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榎本喜八
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■榎本喜八■野球選手■安打製造機

左投左打

身長172センチ、体重71キロ

1936年12月5日−2012年3月14日


榎本喜八(えのもと・きはち)

「安打製造機」の異名は、彼が最初ともいわれる

1000本安打、2000本安打の到達の最年少記録を持ち、他に数々の高卒新人の記録を持つ


■履歴
▼プロ入り前
早実から1955年に毎日入り

▼プロ
139試合・592打席・490打数・24二塁打・7三塁打(タイ)、87四球・5敬遠・5犠飛・出塁率4割1分4厘はすべて高卒新人の歴代最高記録で、打率2割9分8厘・67打点・232塁打・10死球は1986年に清原和博に破られるまで高卒新人の歴代最高記録だった

この年の新人王を獲得

新人にして「安打製造機」と呼ばれるように

2年目も活躍するが、3年目からスランプに

6年目の1960年に打率3割4分4厘で首位打者に

1961年に、24歳9ヶ月で、プロ野球史上最年少で通算1000本安打到達

シーズンで打率3割3分1厘、自己最高の180安打(リーグ1位)ながら打率2位で首位打者を逃す

1960年から1964年が打率リーグ5位以内に入る

1965年は低迷するが、1966年に打率3割5分1厘で2度目の首位打者

1968年に、31歳7ヶ月でプロ野球史上最年少で通算2000本安打到達

1972年に西鉄移籍、この年に現役引退、通算2314安打

▼現役引退後
現役引退後は、打撃コーチをめざしているともいわれたが、野球界には復帰せず、2012年死去、75歳没

2016年に野球殿堂入り(日本)

打撃に関しては、選球眼がよく、三振が少なかった

守備は、普通だっとといわれることが多い


打撃成績・・・
18年、打率2割9分8厘、246本塁打、979打点
新人王、首位打者2回
最多安打4回(当時は表彰なし)、最高出塁率2回(当時はタイトル設立前)
ベストナイン9回
オールスターゲームMVP1回(1956年第2戦)
野球殿堂入り(日本)(2016年)


■評価
張本勲は、榎本の打撃を高評価しているし、他に同時代の強打者・好投手も榎本の打撃を絶賛している

榎本は、1963年の一時期、「神の領域」の打撃技術をつかんだとされるが、ケガなどもあり、長くは続かなかった

川上哲治は「打撃の神様の称号は自分ではなく、榎本の方がふさわしい」といったとされる

その実力を「長嶋(茂雄)を超える唯一の天才」とも

早実出身、荒川博を師としたことは、榎本は、王貞治と同じで、二人は選球眼のよさでも定評があったが、王より優れた選球眼とも

二人の師であった荒川博も榎本の打撃をより高く評価している

打撃に武道の要素を取り入れた点も共通している

長嶋茂雄は、榎本と同い年(長嶋は早生まれ)、背番号3が共通するが、人気があり、派手な長嶋に対し、どちら多といえば地味な榎本は、長嶋に強い敵対心があったという

やり難かった打者として、稲尾和久野村克也などは、榎本喜八と長嶋茂雄を挙げている


スポーツジャーナリストの二宮清純が、通算1000イニング以上投げた往年の投手たちへ、「最強打者は?」と質問したところ、最も多く返ってきたのが、榎本喜八だった


打撃の神髄 榎本喜八伝
「打撃の神様」川上哲治が「打撃の神様の称号は自分より榎本喜八がふさわしい」といった
稲尾和久が榎本喜八を抑えるためだけにフォークボールをマスターした
「最強打者は?」のアンケートで一番多かったのは榎本喜八
伝説の打撃人・榎本喜八に迫る


榎本は、真面目に突き詰めすぎたのが苦悩や成長への妨げになったのかもしれない



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