在位・弘化4(1847)年9月-嘉永3(1850)年3月(39-41) 本名・菊田 辰五郎→橋本 辰五郎 身長164cm、体重162kg 幕内通算成績 27場所 112勝21敗33分2預96休、勝率8割4分2厘、優勝相当6回 (横綱成績 6場所 13勝3敗5分2預37休、勝率8割1分3厘、優勝相当0回) 歴代横綱で最も身長が低い。 8代の不知火諾右エ門、大関の劔山谷右エ門とともに「天保の三傑」といわれた。 |
10代 | 雲竜 久吉(うんりゅう ひさきち)〜文政5(1822)年−明治23(1890)年6月15日〜福岡県 |
10代横綱 横綱在位・文久元(1861)年9月-元治2(1865)年2月(38-41) 本名・塩塚 久吉→佐藤 喜太郎 身長179cm、体重135kg 幕内通算成績 26場所 127勝32敗15分5預55休、勝率7割9分9厘、優勝相当7回 (横綱成績 8場所 37勝15敗5分22休、勝率7割1分1厘、優勝相当1回) 横綱土俵入りにおける不知火型の考案者とされる。 (雲竜型の考案者は11代の不知火光右エ門とされ、後世に考案者と型が入れ替わったといわれる) 入幕から4場所連続優勝相当という驚くべき成績を挙げた。 なお、不知火光右エ門との対戦成績は1勝6敗1分1預だった。 |
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歴代横綱メモ(初代〜10代+雷電為) |