野村克也 |
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■野村克也■野球選手■戦後初の打撃三冠王 右投右打 身長175センチ、体重85キロ 1935年6月29日−2020年2月11日 野村克也(のむら・かつや)は、日本プロ野球において、戦後初の打撃三冠王で、野村が三冠王を達成した時(1965年)は、戦前に打撃三冠王だった中島治康も注目され、中島治康の再評価にもつながった 現役時代から「考える野球」を実践し、現役選手兼任で監督になった南海やヤクルト、阪神、楽天などでも「考える野球」を実践している 通算犠飛1位。通算併殺打1位などいくつかのプロ野球記録と通算本塁打2位、通算安打2位など多くの2位の記録を持つ 愛称は「ノムさん」「ムース」「和製ベーブ・ルース」など 1963年に記録したシーズン52本塁打のパ・リーグ記録は後に1985年に落合博満に並ばれたが、その落合と並び日本出身の日本国籍選手の最多本塁打でパ・リーグ記録 ■履歴 ▼プロ入り前 京都出身の野村は3歳の時に父を亡くした母子家庭で、川上哲治、大下弘に憧れ、同郷の大友工にも影響を受け、中学から野球を始め、無名だった峰山高に進学、甲子園は無縁で、卒業後に南海にテスト生入団 ▼プロ 1954年に南海に入団してからも、苦労の日々の中で「考える」ことの重要性を知る なんとかレギュラーに定着しだし、ファンからテッド・ウィリアムスの著書「バッテングの科学」を送られ、その著書(バッテングの科学)で「考える野球」「データ野球」などを研究する その著書を研究する前はカーブなどの変化球が苦手だったが、研究後に打撃が向上 1957年に、本塁打王を獲得し、以後打撃タイトル争いの常連に 杉浦忠、広瀬叔功らと南海の黄金時代を築く 1962年に別当薫のシーズン43本塁打のパ・リーグ記録43本を更新する44本、1963年に小鶴誠のシーズン51本塁打のプロ野球記録を更新する52本 (1964年に王貞治に55本で更新される) 1965年に打率3割2分0厘・42本塁打・110打点で打撃三冠王 戦後初の三冠王だったが、世間の注目は、セ・リーグの巨人やその巨人の長嶋茂雄や王に集まり、1975年に通算600本塁打を記録した時のインTビューには、「王や長嶋は目立つヒマワリ、自分(野村)はひっそり咲く月見草」の主旨の有名な発言 以後、月見草は野村の代名詞になる 特に同世代の長嶋には強いライバル心 (多くのプロ野球記録を持つ王のために多くを2位に甘んじることになった王に対しても強いライバル心があるが、長嶋には、それ以上の「特別」なライバル心がある) 野村は長嶋を「野球の天才」といっている データや相手のクセを分析した 苦手のカーブもこれで克服 また、「ささやき戦術」で相手をかく乱・動揺させたが、戦術の通用しない選手も 王貞治は雑談に応じてもいざとなると集中し、長嶋茂雄には全く通じず、榎本喜八には、彼独特のオーラで戦術を使う余裕がなくなった また、相手のクセを見抜くことでは野村に負けない高井保弘二は、球種をことごとく当てられ、最後には本塁打を打たれた 1970年にプロ野球史上4人目の通算2000安打達成 野村は1972年の選手兼監督でリーグ優勝しているが、日本シリーズで巨人に敗れている 阪急・福本豊の盗塁阻止にクイック投法の原型を作る、投手の分業制、リリーフの確立などを打ち出す 後に夫人となる沙知代との問題で1977年解任 翌1978年にロッテ移籍 ロッテ、西武と移籍しても現役を続けたが、1980年に現役引退 ▼現役引退後 引退後は開設者、野球評論家 ストライクゾーンを9分割した「ノムラスコープ」で、野球の読み、心理などを解説し評判に 1989年に野球殿堂(日本)入り・・・ ▼ヤクルト監督 ヤクルト監督時代にID野球で、「考える野球」を浸透させ、ヤクルトを9年間でリーグ優勝4回、日本一3回、Aクラス5回のチームに (1990年から1998年) ▼阪神監督 阪神監督では、足の速い選手をそろえたF1セブンを打ちだし、3年連続最下位だったが、後任の星野仙一監督のリーグ優勝の基礎を築いたという評価も (1999年から2001年) ▼シダックス監督 2002年11月に社会人・シダックスの監督就任 2005年10月3日退任 ▼楽天監督 2006年から楽天の監督の指揮を執った野村は、ユーモアあふれたコメントで評判となり、最初の3年間は6位、4位、5位と低迷したが、最後の2009年は2位に 後任の星野仙一監督の日本一の基礎を築いたとの評価も 監督退任後は、サンケイスポーツの野球評論家、テレビ・ラジオでフリーの野球解説者 2020年2月11日死去、84歳没。 打撃成績・・・ 26年、3017試合、10472打数2901安打、打率2割7分7厘、657本塁打、1988打点 MVP5回 首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回 最多安打1回(当時は表彰なし) ベストナイン19回 ダイヤモンドグラブ賞1回 オールスターゲームMVP2回(1972年第1戦、1972年第2戦) 打撃三冠王1回(1965年) 野球殿堂(日本)(1989年) パ・リーグ特別表彰4回 超二流:天才に勝つー芸の究め方 「一流」になれなくても「超二流」にはなれる、凡人が天才に勝つ方法 凡人が天才に勝ち「生き残る」術(すべ) 野村ノート(Kindle版) ベストセラー「野村ノート」のKindle版 データの活用法、配球を読む、組織における役割分担などの「勝利の兵法書」 追悼 野村克也(サンケイスポーツ特別版) 野村克也の秘蔵写真、プライベートカットも多く収録した保存版 秘蔵ノート、秘蔵スコアブックなど初公開 「野村克也 金の言葉」、「ノムラの考え」収録! 監督成績・・・ 24年、1565勝1563敗、勝率5割0分0厘3毛 リーグ優勝5回、日本一3回 (ポストシーズン) 1973年パ・リーグプレーオフ制覇 1973年、1992年日本シリーズ敗退 1993年、1995年、1997年に日本シリーズ制覇 2009年クライマックスシリーズファーストステージ制覇 2009年クライマックスシリーズセカンドステージ敗退 |
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