堀内恒夫 |
ホーム>>>スタディ>>>スポーツ>>>日本プロ野球選手>>>は>>> |
■堀内恒夫■野球選手■X9時代の巨人のエース 右投右打 身長178センチ、体重73キロ 1948「年1月16日− 堀内恒夫(ほりうち・つねお)は、巨人のV9時代のエース ON(王貞治・長嶋茂雄)とともに、V9の中心選手 入団時は、背番号21だったが、後にエース番号18を着けた ■経歴 ▼プロ入り前 小学校時代に右手人差し指を1cm程切断する大ケガを負うが、そのことで独特の大きなドロップカーブを生み出すことに 甲府商で、控え投手として1963年夏の甲子園に出場するが、この年は出場校が多く、甲子園と西宮球場を併用し、甲府商は、西宮組となったので、甲子園へ行くことなく、3回戦敗退 その後、チームのエースとなるが、甲子園出場なし 1965年秋の第1回ドラフト会議で、巨人に1位指名で入団 ▼プロ 1年目の1966年に、デビューから13連勝を含む16勝2敗、勝率8割8分9厘、防御率1.39で、新人王と最優秀防御率、最高勝率と沢村賞を獲得 2年目も12勝2敗で最高勝率 同年10月10日に、自身も3本塁打を打ち、ノーヒットノーラン達成 3年目から17勝、14勝、18勝、14勝で、先発の一角を担い、1972年に26勝9敗で、最高勝率と最多勝 1978年を最後に2桁勝利から遠ざかり、1983年に現役引退 その間、1972年がMVP、沢村賞、1972年、1973年が日本シリーズMVPで、巨人のエースとしてV9に貢献 ▼現役引退後 引退後は、1984年から巨人の投手コーチ、1986年から1992年まで解説者・評論家 1993年から1998年まで巨人の投手コーチ、ヘッドコーチを歴任 1993年から2003年まで解説者・評論家 2003年オフに巨人監督に就任 2005年限りで監督退任 2006年から2016年まで解説者・評論家 2008年に野球殿堂入り(日本) 2010年に参院選に出馬し落選 2013年に繰り上げ当選で政治家に・・・(現職死去のため) 2016年の参院選で落選 投手成績・・・ 18年、560試合登板、203勝139敗6セーブ、防御率3.22 MVP1回、新人王(1966年) 最優秀防御率1回、最高勝率3回、最多勝1回 沢村賞2回 ベストナイン2回 ダイヤモンドグラブ賞7回 日本シリーズMVP2回 野球殿堂入り(日本)(2008年) ノーヒットノーラン1回 オレは悪太郎 「甲斐の小天狗」「悪太郎」といわれた堀内恒夫の自叙伝 打撃成績・・・ 1010打数174安打、21本塁打、82打点、打率1割7分2厘 監督成績・・・ 2年、284試合、133勝144敗7分、勝率4割8分0厘 |
■ネットビジネス研究 □お小遣いサイト お財布.com □アフィリエイト おすすめレンタルサーバーとホームページ作成ソフト おすすめASP ■ホームページ制作 |
広瀬叔功 |