史上最強馬RANKING−日本 |
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■史上最強馬RANKING−日本■ |
順位 | 馬名 | 生年 没年 |
生産 調教 |
競走成績 | |
1 | シンボリルドルフ | 1981 2011 |
日本 日本 |
16戦13勝 | 人知を超えた皇帝 |
2 | ディープインパクト | 2002 2019 |
日本 日本 |
14戦12勝 | 深い衝撃を与えた驚異の末脚 |
3 | エルコンドルパサー | 1995 2002 |
アメリカ 日本 |
11戦8勝 | 世界制覇に最も近づいた日本調教馬 |
3 | サイレンススズカ | 1994 1998 |
日本 日本 |
16戦9勝 | 稀代の快速ランナー |
3 | シンザン | 1961 1996 |
日本 日本 |
19戦15勝 | ナタの切れ味の5冠馬 |
3 | マルゼンスキー | 1974 1997 |
日本 日本 |
8戦8勝 | 桁違いのスーパーカー |
7 | スペシャルウィーク | 1995 2018 |
日本 日本 |
17戦10勝 | 最強世代の日本ダービー馬 |
7 | グラスワンダー | 1995 |
アメリカ 日本 |
15戦9勝 | グランプリ3連覇の怪物 |
9 | サクラローレル | 1991 2020 |
日本 日本 |
22戦9勝 | 遅れてきた最強馬 |
9 | ナリタブライアン | 1991 1998 |
日本 日本 |
21戦12勝 | シャドーロールの怪物 |
9 | テイエムオペラオー | 1996 2018 |
日本 日本 |
26戦14勝 | 完全無欠の王者 |
12 | メジロマックイーン | 1987 2006 |
日本 日本 |
21戦12勝 | 父子3代天皇賞馬 |
13 | トウカイテイオー | 1988 2013 |
日本 日本 |
12戦9勝 | 皇帝の継承者である帝王 |
14 | ビワハヤヒデ | 1990 |
日本 日本 |
16戦10勝 | 安定した強さ |
15 | マヤノトップガン | 1992 2019 |
日本 日本 |
21戦8勝 | 栗毛の弾丸 |
15 | タマモクロス | 1984 2003 |
日本 日本 |
18戦9勝 | 稲妻の遺伝子 |
15 | オグリキャップ | 1985 2010 |
日本 日本 |
32戦22勝 | 競馬ブームの立役者 |
18 | トウショウボーイ | 1973 1992 |
日本 日本 |
15戦10勝 | 天馬 |
18 | テンポイント | 1973 1998 |
日本 日本 |
18戦11勝 | 流星の貴公子 |
18 | スピードシンボリ | 1963 1989 |
日本 日本 |
43戦17勝 | 時代の先駆者 |
18 | ミスターシービー | 1980 2000 |
日本 日本 |
15戦8勝 | 後方一気の3冠馬 |
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史上最強馬RANKING−日本について |
始めにお断りするのは、時代の違う競走馬の強さを比較するのは、非常に難しいということです。 結局は、数字(成績、記録、タイム)の比較、レース内容、伝説、逸話の検証、そして最後にはランキング作成者の主観で選考されることになります。 ▼選考基準 「史上最強馬RANKING−日本」を作成する際に選考の基準としたものは以下の通りです。 ・現役時代の強さを最大の選考要素とする ・1951年生まれ以降を選考対象とする ・選考条件は芝2400メートル前後での強さをを選考の中心とする ・基本的に国内レースを選考要素とする ・日本調教馬である ・成績、記録、タイム、レース内容、伝説、逸話を選考の参考とする ・各世代のレベルを選考の参考にする ・現役引退後の種牡馬生活も選考要素に入れる ・競馬界への功績や貢献度も選考要素に入れる ・ランキング対象は現役引退馬 ・ランキング対象にディープインパを入れる ・ランキング作成者の主観 ▼選考基準の解説 ・現役時代の強さを最大の選考要素とする 「日本競馬における史上最強馬」の選考であるので、最大の選考要素が現役時代の強さであることはいうまでもありません。 ・1951年生まれ以降を選考対象とする 競馬はブラッド・スポーツ(血のスポーツ)といわれるように、血統の改良の歴史でもありました。 血統の改良、スピード化、馬場の改良が歴史とともに行われました。 現在の走破タイムは、血統の改良によるスピード化と馬場の改良により、昔よりも大幅に短縮されています。 スピードにおいては、戦前の競走馬では、現在の競走馬にはるかに及びません。 走破タイムだけが強さの基準ではありませんが、それでも「絶対スピード」にはるかな違いがあることも事実です。 そこで選考対象を戦後丸5年以上を経過した1951年生まれ以降の競走馬としました。 当然、戦前のクリフジなど、1950年生まれ以前に規格外に強かった競走馬もいますが、そのような競走馬は、海外の競走馬も含め、「1950年生まれ以前の名馬INDEX」として紹介し、「史上最強馬RANKING−日本」の対象から除外しました。 ・選考条件は芝2400メートル前後での強さをを選考の中心とする 競馬のスピード化とも関係しますが、昔は「長距離を勝つ馬が最強」との考えが強かったのが、競馬のスピード化とともに「最強」を基準となる距離が時代を経るごとに短縮化されてきました。 選考条件として、現在欧米で「チャンピオン・ディスタンス」、「クラシック・ディスタンス」とされることが多い芝2400メートルの前後を中心と考えました。 (すでに芝2400メートルは長距離で、芝2000メートル前後を最強の基準とする考え方もあるようですが、凱旋門賞、英ダービー、ブリーダーズカップ・ターフといった世界の主要レースの距離である芝2400メートル前後を最強の基準の中心に考えました) 芝2400メートルを中心に、短距離馬を軽視するわけではありませんが、芝2000メートル以上に適正のある中・長距離馬がほとんど選考対象となりました。 ・基本的に国内レースを選考要素とする 「日本競馬における史上最強馬」の選考であるので、基本的に国内でのレースを選考要素にします。 ちなみに、海外でのレースを含めた「日本最強馬RANKING−日本」を作成すると、上位は以下の通りです。 1位 エルコンドルパサー(凱旋門賞2着、サンクルー大賞優勝は、日本競馬史に残る快挙) 2位 ディープインパクト(凱旋門賞3着入着後の失格は残念でしたが、、シンボリルドルフに続く無敗の3冠達成を含む7冠) 2位 シンボリルドルフ(無敗の3冠達成を含む7冠) 4位 サイレンススズカ(日本調教馬では唯一エルコンドルパサーに勝利、その圧倒的逃げ脚) 4位 シンザン(5冠馬) 4位 マルゼンスキー(大レースでの勝利はないものの、圧倒的スピードと8戦8勝の戦績) ・日本調教馬である 「日本競馬における史上最強馬」の選考であるので、日本調教馬を選考の対象とします。 ・成績、記録、タイム、レース内容、伝説、逸話を選考の参考とする 現役時代の強さの基準となるのが、数字(成績、記録、タイム)です。 その中でも成績、記録は、時代が違うので完全な比較は出来ないものの、ある程度は、客観的に比較しえる要素の一つとはなると思います。 タイムは、レースの展開、馬場状態にも左右されるので、必ずしも強さと一致するわけではありませんが、強さの要素の一つとしては捉えることが出来ます。 同じように着差も強さに比例するわけではありませんが、強さの要素となる面もあります。 着差が強さに比例しないのは、シンザンのような直線で大きな差をつけずに抜け出すタイプの名馬もいるからです。 近年では、シンボリルドルフやテイエムオペラオーがこのタイプの名馬です。 ただし、シンボリルドルフは、国内最後のレース(1985年の有馬記念)でミホシンザンを4馬身ちぎったように、大きな着差をつける勝ち方も出来たと思われます。 競走馬の場合、数字は多くの場合、参考程度となるケースが多いと思います。 相手関係やレースの内容によって数字は大きく変わるからです。 個人的に強さの基準で最も重視するのは、レース内容です。 レースの格、レースにおける対戦相手のレベル、(着差にかかわらず)強い勝ち方、あるいは負けても「負けてなお強し」と思わせる負け方などが重要な要素と考えます。 そしてそれ以外の比較要素としては、伝説、逸話が挙げられます。 伝説や逸話には、誇張もあるかもしれませんが、「強さ」の参考には、ある程度はなると思います。 ・各世代のレベルを選考の参考にする 時代の違う競走馬を比較する以上は、個々の強さの比較検討をするのは当然ですが、各世代の強さの比較も選考の参考としました。 たとえば近年では、エルコンドルパサー、スペシャルウィーク、グラスワンダーの1995年生まれは「強い世代」だったと考えます。 その中で「3強」といわれた上記3頭は、当然評価が高くなります。 ・現役引退後の種牡馬生活も選考要素に入れる 現役引退後の種牡馬生活もある程度は選考の参考にしました。 ・競馬界への功績や貢献度も選考要素に入れる 現役時代の活躍、現役引退後の種牡馬生活につながる部分もありますが、競馬界への功績や貢献度も選考要素に入れました。 ・ランキング対象は現役引退馬 ランキングの対象は、評価の定まった現役引退馬に限らせていただきました。 ・ランキング対象にディープインパクトを入れる ランキングにディープインパクトを入れたく、2001年(21世紀)以後に生まれたディープインパクトはランキング対象です。 世界の競走馬を扱った史上最強馬RANKINGは、2001年生まれより前に生まれた馬が対象ですが、史上最強馬RANKING−日本は、ディープインパクトを特別にランキング対象としています。 2001年(21世紀)生まれ以後の名馬(日本の場合はディープインパクトは特別にランキング対象)については、日本の競走馬も海外の競走馬も「21世紀の名馬INDEX」で取り扱います。 ・ランキング作成者の主観 最後はランキング作成者の主観となります。 各々に自分独自のランキングがあり、異論もあるとは思いますが、ランキング作成者は自分の信念によりランキングを作成しています。 そのことをご了承ください。 同じランキング(順位)での優劣は、ほとんど差はありませんが、ランキング作成者の主観的にはランキング表の順となります 例えば同じ3位では、エルコンドルパサー、サイレンススズカ、シンザン、マルゼンスキーの順となります なお血統については詳しくは記載していませんが、私なりの考えを「つぶやき」程度に簡単にコメントしています。 ▼RANKING選考のポイント 1位のシンボリルドルフは日本競馬史上初の無敗の3冠馬で、その完璧な強さと名前の由来となったドイツのルドルフ皇帝から、「皇帝」ともいわれ、その後さらに4つの大レースを制したことから「7冠馬」ともいわれました。 シンボリルドルフを管理した野平祐二調教師に「競馬に絶対はないといわれるが、(シンボリ)ルドルフにはあるんです」といわせた全幅の信頼と絶対的強さは日本競馬史上最強馬にふさわしいものがあります。 敗れた3歳時のジャパンカップ(3着)は、中1週のローテーションと展開のアヤ、4歳時の天皇賞・秋は、休み明けとハイペースでの先行と敗因がはっきりしており、「敗れてなお強し」を思わせました。 2位のディープインパクトは、その末脚の鋭さが名前のごとく「深い衝撃(ディープインパクト)」を与えました。 シンボリルドルフに続く無敗の3冠馬となり、3歳時の有馬記念での2着を除けば、日本国内で完璧な強さを誇りました。 3冠達成後、さらに4つの大レースを制し、シンボリルドルフ、テイエムオペラオーに続く「7冠」を達成しました。 凱旋門賞でも禁止薬物使用で、3着入着後に失格となりましたが、レースそのものは個人的には好走だったと思います。 シンボリルドルフを上位にしたのは、敗れたレースでの「強さ」です。 ディープインパクトの3歳時の有馬記念2着は、ローテーションや体調、レース内容に問題は無く、ある意味「敗れてなお強し」と思わせる敗因が無かったことです。 3位のエルコンドルパサーは、3歳でのジャパンカップ制覇もありますが、スペシャルウィーク、グラスワンダーという同じ「強い世代」で、わずか1戦ずつながらスペシャルウィークとグラスワンダーに先着していることがポイントとなります。 国内で敗れたのは1歳上のサイレンススズカのみです。 エルコンドルパサーの3位には、国内レースを選考要素とする点から凱旋門賞2着、サンクルー大賞制覇は選考要素に含まれておりません。 とはいえ、凱旋門賞2着、サンクルー大賞制覇は、偉業であり、エルコンドルサーの強さにつながると思いますが・・・ どこかにRANKINGに、この偉業の影響があるのかもしれませんが・・・ 海外のレースを含めたランキングではエルコンドルパサーが1位です。 海外のレースを含めたランキングについては、日本最強馬RANKING−日本(海外を含む)を参照 同じく3位のサイレンススズカは、その中距離での圧倒的スピードで逃げ、直線でまた加速するレースは、強烈な印象を残しました。 エルコンドルパサー、グラスワンダーといった強豪に楽勝した毎日王冠(1800メートル)のレースぶりは、この馬の「強さ」を見せ付けたレースとなりました。 国内でエルコンドルパサーが唯一敗れたのがサイレンススズカでした。 続く天皇賞・秋(2000メートル)でレース中に故障し、予後不良となってしまったのが惜しまれます。 無事なら天皇賞・秋を制し、ジャパンカップ(2400メートル)でエルコンドルパサーとの再戦が実現していたはずです。 個人的には距離適正でエルコンドルパサーがやや有利と推理しますが、「夢の対決」に終わってしまいました。 競走馬としてその類稀なスピードと能力は非常に魅力でしたが、種牡馬としても大きな可能性を感じました。 同じく3位のシンザンは、皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3冠と天皇賞・秋、有馬記念の2冠を加えて「5冠馬」といわれました。 19戦15勝2着4回、連対率10割、4つの敗戦は全て大レース前のトライアルにあたるレースでした。 いわゆる大差をつけて勝つわけではなく、中団につけて直線抜け出す安定感のあるレースをしました。 同じく3位のマルゼンスキーは、英3冠馬ニジンスキー産駒の持込馬で当時の規制で大レースにこそ出走していませんが、8戦8勝、合計着差61馬身で圧倒的スピードと強さを誇り、「外車」、「スポーツカー」と呼ばれました。 7位で並ぶスペシャルウィークとグラスワンダーは、エルコンドルパサーと同じ「強い世代」の競走馬です。 スペシャルウィークは4歳時に天皇賞の春秋連覇とジャパンカップ優勝、グラスワンダーは3歳時の有馬記念、4歳時にはスペシャルウィークを抑えての宝塚記念、有馬記念制覇で、グランプリ3連覇を達成しています。 9位のサクラローレルは、4歳までは故障に苦しみましたが、5歳時の天皇賞・春でナリタブライアン、マヤノトップガンをまとめて下し、その年の有馬記念ではマーべラスサンデー以下に楽勝しました。 翌年の天皇賞・春ではマヤノトップガンの2着に敗れましたが、「敗れてなお強し」を印象づけました。 同じく9位のナリタブライアンは、歴代の日本の3冠馬では、3冠レースにおいて最も高いパフォーマンスを発揮しました。 3歳時に有馬記念も制しています。 古馬になってから大レースでの勝利はありませんが、GUながら5歳時の阪神大賞典でのマヤノトップガンとの一騎打ち(ナリタブライアンのクビ差勝利)は歴史に残るレースでした。 同じく9位のテイエムオペラオーは、3歳時は皐月賞の勝利だけでしたが、4歳時には天皇賞の春秋連覇、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念を制し、5冠を含む重賞8戦8勝、5歳時にも天皇賞・春を制し、天皇賞の春秋春の3連覇を達成し、シンボリルドルフに続く「7冠」を獲得しています。 12位のメジロマックイーンは、菊花賞の他に天皇賞・春2回、宝塚記念を制しました。 祖父のメジロアサマ、父のメジロティターンに続く父子3代の天皇賞制覇、21戦12勝2着3回3着1回4着以下2回で、4着以下の2回は天皇賞・秋の1着入着後の最下位降着、そしてジャパンカップでの4着です。 ジャパンカップの4着は「切れる脚」のないメジロマックイーンの弱点が出たレースですが、それ以外は中距離から得意の長距離まで安定した成績を残しました。 13位のトウカイテイオーは、皐月賞、日本ダービーを無敗で制した後、故障で菊花賞に出走できず「幻の3冠馬」といわれました。 能力の違いで2400メートル以上のレースであるジャパンカップ、有馬記念も制していますが、2400メートルはトウカイテイオーにとってはギリギリの適正距離だったのかもしれません。 (3冠は、個人的には無事なら3000メートルの菊花賞も能力の違いで勝ち、達成していた可能性が高いとは思いますが・・・) 脚元の弱さもあったのでしょうが、2400メートル以上の大レース(日本ダービー、天皇賞・春、ジャパンカップ)を激走した後に故障をしています。 長距離である3200メートルの天皇賞・春では、故障もありましたがメジロマックイーンの7着と惨敗しております。 しかし、ジャパンカップ(2400メートル)、有馬記念(2500メートル)ではレース後に故障はしたものの、完勝をしており、2400メートルの距離ではメジロマックイーンより強かったかもしれません。 安定感があり直接対決(3200メートルの天皇賞・春)に勝ったメジロマックイーンを上位としましたが、2400メートル前後の距離を想定した場合にトウカイテイオーの逆転もあり得ると思います。 14位のビワハヤヒデは、デビューから15戦連続連対を続け、連を外した最後のレースである天皇賞・秋も故障によるものでした。 菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念を制しています。 3歳時の有馬記念でビワハヤヒデはトウカイテイオーに完敗しており、トウカイテイオーを上位としました。 15位のマヤノトップガンは、安定した強さはありませんでしたが、菊花賞、有馬記念、宝塚記念、天皇賞・春を制しており、はまると驚くべき強さを発揮しました。 同じく15位のタマモクロスは、3歳秋に急激に力をつけ、4歳になると天皇賞・春、宝塚記念を連勝し、秋にはオグリキャップとの「芦毛対決」となった天皇賞・秋を制し、ジャパンカップもオグリキャップに先着、引退レースとなった有馬記念ではオグリキャップに先着を許しますが、年度代表馬に選出されました。 同じく15位のオグリキャップは、地方競馬(笠松)から鳴り物いりで中央入りし、その強さと人気はハイセイコー以来といえるものでした。 ハイセイコー以来の「競馬ブーム」の立役者であり、有馬記念2回と安田記念を制しました。 特に有終の美を飾った有馬記念のラストランは多くの感動を呼びました。 18位のトウショウボーイは、3歳でのデビューながら3戦全勝で皐月賞に挑み、テンポイント以下に5馬身差をつけ、当時のレースレコードで圧勝しました。 日本ダービーはクライムカイザーに出し抜けを食い2着でしたが、秋に神戸新聞杯を2000メートルの日本レコードで勝ちます。 3000メートルの菊花賞は3着でしたが、有馬記念をレコードで制し、年度代表馬に選出されます。 4歳になると宝塚記念など中距離の2000メートル前後に圧倒的強さを示し、引退レースの有馬記念ではテンポイントに先着を許しますが、このレースは出走馬は2頭だけではありませんが、「歴史的マッチレース」として今も語り草となっています。 1600メートルから2200メートルまでの距離で1歳下のマルゼンスキーと対戦させたかったスピード馬です。 トウショウボーイの世代は、他にテンポイント、グリーングラスという名馬がおり(いわゆるTTG)、「強い世代」だったと思います。 同じく18位のテンポイントは、3歳時は無冠に終わりますが、4歳になると天皇賞・春を制し、暮れの有馬記念ではトウショウボーイとの「歴史的マッチレース」(前述のように出走馬は2頭だけではない)ともいえるレースを制します。 5歳時には海外遠征を予定し、その壮行レースに冬の日経新春杯が選ばれますが、66.5kgを背負ったテンポイントはレース中に故障、本来なら予後不良となるほどの重傷でしたが、ファンや関係者の努力で緊急手術が行われました。 テンポイントは闘病生活の末に死亡しますが、この時の治療データは、後に故障馬の治療技術の向上に役立ちます。 また66.5kgを背負わされた斤量の見直し、故障をしやすい冬場における有力馬のレース出走の見直しにつながりました。 同じく18位のスピードシンボリは、天皇賞・春、有馬記念2回、宝塚記念を制しました。 欧米遠征も敢行し、当時としてはある程度善戦といえる成績を残し、時代の先駆者となりました。 またシンボリルドルフの母の父としても知られています。 シンボリルドルフのレースにおける我慢強さはスピードシンボリの影響だと思います。 同じく18位のミスターシービーは、シンザン以来19年ぶりの3冠馬です。 4歳時に天皇賞・秋を制し、4冠馬ともいわれました。 1歳下のシンボリルドルフに3戦全敗、天皇賞・秋以後に勝利が無く、ミスターシービー以外にもランキングすべき名馬がいるだろうとの意見もあるかもしれませんが、3冠馬に敬意を表しランキング入りとなりました。 ミスターシービー世代は弱かったとの意見もありますが、私は必ずしも「弱い世代」だったとは思いません。 この点についてはミスターシービーを参照 |
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