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山下泰裕
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■山下泰裕■柔道■全日本9連覇、公式戦203連勝をした柔道の巨人

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山下泰裕 1957年(明治32年)6月1日−

山下泰裕(やました・やすひろ)は、現役引退から逆算しての
公式戦203連勝(引き分け挟む)対外国選手には116勝3分と生涯無敗で、全日本選手権9連覇ロス五輪男子柔道無差別級金メダルなど数々の大記録と偉業を達成した柔道の巨人です。

史上最強の柔道家の候補の1人であり、少なくとも
公式戦の実績などで山下泰裕は群を抜いています

身長180センチ、体重128キロ

国民栄誉賞受賞。



日本中の期待、大きくいえば世界中の期待を背負い続けた山下泰裕の「背負い続ける力(新潮文庫)」は背負い続けることの意味などを考えさせられます・・・


■履歴
▼中学時代まで
山下泰裕は、1957年6月1日、熊本県に生まれます。

小学校3年の1月に柔道を始めます。

小学校6年の時、熊本県の柔道大会に優勝・・・

熊本市立藤園中学に入学・・・

中学時代は、全国中学柔道大会の団体戦に2年・3年と出場し、同校の優勝に大きく貢献し、「怪童」と注目されます。

▼高校時代
九州学院高校に進学・・・

1年、金鷲旗ではチーム3位ながら、インターハイ重量級で史上初の1年生優勝・・・

2年、金鷲旗でチームを優勝に導くも、インターハイでは3位・・・

2学期から東海大相模に転向・・・

ヨーロッパ遠征に参加し、活躍・・・

3年になる直前の3月に全日本選手権の関東予選に出場(予選敗退ながら、全日本選手権出場権を得ます)

全日本選手権では3位入賞・・・

ウィーン世界選手権の国内1次予選に出場するも敗退・・・

同大会2次予選にも出場するも敗退・・・

金鷲旗で、東海大相模の初優勝に貢献・・・

インターハイ団体戦でも東海大相模の初優勝に貢献・・・

同個人戦でも優勝・・・

全日本選抜体重別選手権に出場するも敗退・・・

国体高校の部に出場し、神奈川県の優勝に貢献・・・

全日本新人体重別選手権に優勝・・・

フランス国際優勝・・・

モントリオール五輪1次予選敗退・・・

全日本選手権の関東予選優勝・・・

東海大相模卒業・・・

▼大学時代
東海大進学・・・

オリンピックの2次予選敗退・・・

全日本選手権敗退・・・

全日本体重別選手権敗退・・・

学生優勝大会で自身は全勝もチームは2位・・・

全日本学生大会の無差別級で史上初の1年生優勝・・・

全日本選抜団体選手権では自身は6戦5勝1分もチームは2位・・・

全日本新人体重別選手権2連覇・・・

世界ジュニア選手権優勝・・・

大学2年になると、全日本選手権の東京予選優勝・・・

全日本選手権でも、遠藤純雄を判定2−1で下し、19歳で史上最年少(当時)で初優勝・・・

「怪童」が「怪物」と呼ばれるようになります。

全日本学生優勝大会で東海大の初優勝に貢献・・・

全日本体重別選手権初優勝・・・

世界選手権95キロ超級代表に選ばれるも、政治問題などで世界選手権が中止に・・・

国体成年の部で、神奈川県の優勝に貢献・・・

全日本学生選手権の決勝で吉岡剛に1−2の判定負け・・・

これが山下の最後の敗戦で、以降は引退まで公式戦203連勝(引き分け挟む)・・・

日仏ソ三国対抗大会でモントリオール五輪重量級金メダルリスト・セルゲイ・ノブコフと2戦して2分・・・

ソ連国際では95キロ超級・無差別級の2階級制覇・・・

大学3年になると、全日本選手権2連覇・・・

全日本学生優勝大会で東海大の2連覇に貢献・・・

全日本体重別選手権2連覇・・・

ヨーロッパ遠征では、ジャン=リュック・ルージュと引き分けた以外は勝利・・・

全日本学生選手権95キロ超級優勝・・・

無差別級でも2年ぶり2回目の優勝・・

国体成年の部で神奈川県2連覇に貢献・・・

世界学生選手権の無差別級で優勝するも、団体戦は3位(自身は全勝)・・・

全日本選抜団体選手権で東海大は3位(自身も1つの引き分けのみ)

嘉納杯では95キロ超級・無差別級の2階級制覇・・・

フランス国際優勝・・・

大学4年になると、全日本選手権オール一本勝ちで3連覇・・・

全日本学生優勝大会で東海大の3連覇に貢献・・・

全日本体重別選手権優勝・・・

世界選手権95キロ超級代表に選ばれる

全日本学生選手権95キロ超級2連覇・無差別級2年連続3度目の優勝・・・

アメリカ国際柔道大会でも95キロ超級・無差別級の2階級制覇・・・

世界選手権初優勝・・・

選抜団体で東海大の初優勝に貢献・・・

東海大の韓国遠征で全勝・・・

東海大卒業・・・

▼大学院時代
1980年、東海大大学院へ進学・・・

全日本選手権4連覇・・・

しかしながら政治的理由でモスクワ五輪不参加が決定・・・

全日本体重別選手権では、遠藤純男の蟹挟で山下は骨折・・・(この結果は痛み分け)
(ただし、木村政彦は、山下との対談で「あれは(遠藤の蟹挟による引き分け)は君(山下)の負け」と発言している)
(遠藤の蟹挟が引き分けとなったことにより、山下の公式戦203連勝が達成されることになる)
(当時、蟹挟みはルール上有効だったが、この事件後、危険であると蟹挟は反則になった)

1981年、全日本選手権5連覇・・・

全日本体重別選手権に不参加も実績で世界選手権の95キロ超級・無差別級の代表に選ばれる

世界選手権、95キロ超級・無差別級の2階級制覇・・・

国体成年の部で、神奈川県の優勝に貢献・・・

日本国際柔道大会優勝・・・

1982年、全日本選手権6連覇

体重別選手権優勝・・・

嘉納杯無差別級優勝、団体も優勝に貢献・・・

▼講師時代
1983年、大学院を卒業し、同大の講師に・・・

全日本選手権7連覇・・・

全日本体重別選手権優勝・・・

世界選手権95キロ超級代表に選ばれる

世界選手権3連覇・・・

1984年、全日本選手権8連覇・・・

体重別選手権は欠場するも、実績でロス五輪無差別級代表に選ばれる・・・

ロス五輪柔道男子無差別級金メダル(優勝)・・・

五輪後の10月に国民栄誉賞受賞・・・

1985年、全日本選手権9連覇・・・

公式戦203連勝(引き分け挟む)のまま引退・・・

▼現役引退後
現役引退後は、国際柔道連盟の理事になります。

一説によると、山下はかなり英語が堪能だといわれます。

現役引退の翌年1年間イギリスに留学しています。

2003年に国際柔道連盟の理事に立候補し、当選・・・

2007年にふたたび、国際柔道連盟の理事に立候補するも落選・・・

全柔連、JOC、東海大などの柔道関連・スポーツ関連の要職を歴任・・・



■柔道スタイル
左組み手の自然体、奥襟は取らない柔道

■主なタイトル
□五輪
ロス五輪柔道男子無差別級金メダル(1984)

□世界選手権
95キロ超級金メダル3回(1979・1981・1983、3連覇)
無差別級金メダル(1981)

□全日本選手権
全日本選手権9回(1977−1985、9連覇)

■戦績
通算戦績は559戦528勝16敗15分 勝率9割7分2厘

敗れた16敗は、上村春樹4敗、遠藤純男4敗、二宮和弘2敗、吉岡剛2敗、高木長之助1敗、松井勲1敗、諸井三義1敗、安斉悦雄1敗

■エピソード
・選手時代は、身長180センチ、体重128キロの巨体ながら100メートル13秒台の俊足

・昭和天皇から「柔道は、骨が折れますか(柔道は、大変ですか)」と聞かれ、「はい、昨年骨折しました」と答え、周囲の爆笑を誘った

・新日本プロレスがプロレス転向を進める(本人の拒否で断念)


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