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「新手一生」の升田幸三棋士
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■コラム■■■■■
■「新手一生」の升田幸三棋士■

将棋の升田幸三(ますだ・こうぞう)棋士は大山康晴十五世名人(名人位通算18期、同連覇13期の歴代1位を持つ他、公式タイトル獲得80期、一般棋戦優勝44回、通算1433勝の歴代2位の記録を持つ)のライバルで同門の先輩棋士

広島県出身の升田幸三棋士は将棋棋士を目指し家出し、広島市内の飲食店やクリーニング店の丁稚奉公などを経て木見金治郎八段の門下生となる

前述のように、後輩弟子には後のライバル・大山康晴棋士もいた

初段でプロ(当時は初段でプロ)になってからめきめき実力をつけた

兵役後、将棋界に復帰し、タイトル戦でなかなか後輩弟子・大山に勝てなかったが、1957年に史上初の3冠制覇(名人・王将・九段)達成

既成の定跡にとらわれない数々の新手を指し「新手一生」を掲げた

その功績から将棋大賞で新手や新戦法を編み出した棋士を表彰する「升田幸三賞」が同氏の没後3年余り経った1995年から設けられた

将棋界に大きな功績のあった升田幸三棋士だが、戦争中に患った病気が元で体調を崩し、現役晩年は休場の年も多かった

そのため。実績面で後輩弟子・大山棋士に押され、永世名人などの称号は得られなかったが、順位戦A級から一度も陥落せず1979年に引退した

将棋連盟は、升田幸三棋士のために新たな称号「実力制第四代名人」を贈っている

升田幸三棋士の棋風を慕う棋士は多い

公式戦の絶局は現役引退後の1982年2月27日に当時プロに匹敵する実力といわれたアマ名人で真剣師の小池重明氏との対局

この対局で升田幸三氏は角落ちで対局し、完勝している

当時の小池氏はめっぽう強く、大山十五世名人は角落ちで敗れ、当時の中原誠名人とは角落ちで1勝1敗などプロと渡り合っていた

升田氏との対局も途中まで小池氏優勢だったが、升田氏は「飛頭の玉」という奇手で対抗

小池氏が8五歩で作戦勝ちを確信

小池氏は升田氏が9四玉と逃げるとばかり思っていたが、升田氏は8五同金と金歩の交換に応じ、その瞬間に小池氏の勝ちは無くなった

升田氏は最後まで新手や奇手を出現された

エピソード・・・

升田氏が将棋棋士を目指し家出した時、母の使う物差しの裏に「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」と書いた

1962年の第1期王将戦で、当時の木村義雄名人と対局

当時の王将戦は三番手直りで、3勝差がついた時点で残りの対局を香落ちと平手を交互に指す制度になっていた

升田棋士は木村名人に対し4勝1敗とし、続く第6戦を香落ちで戦うことになり、名人に香車を引く対局が実現したが、この対局を拒否して不戦敗となっている

1956年に、弟弟子の大山名人(当時)との王将戦で、再び名人を香落ちに指し込む

今度は実際に対局し、大山名人に勝っている

「名人に香車を引いて勝つ」を実現した瞬間でもあった

後にも先にも名人に香車を引いて対局したのは升田幸三棋士ただ1人で、その上に勝ったのも当然升田幸三棋士のみだ


電線に止まっているたくさんの雀の数を一目見て目をつぶり当てる訓練をよくしていたという



名人に香車を引いた男―升田幸三自伝
名人に香車を引いて勝った男、最後まで新手・奇手を出現させた奇才・升田幸三実力制第四代名人の自伝


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