荒法師・文覚上人をも圧倒した歌人・西行法師の「迫力」 |
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■荒法師・文覚上人をも圧倒した歌人・西行法師の「迫力」■ □西行を知るおすすめ作品 鎌倉時代の西行法師は、自然を友とし、旅と歌を愛した人物として知られています。 西行は、元々は北面の武士でしたが、友人の死あるいは自身の失恋をきっかけに出家したといわれ、出家後はおもむくままに草庵をいとなみ、たびたび漂泊の旅をし、多くの歌を残しました。 僧侶としてより歌人としての方が有名かもしれません。 しかし西行は、歌人という「文人」の中に「武人」にもひけをとらない高僧としての「凄み」や「迫力」を内実していたようです。 西行の「凄み」や「迫力」を感じるエピソードとして、西行の数あるエピソードの中で最も好きなのは、文覚との対面についてのエピソードです。 文覚は、西行と同時代に生きた鎌倉時代の僧侶です。 気性が激しく、荒行により法力を身につけたとされる怪僧、荒法師として知られていました。 西行同様に、元々は北面の武士でしたが、恋人の夫(つまり恋人は人妻)を殺そうとして誤って恋人を殺害してしまい、出家したといわれます。 文覚は、神護寺の再興を訴えて後白河法皇の不興をかい、伊豆へ流されますが、ここで後に鎌倉幕府を開く源頼朝と対面し、感じ入った頼朝は、文覚に帰依したといわれます。 頼朝の挙兵は、文覚のアドバイスがきっかけとの説もあり、後に、文覚の平家の嫡流6代の助命も受け入れています。 頼朝が文覚には一目置いていたことは確かのようで、文覚は、只者ではない怪僧というべき存在だったのは間違いありません。 「井蛙抄」によれば、文覚は、僧侶でありながら仏門の修行もせず歌道の研鑽ばかりをしている西行を毛嫌いしており、「出会う機会があれば、(西行の)頭を打ち割ってやる」と公言していました。 (文覚が再興を進めた)神護寺の法会が行われた際に、参列した西行は文覚に一夜の宿をたのみます。 手ぐすねひいて待っていた文覚は、しばらく西行を見つめていましたが、やがてねんごろに招き入れて歓待して翌朝に西行を帰したといわれます。 西行との出会いにハラハラしていた文覚の弟子たちが、西行が帰った後に文覚の日頃の言動とは違うことを指摘すると、文覚は「あれ(西行)が文覚に打たれるものの面構えか、文覚こそ打たれるべきものだ」といったとされます。 後に天下に号令した頼朝をも圧倒した文覚が圧倒されるのですから西行の「凄み」や「迫力」はどんなものだったのかと驚かされます。 西行は、たしかに文覚のような仏門の荒行をやっていたわけではありませんが、自然を友とし、旅を通して歌を詠むこと自体が、自然という修行の場での修行であったのかも・・・。 自然という「無限の修行場」で修行した西行は、仏門の寺という「有限の修行場」で修行した文覚にとっては根本的なスケールで違ったのかもしれません。 自然を友とし、旅をし、歌を詠っているうちに仏門の荒行に勝る修行を「自然」にしていたということでしょうか。 このエピソードは、西行の「凄さ」や「迫力」を示すエピソードにはなっていますが、西行に内実する「凄さ」や「迫力」を感じ取った文覚も只者ではないと思います。 事実、臨席していた文覚の弟子たちは、文覚の西行に対する接し方について日頃の言動と違うと指摘しているように、西行の本当の意味での「凄み」や「迫力」に気づいていません。 西行は、勧進で奥州へ赴く際に、文覚同様に頼朝と対面していますが、弓矢や歌について問われますが答えず、その後の再度の求めで詳細に語ったとされます。 頼朝との面会でも文覚同様に頼朝を圧倒したようですね。 その点では西行は文覚以上の怪僧といえます。 弓矢について詳細に語れることからもわかるように武芸に優れていたようで、各地を旅した際に修験道の修行にも参加したこともあるとされ、体力面でも優れていたようです。 西行は頼朝から拝領した純銀の猫を通りすがりの子供に与えたといわれます。 このエピソードも私の好きな西行のエピソードです。 自然を友とした西行について簡潔にまとねられている「西行(岩波新書)」・・・ 最適な西行の入門書・・・ □西行を知るおすすめ作品 |
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荒法師・文覚上人をも圧倒した歌人・西行法師の「迫力」 |