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■バース■野球選手■最強の助っ人 右投左打 身長184センチ、体重95キロ 1954年3月13日− ランディ・バースことランディ・ウィリアム・バスは、日本プロ野球・阪神で活躍 登録名「バース」 2度(2年連続)の打撃3冠王を記録し、「(日本プロ野球史上)最強の助っ人」ともいわれる 1986年のシーズン打率3割8分9厘は、日本プロ野球記録 現役引退後、アメリカで政治家を務めた ■履歴 ▼大リーグ 大リーグ時代は、数球団を転々としていた 大リーグ時代は、長打力はあったが、幼少期に足を骨折したことから、全力疾走できず、守れず、レギュラーを獲得できず さらに、速球に弱い弱点もあり、大リーグ通算本塁打はわずか9本 1982年オフに、ハワイのMLBウィンター・ミーティングで、阪急と阪神で獲得を争ったが、阪急がブーマー・ウェルズに乗り換え、12月18日に阪神に入団 ▼日本プロ野球 1983年に来日、入団当初は、右翼手で起用されたが、上記のように全力疾走できず、一塁手で起用された藤田平の年齢的衰えもあって、後に一塁手に固定 オープン戦での死球で左手首を骨折し、開幕2軍スタート 1軍昇格後も不振で4月はノーヒット しかし徐々に調子を上げ、シーズンが終わると、1年目から打率2割8分8厘、35本塁打、82打点の好成績で、シーズン終盤には当時の球団記録の25試合連続安打 1984年は、バースは、打率3割2分6厘も27本塁打、73打点とパワーが落ち、掛布の一塁手コンバート案で、解雇の候補にあがるも、当時の吉田義男監督の反対などで残留 1985年は、4月17日巨人戦での槙原寛己に、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発を浴びせる この年のシーズンのバースは、打率3割5分0厘、54本塁打、134打点で打撃3冠を獲得 しかし、1964年の王貞治の当時のプロ野球記録のシーズン55本塁打に迫った(54本塁打)が、残り2試合で、いずれも記録を持っていた王貞治の巨人戦 そうした中で江川卓は、残り2試合の最初の試合で先発し、バースと「勝負」をし、1安打に抑えた しかし最終戦は、事実上の敬遠などで(シーズン本塁打の記録並ばないため)勝負を避けられ、1本足りずの54本塁打 敬遠の指示は、当時の巨人の1軍投手コーチの堀内恒夫だといわれている バースは、最終戦を前に「自分はガイジンだから、(シーズン本塁打の)記録更新は無理だろう」との主旨の発言をしたといわれる 当時の巨人の監督だった王貞治は「自分はバースの敬遠を指示していない」との主旨の発言をしたといわれる ちなみに、バースは真っ向から「勝負」をした江川を高く評価している 打撃3冠王のほかに最高出塁率4割2分8厘と当時はあったタイトルの最多勝利打点22で合わせて打撃5冠 結局この年のセ・リーグMVP 日本シリーズでも、西武に4勝0敗で、日本シリーズMVP 1986年は、打率3割8分9厘のプロ野球記録 ほかに、47本塁打、108打点を挙げ、パ・リーグのロッテの落合博満とともに、2年連続打撃3冠王 バースは、この年、長打率7割7分7厘の当時の日本プロ野球記録などを作り、OPSも歴代2位の1.258を記録 (歴代1位は、1974年の王貞治の1.293) しかし、この年のセ・リーグMVPには選ばれず (受賞者は、リーグ優勝の広島・北別府学) 1987年は、打率3割2分0厘、37本塁打、79打点で無冠 1988年は、水頭症を患った長男への対応で球団と対立し、シーズン途中の6月27日解雇 バース退団をめぐるトラブルは、後に球団が示談金を支払い、解決した ▼帰国後 帰国後は、本業の農場経営の傍ら、1998年から2003年までジャイアンツのスカウト また、2000年から2003年までロートンハイスクールの女子ゴルフのコーチ 2001年に、故郷のロートンの市議を1期務め、2004年にオクラホマ州上院議員選挙の民主党の候補者となり、11月2日の投票で当選 2006年再選 2010年、2014年は対立候補がなく、無投票で再選 2018年の改選では、任期期限により、出馬できず 2019年1月3日の任期満了で退任 現役引退後もイベントなどでたびたび来日 ■名前 発音は「バス」だが、球団が「バース」を登録 ■選手としての特徴 バースが日本で好成績を残したのは、苦手とした速球投手が少なかったこと、本拠地・甲子園球場の浜風を利用し、掛布雅之を参考に流し打ちを習得した「対応力」や研究熱心さ 2度(2年連続)の打撃3冠王、シーズン最高打率の日本プロ野球記録などで「最強の助っ人」といわれることも 一塁の守備範囲は狭いが、捕球は確実で、守備でもある程度は貢献している しかし、守備の名手とはいえない バースは、守備力の低さを挽回するだけの高い打力があった 日本で多くの記録を残したバースだが、「日本風の打撃にした自分のスイングではメジャーの直球は打てない」とも 打撃成績 米大リーグ) 6年、130試合、325打数69安打、9本塁打、42打点、打率2割1分2厘 日本プロ野球) 6年、614試合、2208打数743安打、202本塁打、486打点、打率3割3分7厘 MVP1回 首位打者2回、本塁打王2回、打点王2回(いずれも1985年・1986年) 打撃3冠王2回(1985年・1986年) 最高出塁率2回(1985年・1986年) 最多安打2回(1985年・1986年)(当時は表彰なし) 最多勝利打点1回(1985年) ベストナイン3回(1985年ー1987年) 日本シリーズMVP1回(1985年) 日米通算) 12年、774試合、2533打数612安打、211本塁打、528打点、打率3割2分1厘 バースの日記。 「最強の助っ人」バースの苦悩と怒りの告白 |
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