野口二郎 |
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■野口二郎■野球選手■戦前の鉄腕 右投右打 身長175センチ、体重64キロ 1920年1月6日−2007年5月21日 鉄腕といえば、「神様仏様稲尾様」の稲尾和久を思い浮かべる人も多いが、稲尾は「戦後の鉄腕」であり、「戦前の鉄腕」に野口二郎(のぐち・じろう)がいた 野口二郎は、デビューの年(1939年)と2年目(1940年)に33勝をし、2年目(1940年)、3年目(1942年)と2年連続の史上唯一の防御率0点台(0.93、0.88)、5年目まで毎年350回以上投げ、4年目の1942年には、527回1/3を投げ、その中には延長28回を一人で投げ抜いた試合も、しかもその前日の試合ではもう少しでノーヒットノーランの快投・・・シーズン40勝をし、プロ野球記録タイ(1943と年の藤本英雄と並ぶ)のシーズン19完封を記録した「鉄腕」 ■特徴 投手としては、前述のように、「鉄腕」で知られたが、打者でも投手をしながら、1946年に当時のプロ野球記録の31試合連続安打を記録 この年はシーズンで13勝、100安打 制球がよく、1948年にシーズン13無四球、1950年に54回1/3連続無四球のいずれもプロ野球記録 引退後は、コーチや二軍監督などを歴任 1989年に野球殿堂入り(日本) 2007年に死去、87歳没 ■震える球 よく凄い速球をうなりをあげる速球というが、野口二郎の速球は、スタルヒンと同じく「震える球」といわれた 投手成績 12年、防御率1.96、237勝135敗 最優秀防御率2回、最多勝1回、奪三振王1回(当時表彰なし) ※甲子園の優勝投手で通算237勝は最多勝 私の昭和激動の日々‐思い出の勝負、監督、選手たち 戦前の鉄腕といわれた野口二郎が半世紀の野球人生を語る プロ野球で「エースで4番」は成功しないのか 知られざる二刀流選手列伝 二刀流は、難しい挑戦だが、二刀流が存在しなかったわけではない 二刀流選手列伝から二刀流の可能性に迫る 打撃成績 13年、打率2割4分8厘、9本塁打、368打点 |
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