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青田昇
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■青田昇■野球選手■ジャジャ馬

右投右打

身長170センチ、体重69キロ

1924年11月22日−1997年11月4日


青田昇(あおた・のぼる)は、「ジャジャ馬」といわれた強打者

■履歴
▼プロ入り前
旧制滝川中で、2度甲子園に出場、特に1941年の春の甲子園では、優勝候補となるが、エースだった後に巨人でチームメイトとなる別所毅彦の骨折での奮闘もむなしく準々決勝敗退

▼プロ
戦況悪化で、1942年7月に巨人入団

この年は、規定打席不足ながら打率3割5分5厘

1943年に打点王

戦後の1946年は、巨人からの貸し出しで阪急でプレー

1948年に巨人に戻ると首位打者に加え、川上哲治と本塁打王を分け合い打撃2冠
(この時代は大下弘のもたらした本塁打ブームに乗り、川上哲治も本塁打を狙い、この年は、前述のように、川上と青田が25本塁打で1946年の大下の20本塁打を更新する)
(後に川上は、本来の打率中心の中距離の強打者の打撃に戻る)

1950年は、打率3割2分2厘、33本塁打、28盗塁で惜しくもトリプルスリー(同一シーズンに、打率3割上、30本塁打以上、30盗塁以上)を逃す

西鉄移籍の話もあったが、巨人残留

1951年に本塁打王と打点王の2冠

1953年に、洋松に移籍し、この年の4月23日に、古巣の巨人戦でサイクルヒット達成

1954年、1956年、1957年に、本塁打王

1956年に、通算本水打数の記録を更新
(1964年に山内一弘に抜かれる)

1959年に阪急に移籍、この年限りで現役引退

▼現役引退後
解説者、コーチ、監督などを務め、野球賭博問題(結局無罪)の後は、解説者として活躍
(1972年はシーズン途中で代理監督を務めたが、成績不振で休養、1973年は監督を務める)

1997年に死去、72歳没

2009年に野球殿堂入り(日本)


■エピソード
川上哲治とは、犬猿の仲のようにいれたこともあったが、実際は川上が親しく話せる数少ない人物だったらしい

本塁打王を争った大下弘、旧制滝川中の先輩後輩の間柄の別所毅彦との3人は、毎晩銀座のバーを飲み歩き、「銀座の三悪人」と呼ばれたという

サヨナラ満塁本塁打2本の勝負強い強打者(2度目は逆転もつく)


打撃成績・・・
16年、打率2割7分8厘、265本塁打、1034打点
首位打者1回、本塁打王5回、打点王2回
サイクルヒット1回


監督成績・・・
1年、60勝64敗6分、勝率4割8分4厘



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