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澤井健一
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■澤井健一■中国武術(太気拳)■太気拳の創始者

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澤井健一 1903年(明治36年)12月−1988年(昭和63年)7月16日

澤井健一は、中国で「国手」(国を代表する拳法家)といわれた意拳(大成拳)の達人・王向斉の唯一の日本人の弟子(唯一の外国人の弟子)であり、日本において王向斉の許可を得て、太気拳(太気至誠拳)を創設しました。
古(いにしえ)の武道家と同じく道場を持たず、明治神宮において少数の弟子をとり指導をするとともに、自身の拳法を研鑽しました。
極真空手との交流もあり、日本の武道、格闘技にも大きな影響を与えています。

■履歴
澤井健一は、幼少より多くの武道を学び、柔道、剣道、居合道などの有段者の資格を得ています。
中国に渡り、中国で「国手」といわれた意拳(大成拳)の達人である王向斉と立ち合い完敗して弟子入りを志願します。
「外国人の弟子はとらない」とする王でしたが、澤井の約1週間におよぶ熱意と「決してこの武術修行を止めない」との血判状をしたためての決意と懇願により弟子入りを許可されます。


・王向斉は、形意拳の達人として知られた郭雲深の最後の弟子で、形意拳を中心にいくつかの拳法を学び、そこから意拳(大成拳)を創設します
・意拳は、套路(型)を廃し、気を練る修行である站椿を徹底させたところにあり、修行は立禅、揺、這、練など全て気を練ることを最重要視しています
・意拳は、郭雲深の形意拳から套路(型)という「形」を取り去ったという意味で名づけられたといわれ、王向斉の学んだ拳法のエッセンスを集大成したことから大成拳ともいわれたとされます。
・意拳は、套路(型)で「形」を固めるよりも、実戦において「無形」(「形」を定めず)で、臨機応変、自在に対応できることを重視した拳法といえるかもしれません。
(もちろんその流れを汲む太気拳にもそのことがいえます)


1945年(昭和20年)に中国で終戦を迎え、家族とともに自殺を考えますが、王に諭され自殺を思いとどまり日本に帰国します。

1947年(昭和22年)に王向斉の許可を得て、太気拳(太気至誠拳)を創設します。
明治神宮において少数の弟子をとり指導をするとともに、自身の拳法を研鑽します。

極真空手とも交流があり、一時期は極真会館を離れた盧山初雄(後に極真会館に戻り、第5回極新会館全日本王者、さらにその後で極真会館を再び離れて現在は自らが中心に設立した極真館館長)も澤井の下で修行をしています。

1988年(昭和63年)7月16日に亡くなっています。


▼極真空手との交流
澤井と太気拳は、日本の武道、格闘技にも大きな影響を与えましたが、特に極真空手との交流は深く、前述のとおり盧山初雄が澤井の下で修行をしたほか、極真空手の創始者である大山倍達も時々太気拳の修行である立禅を行っていたといわれます。


▼澤井健一の評価
太気拳は、実戦中国拳法として知られ、澤井は老齢となっても、立ち合いにおける動きは鋭かったとされます。
武道家、格闘家としても強かったと思います。
郭雲深、王向斉という中国武術史上に残る達人の流れを汲む実戦中国拳法を日本にもたらしたことは、日本の武道、格闘技に与えた影響力の大きさとあわせて澤井の大きな足跡かもしれません。

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