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王貞治
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■スポーツの超人<国内編>INDEX■■■■■

長嶋茂雄 王貞治 金田正一 張本勲 落合博満
坂田弘好 松尾雄治 沢村栄治 藤本英雄
その他−参照

■王貞治■野球選手■868本塁打の世界のオー

左投左打

身長177センチ、体重79キロ

1940年5月20日−

独特の一本足打法で、通算868本塁打(レギュラーシーズン)を放ち、長嶋茂雄との「ON砲」で巨人のV9(9年連続日本一)に貢献・・・

1977年に初の国民栄誉賞受賞(同賞は王の偉業を表彰するため作られた)・・・

前述の868本塁打をはじめ、数多くのプロ野球記録を保持・・・

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■履歴
▼少年時代
王貞治は、1940年5月20日に東京都で生まれる。

父は中華民国(台湾)出身の台湾人、母は富山県出身の日本人・・・

5月10日に二卵性双生児の弟として生まれたが、戸籍上の出生日は5月20日です。

なお、双子の姉は1歳3ヶ月で早世しています。

将来の師となる荒川博との出会いは、荒川がまだ現役のプロ野球選手(毎日オリオンズ)の時、犬の散歩で隅田公園今戸グランドを通りかかった際、王が野球の試合に出ているのを見学し、左投げなのに右打ちだった王に左打ちをすすめたことからです。

左打ちに変え、すぐに二塁打を打ちます。

その後は、左打ちに変えます。

荒川は当時身長176センチの王を高校生と勘違いしますが、王は中学生でした。

▼早稲田実業時代
第一志望の都立隅田川高校に落ち、荒川の母校・早稲田実業に進学します。

早稲田実業では、1年の時に外野兼控え投手で夏の甲子園に出場(2回戦敗退)・・・

1年の秋にエースとなり、2年の春の甲子園で全国制覇・・・夏の甲子園ではノーヒットノーラン(全国制覇はならず)

早稲田実業は、国体の硬式野球高校部門に選出されたが、王は当時の国籍規定(王は中華民国(台湾)国籍)のため出場できませんでした(現在は国籍規定は撤廃)。

3年の時、春の甲子園では、打者として活躍・・・

2試合連続本塁打を放った(全国制覇はならず)。

3年の夏の甲子園は出場できず・・・

巨人や阪神などからプロの誘いがありますが、巨人へ入団を決意します。

▼現役時代・プロ
1959年に背番号「1」で巨人に入団・・・

当初は投手で入団したが、監督の水原茂(参照)から、「投手失格」を言い渡され、すぐに一塁手への転向・・・

オープン戦は好調だったが、開幕で国鉄の金田正一に3打席で2三振1四球に抑えられ、初安打は27打席目の本塁打でした。

同年6月25日の天覧試合では本塁打を放ち、これがONアベックホームランの最初でした。

1年目は打率1割6分1厘、7本塁打に終わります。

プロの水に慣れた2年目は打率2割7分、17本塁打(本塁打はチーム最多)でオールスターにファン投票選出・・・

3年目は打率2割5分3厘、13本塁打と伸び悩んだ・・・

3年目の1961年のシーズンオフ、荒川博が打撃コーチとなり、タイミングを重視する「一本足打法」を試みる・・・

1962年のシーズンが開幕し、最初はそれほど「一本足打法」の効果がなかったが少しずつ調子を上げ、シーズン終了時には38本塁打、85打点で打撃2冠となります。

以後、長きにわたり本塁打王は王が独占します。

1963年も打率3割0分5厘、40本塁打で2年連続本塁打王・・・

長嶋茂雄とのコンビを「ON砲」と呼ぶ呼称も定着します。

1964年は、開幕ホームランを放つと、そのままの勢いでシーズン55本塁打のプロ野球記録(当時)を作ります。

この年は119打点で、本塁打王、打点王の2冠に輝きます。

以後はほとんど長嶋茂雄とのONで打撃3冠のタイトル争いをします。

1971年シーズン後半から1972年にかけてスランプになりますが(それでも1971年と1972年は本塁打王・打点王の2冠)、1973年・1974年と2年連続三冠王に輝きます。

1975年は13年連続で獲得していた本塁打王を田淵幸一に明け渡します。

1976年にベーブ・ルースの714本塁打を上回ると、王の目標はハンク・アーロン(参照)の大リーグ記録755本塁打を上回ることに定まります。

1977年にハンク・アーロンの755本塁打を上回ると、国民栄誉賞に・・・。

その後も本塁打を打ち続けます。

しかし、1980年に30本塁打ながら、11月4日に「王貞治のバッテングが出来なくなった」として現役引退を表明・・・

本塁打は公式戦で868本塁打になっていました。

この年の打率が2割3分6厘・・・

引退の要因に終身打率3割以上へのこだわりもあったことを後に認めています。
(王の終身打率は3割0分1厘)

▼巨人監督・助監督時代
現役引退後は、巨人の背番号「1」は永久欠番・・・
(ただし、王自身が巨人の監督・助監督で着用)
(1976年から1980年まで選手兼任コーチ)

1981年から1983年まで巨人の助監督・・・

1984年から巨人監督

1984年、3位
1985年、3位
1986年、2位
1987年、1位(日本シリーズで西武に敗れる)
1988年、2位

1988年で監督退任、NHK解説者に・・・

1994年、野球殿堂入り(日本)・・・

▼ダイエー・ソフトバンク監督時代
1995年からダイエー、2005年からはソフトバンクの監督・・・(親会社が代わった)

1995年、5位
1996年、6位
1997年、4位
1998年、3位
1999年、1位(日本シリーズで中日を下し日本一)
2000年、1位(日本シリーズは、ON監督対決で注目されたが、巨人に敗れる)
2001年、2位
2002年、2位
2003年、1位(日本シリーズで阪神を下し日本一)
2004年、1位(シーズン1位ながら、プレーオフで日本シリーズ進出は西武)
2005年、1位(シーズン1位ながら、プレーオフで日本シリーズ進出はロッテ)
2006年、3位(病気で55試合欠場)
2007年、3位
2008年、6位(体調不良で1試合欠場)

2006年、WBC代表監督、世界一。

2008年の監督退任後もソフトバンク球団社長、巨人OB会の会長など務めています。

2009年に手術・・・。

(参照)
水原茂
身長170センチ、体重64キロ
1909年1月19日−1982年3月26日
三塁手
香川県出身
巨人の名監督・・・
巨人時代に在任11年でリーグ優勝8回、日本一4回・・・
東映でも日本一に1回・・・
1955年から1958年の登録名は水原円裕・・・
甲子園優勝経験者で慶大のスターで全日本メンバーでそのまま巨人入り・・・
大学時代は三原脩(大学当時は修)(参照)のライバルでプロでもその関係は続いた・・・
兵役でシベリア抑留を体験し、1949年7月に帰国後に巨人に戻るが、同年シーズン終了後の三原監督排斥で、1950年から「三原総監督・水原監督」体制に・・・
結果的に三原を追い出し、水原が監督に・・・
三原とは1956年から1958年の日本シリーズで3戦全敗・・・
特に1958年は3連勝4連敗の屈辱・・・
(1959年は、鶴岡一人(参照)の南海に4連敗・・・)
1960年には同じリーグで三原の率いる大洋が日本一になり、巨人の監督退任のきっかけに・・・
1962年に東映で日本一・・・
その後も中日監督を務め、中日監督退任後は、解説者・・・
1977年に野球殿堂入り(日本)・・・
大リーグ仕込のワンポイントリリーフ、ブロックサインを持ち込んだとされる・・・

打撃成績
通算8年、523試合、1960打数476安打、12本塁打、184打点、終身打率2割4分3厘

投手成績
通算1年、8勝2敗、防御率2.14

□監督としての成績
1950年から1960年、巨人監督
1961年から1967年、東映監督
1969年から1971年、中日監督
1968年から1970年、近鉄監督
セ・リーグの巨人で1951年−1953年、1955年−1959年リーグ優勝、1951年−1953年、1955年日本一
パ・リーグの東映で1962年リーグ優勝、1962年日本一

MVP1回(1942年)
ベストナイン1回(1940年)

野球殿堂入り(日本)(1977年)

(参照)
ハンク・アーロン
右投右打
身長183センチ、体重81.5キロ
1934年2月5日−
外野手、一塁手
アメリカ・アラバマ州モービル出身
大リーグを代表する打者のひとり・・・
ハンク・アーロンことヘンリー・ルイス・アーロンは1934年2月5日に生まれます・・・
1954年に大リーグ昇格し、1957年にワールドシリーズ制覇・・・
1974年にベーブ・ルースの通算本塁打714本の大リーグ記録(当時)に並び、追い越します・・・
その年のオフに、来日し、王貞治と交流・・・イベントなどにも参加・・・
1975年、現役引退・・・
通算本塁打は755本で、引退した当時は大リーグ記録で、現在=2015年9月2日現在でも大リーグ2位・・・
ミルウォーキー・ブルワーズの背番号「44」は、永久欠番・・・
1982年、アメリカ野球殿堂入り・・・

打撃成績
通算23年、3298試合、12364打数3771安打、755本塁打、2279打点、終身打率3割0分5厘

首位打者2回(1956年・1959年)
本塁打王4回(1957年・1963年・1966年・1967年)
打点王4回(1957年・1960年・1963年・1966年)

MVP1回(1957年)
ゴールドグラブ賞3回(1958年−1960年)

アメリカ野球殿堂入り(1982年)
2279打点
6856塁打

トリプルスリー(シーズンで打率3割・30本塁打・30盗塁以上)(1963年)ちなみに通算盗塁は240

(注)赤太字は大リーグ記録

(参照)
三原脩
身長168センチ、体重64キロ
1911年11月21日−1984年2月6日
二塁手
香川県出身
「魔術師」とも「知将」ともいわれた名監督・・・
巨人の総監督退任までの表記は三原修
早大のスターとして活躍し、大学を中退し、1934年に契約1号で、大日本東京野球倶楽部(後の巨人)に入団・・・
選手としてはわずかの期間で現役引退・・・

選手より監督として有名ですね・・・
アテ馬(偵察メンバー)やワンポイントリリーフなどを使ったり、「スミ1」などの言葉の考案者といわれています・・・

三原采配の特徴の一例・・・
日本シリーズは偶数戦を重視した
流線型打線(超攻撃的な二番打者に強打者を配置)
超二流(一流ではないが、一芸に秀でた選手を重用)

「野球は筋書きのないドラマ」
「まだ首の皮一枚つながっている」
上記の言葉は三原脩の名言といわれます・・・

監督退任後は日本ハム球団社長→相談役・・・
1983年、野球殿堂入り(日本)・・・

打撃成績
通算3年、109試合、407打数92安打、0本塁打、40打点、終身打率2割2分6厘

□監督としての成績
1947年から1949年、巨人監督(1950年から総監督に・・・)
1951年から1959年、西鉄監督
1960年から1967年、大洋監督
1968年から1970年、近鉄監督
1971年から1973年、ヤクルト監督
1リーグ時代に巨人で1949年優勝
パ・リーグの西鉄で1954年・1956年−1958年リーグ優勝、1956年−1958年日本一
セ・リーグの大洋で1960年リーグ優勝、1960年日本一
特に1958年の3連敗4連勝の逆転日本一は有名・・・

野球殿堂入り(日本)(1983年)

(参照)
鶴岡一人
身長173センチ、体重68キロ
1916年7月27日−2000年3月3日
三塁手、二塁手、一塁手、外野手
広島県出身
南海の名監督・・・
鶴岡親分、初代ミスターホークス、ドン鶴岡とも・・・
史上最多勝監督・・・
1946年から1958年まで山本一人・・・
広島商で遊撃手で1931年の春の甲子園優勝・・・
法大に進学し、華麗な三塁守備などで活躍・・・
1939年に大学卒業で南海に入団・・・
同年いきなり10本塁打で本塁打王・・・
1940年から兵役・・・
1946年に復員・・・
同年から1952年まで選手兼監督・・・
選手としては1946年に95打点で打点王・・・
1952年に現役引退・・・
1953年から南海の専任監督・・・
優秀なテスト生や外国人選手を入団させ、彼らを率いて南海の黄金期を築く・・・
専属スコアラーを採用し、「データ野球」を導入したことでも知られる・・・
リーグ優勝11回(2回は1リーグ時代)、日本一2回・・・
また現在のGMの先駆けの一人ともいわれる・・・
1965年に監督を退任するが、後任監督の急死で,再び監督となり、1968年限りで監督退任・・・
監督退任後は、監督への誘いもあったが、解説者や野球評論家・・・
監督在任中の1965年に野球殿堂入り(日本)・・・

打撃成績
通算8年、754試合、2581打数790安打、61本塁打、467打点、終身打率2割9分5厘

□監督としての成績
1946年から1968年、南海監督
1リーグ時代に南海で1946年・1948年優勝
パ・リーグの南海で1951年−1953年、1955年・1959年・1961年、1964年−1966年リーグ優勝、1959年・1964年日本一

通算最多勝監督 1773勝(1140敗81分)
通算最高勝率監督 6割0分9厘


本塁打王1回(1939年)
打点王1回(1946年)

MVP3回(1946年・1948年・1951年)
ベストナイン1回(1951年)
野球殿堂入り(日本)(1965年)

■年度別打撃成績
球団 試合  打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 四死球 三振 打率 
1959 巨人 94 193 18 31 25 24・3 72 .161
1960 巨人 130 426 49 115 19 17 71 67・5 101 .270
1961 巨人 127 396 50 100 25 13 53 10 64・3 72 .253
1962 巨人 134 497 79 135 28 38 85 ※1 99 .272
1963 巨人 140 478 111 146 30 40 106 ※2 64 .305
1964 巨人 140 472 110 151 24 55 119 ※3 81 .320
1965 巨人 135 428 104 138 19 42 104 ※4 58 .322
1966 巨人 129 396 111 123 14 48 116 ※5 51 .311
1967 巨人 133 426 94 139 22 47 108 ※6 65 .326
1968 巨人 131 442 107 144 28 49 119 ※7 72 .326
1969 巨人 130 452 112 156 21 44 103 ※8 61 .345
1970 巨人 129 425 97 138 24 47 93 ※9 48 .325
1971 巨人 130 434 92 120 18 39 101 ※10 65 .276
1972 巨人 130 456 104 135 19 48 120 ※11 43 .296
1973 巨人 130 428 111 152 18 51 114 ※12 41 .355
1974 巨人 130 385 105 128 18 49 107 ※13 44 .332
1975 巨人 128 393 77 112 14 33 96 ※14 62 .285
1976 巨人 122 400 99 130 11 49 123 ※15 45 .325
1977 巨人 130 432 114 140 15 50 124 ※16 37 .324
1978 巨人 130 440 91 132 20 39 118 ※17 43 .300
1979 巨人 120 407 73 116 15 33 81 89・5 48 .285
1980 巨人 129 444 59 105 10 30 84 72・3 47 .236
  2831 11866 1967 2786 422 25 868 2170 84 ※18 1319 .301
(注)通算22年
(注)年度の黒太字はリーグ1位
(注)年度と通算の赤太字はプロ野球記録
(注)四死球は、四球数・死球数
※1 72四球・12死球
※2 123四球・6死球
※3 119四球・3死球
※4 138四球・6死球
※5 142四球・7死球
※6 130四球・7死球
※7 121四球・10死球
※8 111四球・5死球
※9 119四球・6死球
※10 121四球・5死球
※11 108四球・6死球
※12 124四球・4死球
※13 
158四球・8死球
※14 123四球・1死球
※15 125四球・2死球
※16 126四球・6死球
※17 114四球・1死球

※18 
2390四球・114死球


■打撃

□主なタイトル
首位打者5回(1968年−1970年・1973年・1974年)
本塁打王13年連続含む15回(1962年−1974年、1976年・1977年)
打点王8年連続含む13回(1962年・1964年−1967年、1971年−1978年)


□打撃三冠王
2年連続2回(1973年・1974年

□サイクルヒット
1963年4月25日 対阪神戦

□主な野球表彰(現役時代)
MVP9回(1964年・1965年・1967年・1969年・1970年・1973年・1974年・1976年・1977年)
ベストナイン18年連続18回(1962年−1979年)
ダイヤモンドグラブ賞9回(1972年設立で、設立の年から引退の年まで全シーズン、1972年−1980年)
オールスターMVP3回(1963年第2戦、1977年第3戦、1979年第1戦)

(注)赤太字はプロ野球記録

(注)黒太字は、セ・リーグ記録

□その他の主な表彰
国民栄誉賞(1977年)
野球殿堂入り(日本)(1994年)


□主な本塁打記録

通算本塁打868本塁打

シーズン50本塁打以上3回(1965年・1973年・1977年)

シーズン40本塁打以上 8年連続含む13回(1963年−1970年、1972年ー1974年、1976年・1977年)

シーズン30本塁打以上 19年連続19回(1962−1980年、シーズン20本塁打以上でもプロ野球記録)

シーズン10本塁打以上 21年連続21回(1960年−1980年)

7試合連続本塁打(1072年9月11日−9月20日、プロ野球タイ)

4打席連続本塁打(1964年5月3日、プロ野球タイ記録)

1試合4本塁打(1964年5月3日、プロ野球タイ)


1試合3本塁打以上5回

1試合2本塁打以上95回

※本塁打は公式戦で868本、その他に日本シリーズ29本、オールスター13本、東西対抗1本、日米野球23本、オープン戦98本
生涯の本塁打は1032本!

□主な打率記録
通算安打2786本

シーズン打率3割以上 8年連続含む13回(1963年−1970年、1973年・1974年、1976年−1978年)

シーズン100安打以上 21年連続21回(1960年−1980年)

打率ベストテン 16年連続含む17回(1960年、1962年−1977年)


□主な得点記録
通算得点 2170

□主な打点記録
通算打点 2170

シーズン100打点以上
 7年連続含む14回(1963年−1969年、1971年−1974年、1976年−1978年)

□主な四死球記録
通算四球 2390

シーズン最多四球 158個(1974年)

シーズン最多四死球 166個(1974年)

連続試合四球 18(1970年)


□主な日本シリーズの記録
通算出場回数 14(プロ野球タイ)

通算出場試合 77

通算得点 59

通算本塁打 29

通算犠飛 5

通算四球 83

通算敬遠 427

※ちなみに日本シリーズでの打率は2割8分1厘

□主なオールスターの記録
ファン投票選出21回(1960年−1980年、21年連続、プロ野球タイ・・・ただし1965年もファン投票選出もケガのため出場辞退)

出場試合 58

通算打数 188

通算犠飛 3

連続試合無安打 33 
(途中5四球)

前述のように、オールスターMVP3回(1963年第2戦、1977年第3戦、1979年第1戦)

※ちなみにオールスターでの打率は2割1分3厘

□主な日米野球の記録
通算本塁打 23

(注)赤太字はプロ野球記録

(注)黒太字はセ・リーグ記録





■王シフト
広島カープがコンピューターで王の打撃を分析し、特徴や傾向から「王シフト」を作り出しました。

長嶋も同じように分析しましたが、特徴や傾向が分析できず、「長嶋シフト」を作れませんでした。

コンピューターに分析不可能だった長嶋もすごいですが、「王シフト」をものともせず本塁打を打ち続けた王もすごいですね。
(本塁打を打てば「王シフト」は問題なしですから・・・)


■性格
本塁打を打っても、冷静で、これは兄の打たれた相手の気持ちを考えろとの主旨の発言の影響・・・

打撃に関しては、頑固で、自分にこだわりがあり、晩年に長嶋茂雄が人に打撃について助言を求めていたのとは対照的・・・

律儀な性格で、ファンレターや年賀状の返事は必ず書くといわれます。

自分は「中華料理屋の倅」と庶民派で飾らないところも・・・

若い頃は門限破りなどかなりやんちゃだったが、荒川コーチから酒・タバコ・女を控えるようにいわれ、改心したといわれます。

若い頃は、自動車のスピード狂だったといわれます。

王は、打撃投手など裏方にも気をつかったといわれます。

■ON砲
長嶋とは、ON砲で巨人を支えた同士であり、ONアベックホームランは106回、王貞治が「尊敬する野球選手は?」と聞かれると、ハンク・アーロン、川上哲治(参照)とともに必ず長嶋茂雄の名を挙げます。


(参照)
川上哲治
左投左打
身長174センチ、体重75キロ
1920年3月23日−2013年10月28日
一塁手、投手
熊本県出身
戦前・戦後を代表する打者・・・
高校野球(川上の時代は中等野球)で、甲子園の土を持ち帰った最初の人物といわれる・・・
最初は投手で入団したが、後に打者に転向・・・
一塁手・・・
「打撃の神様」「赤バット」「弾丸ライナー」など数々の異名を持つ・・・
中距離打者で、アベレージ・ヒッターだが、サイクル安打、逆転サヨナラ本塁打など本塁打に関する記録も多い
打撃は素晴らしいが、守備(一塁手)は上手いとはいえない・・・
監督としてもV9(9年連続日本一)を達成するなど11回のリーグ優勝全てで日本一・・・
現役時代の背番号「16」は、巨人の永久欠番・・・
1965年、野球殿堂入り(日本)・・・

打撃成績
通算18年、1979試合、7500打数2351安打、181本塁打、1319打点、終身打率3割1分3厘

投手成績
通算4年、11勝9敗、200回、97奪三振、防御率2.61

監督成績
通算14年、リーグ優勝11回、
日本一11回(9年連続日本一含む)

首位打者5回(1939年・1941年・1951年・1953年・1955年)
本塁打王2回(1940年・1948年)
打点王3回(1939年・1941年・1955年)

MVP3回(1941年・1951年・1955年)
ベストナイン10回(1940年、1947年−1949年、1951年、1953年、1955年−1958年)
日本シリーズMVP1回(1953年)
オールスターMVP1回(1951年第1戦)
日本シリーズ終身打率3割6分5厘(159打数58安打)※80打数以上
野球殿堂入り(日本)(1965年)

■趣味
趣味はピアノ演奏です。

■家族
しつけには厳しく3人の娘がいるが、娘であっても鼻血が出るまで殴ったことも・・・

3人の娘は、結婚すると姓がかわってしまうため、「理」の字を名前につけました。
(里は王家ということで理)

■国籍
中華民国(台湾)国籍で、自分の国籍に強いこだわりを持つといわれます。

ただし、海外メディアからの「あなたは日本人ですか?」の質問に王は「父は中国人だが、母は日本人です。私は生まれた時より日本で育ち、日本の教育を受け、日本のプロ野球人として人生を送ってきました。疑いなく日本人です。」と答えています。

■アメリカでの評価
日米野球などでも活躍し、世界的にも高い評価を受ける一方で、日本では「世界の(本塁打)王」だが、日本以外の世界では「日本の本塁打王」と紹介されることが多いそうです。

アメリカは王貞治を本塁打の世界一と認めていない(認めたくない)ようです。

2006年11月のタイム誌で「60年のアジアの英雄」の66人の一人に選ばれています。

■総評
本塁打をはじめ、多くの打撃のプロ野球記録を持っています。

世界的にもかなりの知名度のある偉大なプロ野球選手です。

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関連記事:いろいろなスポーツの主要記録(野球の項目を参照)



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  王貞治

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