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落合博満
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長嶋茂雄 王貞治 金田正一 張本勲 落合博満
坂田弘好 松尾雄治 沢村栄治 藤本英雄
その他−参照

■落合博満■野球選手■3回の(打撃)三冠王

右投右打

身長178センチ、体重80キロ

1953年12月9日−

独特の野球哲学「オレ流」を貫き、ロッテ、中日、巨人、日本ハムで活躍し、ロッテ時代には日本プロ野球史上最多の3回の(打撃)三冠王を達成・・・打撃の名人・職人ともいえる大打者です。

現役引退後は、中日の監督・・・

2013年シーズンオフから中日のゼネラルマネージャー(GM)・・・

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■履歴
▼プロ入り前

落合博満は、1953年12月9日に秋田県で生まれます。

長嶋茂雄に憧れて野球を始めたといわれます。

一方で映画好きでもありました。

1969年に秋田県立秋田工業高等学校に進学・・・野球部に入部します。

体罰など体育会系の風習を嫌い、高校野球では無名の秋田工業を選んだのですが、体罰で野球部を退部・・・しかし、野球の才能のあった落合は野球部に在籍し、試合が近づくと部員たちに説得され、野球部に復帰し、4番打者を打っていました。

1972年に東洋大学に進学・・・野球部に入部します。

ここでも体育会系の風習になじめず、野球部を退部・・・

ボウリングのアルバイトがきっかけで、プロボウラーを目指しますが、プロテストを受ける際に自動車のスピード違反で反則金を支払い、受験料が払えずプロ断念・・・

1974年に野球の才能を惜しまれ、東芝府中の臨時工から野球部へ・・・

野球の才能を開花させ、1978年にはアマチュア日本代表に選出されます。

1978年のドラフトでロッテに3位指名されます。

▼現役
▽ロッテ時代

1979年、ロッテに入団・・・

プロ入り当時のロッテの監督はレベルスイングの山内一弘で、アッパースイングの落合は、山内に指導されるも、山内の野球理論が理解できませんでした。

後に落合は「山内さんの高度な野球理論が理解できなかった」と山内を認めるような発言をしています。

落合は独自に他の打者のよい所を吸収、真似をしました。

打撃コーチの高畠康真は、落合のリストワークが気に入り、1980年にロッテに移籍してきた張本勲に落合を会わせますが、張本勲は、落合の打撃を絶賛したそうです。

高畠からは球種を読むテクニックを教わっています。

入団当初、落合の打撃は酷評され、特に金田正一は面と向かって酷評したそうです。

このこともあり、落合は金田をこころよく思っておらず、金田が会長を務める名球会入り拒否につながっているといわれます。

1980年に2軍のイースタンリーグで活躍し、後半から1軍で57試合で15本塁打をし、来年の活躍を予感させました。

1981年はオールスターにも初出場し、首位打者を獲得・・・

1982年は史上最年少で(打撃)三冠王を獲得・・・

1983年は首位打者・・・(首位打者は3年連続)

1984年は無冠に終わります。

1985年は打率3割6分7厘、本塁打52本、146打点の高いレベルで2回目の三冠王・・・
打率3割6分7厘は当時の右打者の最高打率、52本塁打はパリーグ記録、146打点もパリーグ記録・・・
さらに得点圏打率4割9分2厘はプロ野球記録です。

1986年も打率3割6分0厘、50本塁打、116打点で2年連続3回目の三冠王・・・
2年連続三冠王は、王貞治、ランディ・バース(参照)と並ぶプロ野球タイ・・・
3回目の三冠王は落合のみ・・・

しかし、信頼していたロッテ監督の稲尾和久が解任されると、この年のシーズンオフにセリーグの中日へトレード移籍・・・

▽中日時代
1987年、打率3位・・・

1988年は本塁打と打点がリーグ2位、出塁率と長打率がリーグ1位でチームのリーグ優勝に貢献・・・
しかし打率はレギュラー定着後初の3割を切ります。
日本シリーズでは打点0で西武に敗れます。

1989年は打点王・・・
両リーグ打点王は史上初です・・・

1990年は、本塁打王・打点王の二冠・・・

1991年は本塁打王・・・
しかし首位打者、打点王ともにわずかの差でリーグ2位・・・

1992年・1993年は打撃タイトル無冠・・・・

巨人へのトレード移籍・・・

▽巨人時代
1994年、日本一に貢献・・・

1995年、打率4位・・

1996年、リーグ優勝に貢献・・・

この年のシーズンオフに清原和博が移籍したあおりもあり、日本ハムへトレード移籍・・・

▽日本ハム時代
1997年、不本意なシーズン・・・

1998年、さらに不本意なシーズンでこの年で現役引退・・・

▼現役引退後
▽解説者時代
現役引退後は、独特の理論で「オレ流」解説・・・

2003年オフ、中日監督へ・・・

▽中日監督時代
2004年、1位(日本シリーズで西武に敗れる)
2005年、2位
2006年、1位(日本シリーズで日本ハムに敗れる)
2007年、2位(リーグ2位もクライマックスシリーズ優勝、日本シリーズに進出し日本ハムを下し日本一)
2008年、3位
2009年、2位
2010年、1位(日本シリーズ進出もロッテに敗れる)
2011年、1位(日本シリーズ進出もソフトバンクに敗れる)

中日監督時代の2011年、野球殿堂入り(日本)

この年限りで中日監督退任・・・

▽解説者時代
中日監督退任後は、解説者に復帰・・・

▽中日GM時代
2013年シーズンオフに中日GMに・・・

契約更改にも関わるなど新たな動きが注目されます。

(参照)
ランディ・バース
左投左打
身長184センチ、体重95キロ
1954年3月13日−
一塁手、外野手
アメリカ出身
「史上最強の助っ人」ともいわれる・・・
入団当初は外野手だったが、やがて一塁手に・・・
2年連続2回の打撃三冠王・・・
1985年には、所属の阪神の日本一とバースの打撃三冠王(打率3割5分0厘・54本塁打・134打点)
1986年も打撃三冠王(打率3割8分9厘・47本塁打・109打点)
この年のシーズン打率3割8分9厘はプロ野球記録・・・

打撃成績
(大リーグ)
通算6年、130試合、325打数69安打、9本塁打、42打点、終身打率2割1分2厘
(日本プロ野球)
通算6年、614試合、2208打数743安打、202本塁打、486打点、終身打率3割3分7厘

(日本プロ野球)
首位打者2回(1985年・1986年)
本塁打王2回(1985年・1986年)
打点王2回(1985年・1986年)

打撃三冠王 2年連続含む2回

MVP1回(1985年)
ベストナイン3回(1985年−1987年)
日本シリーズMVP1回(1985年)

シーズン打率3割8分9厘

(注)赤太字はプロ野球記録

■年度別打撃成績
球団 試合  打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 四死球 三振 打率 
1979 ロッテ 36 64 15 4・1 12 .234
1980 ロッテ 57 166 28 47 15 32 17・1 23 .283
1981 ロッテ 127 423 69 138 19 33 90 68・6 55 .326
1982 ロッテ 128 462 86 150 32 32 99 81・5 58 .325
1983 ロッテ 119 428 79 142 22 25 75 64・2 52 .332
1984 ロッテ 129 456 89 143 17 33 94 98・4 33 .314
1985 ロッテ 130 460 118 169 24 52 146 ※1 40 .367
1986 ロッテ 123 417 98 150 11 50 116 ※2 59 .360
1987 中日 125 432 83 143 33 28 85 81・2 51 .331
1988 中日 130 450 82 132 31 33 95 98・3 70 .293
1989 中日 130 476 78 153 23 40 116 75・1 69 .321
1990 中日 131 458 93 133 19 34 102 ※3 87 .290
1991 中日 112 374 80 127 17 37 91 95・4 55 .340
1992 中日 116 384 58 112 22 22 71 98・3 74 .292
1993 中日 119 396 64 113 19 17 65 96・4 69 .285
1994 巨人 129 447 53 125 19 15 68 81・6 56 .280
1995 巨人 117 399 64 124 15 17 65 73・3 87 .311
1996 巨人 106 376 60 113 18 21 86 67・3 45 .325
1997 日本ハム 113 397 35 104 14 43 61・3 60 .262
1998 日本ハム 59 162 11 38 18 26・2 22 .235
  2236 7627 1335 2371 371 15 510 1564 65 ※4 1135 .311
(注)通算20年
(注)年度の黒太字はリーグ1位
(注)四死球は、四球数・死球数
※1 101四球・3死球
※2 101四球・3死球
※3 100四球・4死球

※4 1475四球・63死球


■打撃

□主なタイトル
首位打者5回(1981年−1983年・1985年・1986年)
本塁打王5回(1982年・1985年・1986年・1990年・1991年)
打点王5回(1982年・1985年・1986年・1989年・1990年)


打撃3冠王2年連続(プロ野球タイ)含む3回(1982年・1985年・1986年)

□主な野球表彰(現役時代)
MVP2回(1982年・1985年)
ベストナイン10回(1981年・1982年=二塁手、1983年・1988年・1991年=一塁手、1986年・1989年=三塁手)
オールスターMVP2回(1983年第3戦、1995年第1戦)

(注)赤太字はプロ野球記録

(注)黒太字は、セ・リーグ記録


□主なオールスターの記録
出場 15回(1981年−1991年・1993年・1995年−1997年)


通算打率 3割6分5厘(1000打数以上ではプロ野球記録)

通算本塁打 11

通算打点 27


□その他の主な記録
シーズン得点圏打率 4割9分2厘

シーズン出塁率 4割8分7厘
(公式でのプロ野球記録、ただし公式記録として採用される以前には落合を上回る記録も・・・1974年の王貞治の5割3分2厘が公式記録以前の記録)

シーズン打点 146

シーズン得点 118(1985年)(右打者のパリーグ記録

シーズン塁打 351(右打者のパリーグ記録

シーズン打率3割以上 11回(1981年−1987年、1989年・1991年・1995年・1996年、
右打者のプロ野球記録

シーズン50本塁打以上 
2年連続含む2回(1985年・1986年)

シーズン打率3割6分以上 2回(1985年・1986年)(プロ野球タイ、右打者ではプロ野球記録

シーズン30本塁打以上 9回(1981年・1982年・1984年−1986年、1988年−1991年)


17年連続シーズン100安打以上(1981年−1997年)

両リーグ1000安打以上(パ1096、セ1275)

両リーグ200本塁打

5試合連続本塁打(1989年10月10日−1989年10月14日)

通算打率 3割1分0厘8毛
(右打者のプロ野球記録、5000打数以上で右打者のプロ野球記録)

通算出塁率 4割2分2厘(右打者のプロ野球記録)

通算四球 1475(右打者のプロ野球記録)

シーズン打率 3割6分7厘

シーズン本塁打 52
(右打者の日本人プロ野球タイ記録)

(注)赤太字はプロ野球記録

(注)黒太字はリーグ記録


□特記事項
野球殿堂入り(日本)(2011年)


■長嶋ファン
プロ入り前から長嶋茂雄の熱心なファンであの引退試合も観戦している・・・

■稲尾和久との関係
ロッテ時代から稲尾和久(参照)を師と仰いでいます。

稲尾和久には絶対の信頼を寄せており、打撃理論で一目置いた山内一弘と稲尾和久には監督として野球を教わったと発言しています。

(参照)
稲尾和久
右投右打
身長180センチ、体重80キロ
1937年6月10日−2007年11月13日
投手
大分県出身・・・
「最初は打撃投手として獲得した」(当時の西鉄の三原脩監督)というように、あまり期待されてなかったが、1956年の1年目から21勝6敗で新人王と最優秀防御率を獲得・・・
最優秀防御率は1年目から3年目まで3年連続獲得・・・
3年目の1958年は、日本シリーズで3連敗4連勝の逆転日本一の貢献者となり、「神様・仏様・稲尾様」といわれる・・・
たくさん投げたことから「鉄腕」とも・・・
1961年にシーズン42勝でヴィクトル・スタルヒンと並ぶプロ野球記録・・・
1964年に0勝投手に転落し、以後はシーズン20勝以上なし・・・
1969年に現役引退・・・
1970年から1974年に西鉄・太平洋の監督・・・
1984年から1986年までロッテの監督・・・
1993年に野球殿堂入り(日本)・・・

投手成績
通算14年、276勝137敗、3599回、2574奪三振、防御率1.98

監督成績
通算8年、2位2回

最優秀防御率5回(1956年−1958年、1961年、1966年)
最高勝率2回(1957年・1961年)
最多勝4回(1979年・1958年・1961年・1963年)
奪三振王3回(1958年・1961年・1963年)※パ・リーグでは1989年より表彰

MVP2回(1957年・1958年)
新人王(1956年)
ベストナイン5回(1957年・1958年、1961年−1963年)
日本シリーズMVP1回(1958年)
野球殿堂入り(日本)(1993年)

シーズン42勝

日本シリーズ通算11勝
(堀内恒夫(参照)とタイ)

(注)赤太字はプロ野球記録
(注)黒太字はパ・リーグ記録

(参照)
堀内恒夫
右投右打
身長177センチ、体重73キロ
1948年1月16日−
投手
山梨県出身・・・
1966年巨人に入団・・・
1年目の1966年から新人のデビューから13連勝を含む16勝(2敗)を挙げ、防御率1.39、勝率8割8分9厘で最優秀防御率、最高勝率、新人王・・・
2年目は12勝2敗で勝率8割5分7厘で最高勝率・・・
同年10月10日にノーヒットノーランと投手として1試合3本塁打・・・
1972年に26勝9敗で勝率7割4分3厘で最高勝率、最多勝・・・
同年にシーズンMVPと日本シリーズMVP・・・
1973年に日本シリーズMVP・・・
1983年に現役引退・・・
現役引退後は解説者・・・
2004年・2005年は巨人の監督・・・
監督退任後に再び解説者・・・
2008年に野球殿堂入り(日本)・・・

投手成績
通算18年、203勝139敗6セーブ、3045回、1865奪三振、防御率3.27

打撃成績
1010打数174安打、21本塁打、82打点、終身打率1割7分2厘

監督成績
通算2年、3位1回

最優秀防御率1回(1966年)
最高勝率3回(1966年・1967年・1972年)
最多勝1回(1972年)

MVP1回(1972年)
新人王(1966年)
ベストナイン2回(1972年・1974年)
ダイヤモンドグラブ賞7回(1972年−1978年)
沢村賞2回(1966年・1972年)
日本シリーズMVP2回(1972年・1973年)

野球殿堂入り(日本)(2008年)
ノーヒットノーラン(1967年10月10日)
新人のデビューからの連勝 13
投手の1試合3本塁打(1967年10月10日)


・日本シリーズの記録
通算登板 47
通算投球回数 140回1/3
通算勝利 11(稲尾和久とタイ)
投手の1試合2本塁打(1973年第3戦)


(注)赤太字はプロ野球記録

稲尾和久投手は「鉄腕」ともいわれました・・・
タフに投げましたが、「戦後の鉄腕」が稲尾和久なら、「戦前の鉄腕」は野口二郎(参照)でしょう・・・)

(参照)
野口二郎

右投右打
身長175センチ、体重64キロ
1919年1月6日−2007年5月27日
投手、外野手、一塁手
高校時代に、1937年夏と1938年春の甲子園の優勝投手で、1938春にノーヒット・ノーラン・・・
大学(法大)を中退し、1939年に東京セネタースに入団・・・
速球は、速いため俗にいう「震えるボール」・・・(ヴィクトル・スタルヒンも「震えるボール」を投げていたという)
1年目・2年目ともに33勝・・・
2年目の1940年は最優秀防御率も獲得・・・
1941年も最優秀防御率・・・
1941年は40勝で最多勝・・・
1943年と1945年は20勝以上(それぞれ25勝・24勝)・・・
1939年−1943年と1947年はシーズン300回以上・・・
1939年は459回、1942年は527回1/3の「鉄腕」ぶり・・・
1942年は、シーズン19完封のプロ野球記録・・・
打者としても1946年に31試合連続安打のプロ野球記録(当時)・・・
1948年にシーズン13無四球試合のプロ野球記録・・・
1952年に現役引退・・・
1989年、野球殿堂入り(日本)・・・

投手成績
通算12年、237勝139敗、3447回1/3、1395奪三振、防御率1.96

打撃成績
通算13年、1098試合、3348打数830安打、9本塁打、368打点、終身打率2割4分8厘

最優秀防御率2回(1940年・1941年)
最多勝1回(1942年)
奪三振王1回(1942年)※当時は表彰なし

野球殿堂入り(日本)(1989年)

シーズン19完封藤本英雄とタイ)
シーズン13無四球試合
31試合連続安打(1946年)

(注)赤太字はプロ野球記録

■節目のヒットは本塁打
1000本、2000本など節目の記念のヒットはすべて本塁打・・・

本人は狙って打ったといっており、その集中力と技術の高さをうかがわせます。

■有限実行
落合は「(打撃)三冠王を獲る」と宣言し、三冠王を獲ったり、有言実行をしています。

その有言実行ぶりは驚異的でした。

■総評
落合博満は、プロ野球最多の3回の三冠王に輝いており、多くの右打者のプロ野球記録を持ち、バッテングカウントで追い込まれても高い打率を残しており、節目のヒットを狙って本塁打で飾るなど打撃のプロ野球記録を多く保持する王貞治、大試合に強く勝負強かった長嶋茂雄とはまた違った凄さを感じるプロ野球を代表する打者です。

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関連記事:いろいろなスポーツの主要記録(野球の項目を参照)



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