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川上哲治
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■川上哲治■野球選手■打撃の神様、野球の神様、赤バット、V9監督

左投左打

身長174センチ、体重75キロ

1920年3月23日−2013年10月28日

川上哲治(かわかみ・てつはる)は、戦前戦後を代表する強打者で、現役時代は「打撃の神様」といわれ、現役引退後は、コーチを経て監督として、不滅のV9を含む11度のセ・リーグ優勝で、しかもそのすべて11度日本一に輝いている

愛称も多くあり、現役時代は、「打撃の神様」「赤バット」「弾丸ライナー」「テキサスのテツ」など
監督以後は、「野球の神様」、「ドン川上」など

監督としては、ドジャースの戦法を参考にした「管理野球」でチームを統率した

■履歴
▼プロ入り前
野球は、小学校時代にはすでに始めていたが、中学(現在の高校)(熊本県立工業(後の熊本工業高)で、夏の甲子園に2度出場し、いずれも準優勝

1937年決勝は、後の鉄腕で当時は中京商の野口二郎と投げ合い、1−3で敗れている

この時は投手だったが、捕手の吉原正喜の方が評判だった

この決勝後、甲子園の土を持ち帰ったのが、甲子園の土を持ち返るルーツとも

春の甲子園も1度出場している

▼現役
中学卒業後の1938年に吉原とともに巨人に入団した川上だったが、吉原のおまけ扱いで、投手として入団したものの、11勝9敗の成績を残し、やがて内野手転向

9打数9安打の打撃なども転向の後押しに

1939年に19歳の若さで1年1シーズンになったこの年首位打者


1944年からの兵役を経て、農業で生活をしているところを1946年6月から巨人復帰

戦後はホームランブームもあり、中距離打者の川上も、ホームラン狙いの打撃になったこともあるが、やがて本来の打率に打撃に戻る

「ボールが止まって見えた」は、川上のエピソードとして広まったが、無名の小鶴誠が1950年に50本塁打した時の発言を有名な川上のエピソードとしたといわれる

この時はホームランブームだった

1951年のサンフランコ・シールズの練習に参加してから、チーム内の監督の重要性に気づき、監督・水原に協力的になり、後の「管理野球」につながったといわれている

1951年に打率3割7分7厘を記録し、本来の打率中心の打撃に完全に戻った

シーズン最少三振6の日本タイもこの年記録

1953年に日本プロ野球初の通算1500安打、1956年に日本プロ野球初の通算2000安打


1957年に打率3割未満で終わり、翌1958年打率2割4分8厘で現役引退

最後となったこの年の日本史リースは3連勝4連敗で西鉄に敗れている

▼現役最強後
現役引退後は、コーチを経て、1961年から監督に

大リーグのドジャースの「ドジャース戦方」を参考に「管理野球」を徹底させ、1961年、1963年のリーグ優勝・日本一を経て1940年から不滅のV9

金田正一を国鉄から獲得

ON(王貞治長嶋茂雄)を中心とした打撃と勝利にこだわった投手起用と豊富な投手力で球界に君臨

1974年にV10を逃すと、この年で監督を勇退


▼監督勇退後
巨人が長嶋政権1年目の150年最下位になった時のテコ入れと、1980年の長嶋茂雄辞任に関与したとも

NHKの野球解説や少年野球の指導

NHKの野球解説をほぼ勇退後も野球界に目を光らせたが、2013年10月28日死去、93歳没。


■特徴
鋭い打球が多く、後に代名詞になった「弾丸ライナー」を連発

晩年はテキサスヒットが多くなり、「テキサスのテツ」と呼ばれた

通算2000安打の1646試合目での達成は史上最速

打率中心の打者ながら、サイクルヒット、逆転サヨナラ満塁本塁打、1イニング2本塁打など本塁打に関連の記録の持ち主

巨人では最多の4番に座った

史上2位の猛打賞(1試合3安打以上)194回

8年連続シーズン打率3割以上は史上2位だが、今のルールなら10年連続で張本勲と並び史上1位タイに
(当時は犠牲フライが凡打に(打点はついている))

日本シリーズ通算打率3割6分5厘(159打数58安打)※80打数以上で史上1位

シリーズ、日本シリーズ、オールスターの全てでMVP

川上や千葉茂は、ヴィクトル・スタルヒンの方が沢村栄治より球が速かったと証言
(ただし、川上も千葉も全盛期の沢村を見ていない)

「打撃の神様」の称号は榎本喜八の方がふさわしい」といったといわれる

「球際」「チームプレー」は川上の造語

座禅に関心があった


■守備・足について
守備は上手いとも一生懸命ともいえなかったが、監督になってから守備の重要性に気づき、守備力のある選手を重用している

「重戦車」といわれるほど鈍足だったが、努力で鈍足を克服

通算220盗塁は、巨人では史上3位


打撃成績・・・
18年、1979試合、7500打数2351安打、181本塁打、1319打点、220盗塁、打率3割1分3厘
最高殊勲選手(MVP)3回
首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回
最高出塁数3回、最多安打6回※ともに当時は表彰なし
ベストナイン10回
日本シリーズMVP1回
オールスターゲームMVP1回(1951年第1戦)
野球殿堂(日本)(1965年)



投手成績・・・
4年、39登板。11勝9敗、防御率2,61


監督成績・・・
14年、1866試合、1066勝739敗61分、勝率5割9分1厘
リーグ優勝11回、日本一11回


プロ野球伝説の名将ー私の履歴書
「歴代1位の勝利数・勝率のプロ野球監督」鶴岡一人、「野球の神様」川上哲治などの野球人生の自伝



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