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李書文
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■李書文■中国武術(八極拳)■二の打ち要らず、神槍

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李書文 1864年−1934年

李書文は牽制あるいは相手の技を受ける一撃のみで勝負を決したことから「二の打ち要らず」といわれ、槍にも秀でていたことから「神槍」ともいわれました。
(「二の打ち要らず」はいわゆる「一撃必殺」に近いかもしれません)
実戦において無敗であり、数々の伝説、逸話から最強の武術家の一人との評価もあります。
(最強の武術家の評価には賛否両論あり、後述)

■履歴
李書文は幼少より武術を好んだといわれますが、本格的にのめり込んでいったのは30歳頃だといわれます。
小柄で痩身であったが、その外見から想像出来ぬ怪力を示す逸話があり、また前述したように実戦において無敗で数々の伝説、逸話を持ちます。
李書文は八極拳の使い手として知られていますが、八極拳は接近戦を得意としており、補完する形で遠距離戦を得意とする劈掛掌を合わせて学ぶことが多く、李書文も八極拳の他に劈掛掌を学んでいます。
非常に激しい気性で知られましたが、家族には優しかったといわれます。
1934年に亡くなっています。享年70。

▼伝説、逸話
李書文の主な伝説、逸話を以下に列記します

「怪力」を示す伝説、逸話
・燕京一の力自慢と力比べをした際、李が石壁に刺した長さ三尺の鉄棒を、その力自慢は半日かけても抜くことが出来なかった

・得意技である猛虎硬爬山の鍛錬で重さ100キロ以上もある石のローラーを2メートル以上の高さがある場所に投げ上げた


「強さ」を示す逸話
・山東省で「鉄頭王」と呼ばれた武術家と対決において李が「あなたは私を三回打って良い、その後に私が一度だけ打つ」と言い、怒った相手が李を3回打つもびくともせず、その後に李が相手の頭を一度だけ打つと相手の頭が胴にめりこみ即死した

・北京である武術家との対決において牽制の一打のみで相手を打ち殺してしまった
(逮捕を恐れ慌てて地元の滄州へ帰ったといわれます)

李は実戦においてほとんどを牽制あるいは相手の技を受ける一撃のみで倒したことから「二の手要らず」といわれました

・壁に止まっている数匹の蠅を壁に傷つけることなく全て槍で突き落とした

李は槍も得意としており、槍の対決においても相手を悉く倒したといわれ、「神槍」といわれました

▼李書文の評価
李は「強さ」を示す数々の伝説、逸話がある一方で、その「強さ」に否定的な見解もあります
いわく李書文は「お山の大将」レベルの「強さ」であり、(李の流派である)八極拳も李書文も中国ではそれほど著名ではない、伝説、逸話もオーバーである・・・

おそらく李書文が日本で知られたのは、八極拳を日本に紹介した中国武術家で中国武術研究家の松田隆智氏とその松田氏が原作に関わった漫画「拳児」、さらには漫画「男組」などによってだろうと思います。
松田氏によって李書文の「最強神話」が強調された面もあると思います。


しかし個人的には李書文の「強さ」を肯定的に受け止めます。
伝説や逸話は仮にオーバーであっても「強さ」が無ければ生まれないものであり、実戦において無敗であったことも李書文の「強さ」に肯定的な理由です。
その「強さ」が最強であったかどのレベルの「強さ」かは分かりませんが、個人的にはかなり強かったのではと思います。

余談ながらやはり実戦において無敗ながらその「強さ」に否定的な見方もある人物として日本では宮本武蔵が挙げられます。
いわく宮本武蔵は「強い相手を避けていた」・・・
この見方は最近では「400戦無敗」といわれる柔術のヒクソン・グレイシー(ブラジル)にもありました。
ちなみに宮本武蔵とヒクソン・グレイシーの「強さ」についても個人的には肯定的です。
その「強さ」が最強であったかどのレベルの「強さ」かは分かりませんが、この二人も個人的にはかなり強かったのではと思います。

李書文の著名な弟子には中国最後の皇帝(ラストエンペラー)・愛新覚羅溥儀に八極拳を指導し、溥儀のボディーガードにもなった霍殿閣、台湾総統府侍衛隊の武術教官となった劉雲樵がいます。
皇帝の拳法となり、台湾総統府侍衛隊でも採用された八極拳・・・その背景には李書文の存在とその「強さ」もあったのだと思います。

▼死因
李書文の死因にはいくつかの説があります。

・「試合に負けた武術家の家族に毒殺された」という毒殺説

・「病を患ったまま修行を続け、最後は椅子に座したまま死去した」とうい病死説

・「自分の息子が喧嘩で散々な目にあった事に腹を立てた李が喧嘩の相手を探したが見つからず、怒りで発狂した」という発狂説

死因が複数あるのも激動の人生だった武術家・李書文らしいのかのしれません。
ちなみに李の家族は死因を病死としています。

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