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テッド・ウィリアムズ
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その他−参照2

■テッド・ウィリアムズ■野球選手■最後の4割打者、打撃の天才(神様)

右投左打

身長約190センチ、体重約93キロ

1918年8月30日−2002年7月5日

テッド・ウィリアムズは、ロジャース・ホーンスビーと並び、大リーグで2回の(打撃)三冠王、シーズン打率4割以上のいわゆる「4割打者」を最年少で達成した「最後の4割打者」です。

通算出塁率4割8分2厘の大リーグ記録保持者で、打撃の天才(神様)ともいわれます。

ポジションは外野手です。



テッド・ウィリアムズの打撃の奥義については、テッド・ウィリアムズのバッテングの科学で自身が語っています
1978年刊の新装版

テッド・ウィリアムズは、シーズン打率4割以上と打撃3冠王を2回記録しました
シーズン打率4割は、2018年3月現在「最後」です
シーズン打率4割以上のいわゆる「4割打者」となったテッド・ウィリアムズの偉大な記録などはMLBの不滅の大記録で確認できます

テッド・ウィリアムズを知るおすすめ作品

■履歴
▼アマチュア時代
1918年8月30日に、テッド・ウィリアムズことセオドル・サミュエル・ウィリアムズは、アメリカに生まれます。]

父・サミュエル・スチュアート・ウィリアムズと大統領・セオドル・ルーズベルトよりちなみ名づけられたそうです。

高校時代から才能を認められていたテッド・ウィリアムズは、地元とサンディエゴのパドレスやミネアポリスのマイナーに所属し、大リーグ昇格の機会をうかがっていました。

▼現役時代
1939年に大リーグに昇格し、いきなり活躍し、打点王

3年目の1941年にはシーズン打率4割以上のいわゆる4割打者

シーズン最終日にダブルヘッダーを残し、打率3割9分9厘5毛で、四捨五入で打率4割になりますが、最終日のダブルヘッダーも出場し、8打数6安打で、打率4割0分6厘で文句なしの4割打者となります。

23歳1ヶ月の史上最年少の4割打者で、テッド・ウィリアムズがシーズン打率4割を達成して以後、4割打者は出現しておらず、テッド・ウィリアムズは「最後の4割打者」といわれます。

この年は首位打者と本塁打王の2冠・・・打点はジョー・ディマジオの125にわずか5点差の120の2位でした。

1942年に(打撃)三冠王・・・1947年に2回目の三冠王

この三冠王2回は、ロジャース・ホーンスビーと並ぶ大リーグ記録です。

1949年も三冠王のチャンスでしたが、わずかの差で打率2位で三冠王を逃し、1954年は打率がリーグトップでしたが、当時の首位打者の規定であった400打数に136四球が影響し、396打数で規定に届かず、そのため三冠王を逃しています。

1957年シーズン前に規定が打数ではなく、打席を採用するように変更になっています。

第二次世界大戦と朝鮮戦争の軍役がなければ、もっとすごい打撃成績を残しているかもしれません。

1960年に現役引退をするまでレッドソックスの主軸として活躍しました。

終身打率3割4分4厘、521本塁打はレッドソックスの球団記録で、通算出塁率4割8分2厘は大リーグ記録

「アンタッチャブル」といわれるシーズン出塁率5割以上を3回記録しています。

▼現役引退後
1960年に現役引退後は、レッドソックスでの背番号「9」は永久欠番

1966年にアメリカ野球殿堂入り

1969年から第3次ワシントン・セネタース及び後進のテキサス・レンジャースの監督を4年間務めています。

2002年に死去。

■ウィリアムズの遺体
死の直後、自分の死体を冷凍保存する遺言で物議を醸します。

ウィリアムズの長男は冷凍保存を望み、長女は火葬を望みます。

結果的には、双方の意見を尊重し、頭部を冷凍保存、胴体以下は火葬となりました。

また、長男はその数ヵ月後に病死しますが、本人の希望で冷凍保存されています。

■人物
釣りが趣味で、厳格な性格ですが、堅苦しいことを嫌い、ネクタイを嫌っていました。

ファンやマスコミとの関係も良好とはいえず、求道者的性格で圧倒的実力がありながら、ライバルといわれたジョー・ディマジオのように華麗で大人気を得ることがありませんでした。

性格はジョー・ディマジオとは対照的だったようです。

人種問題については進歩的思想の持ち主で、黒人選手との関係もすごぶる良好だったようです。

■野球人として
前述のようにマスコミ受けが悪く、MVPなどで、シーズンで圧倒的数字を残しながら、選出されない年もありました。

動体視力に優れ、78回転レコードのラベルが読めたといわれます。

優れた動体視力の逸話は他にもあります。

記憶力も優れ、その日の試合での相手の投球・球種を全て記憶し、それが打撃のすごさにつながり、自著「バッティングの科学」はその記憶力を元に書かれています。

■3つの悔い
テッド・ウィリアムズは、打撃に関しては、素晴らしいですが、それでも3つの悔いがあるといわれます。

・ワールドシリーズに1回しか出場できなかった(しかもその1回のワールドシリーズでカージナルスに敗れている)
・軍役で5年ほどの中断があったこと
・「俊足」に恵まれなかったこと

軍役での中断がなければ、さらに打撃成績も伸びた可能性があります。
俊足に恵まれていれば、内野安打も増え、さらに打撃成績も伸びた可能性があります。

■ライバル
テッド・ウィリアムズのライバルには、華麗で人気もあったジョー・ディマジオ(参照)がいます。

求道者的性格のテッド・ウィリアムズとは対蹠的でした。

参照:ジョー・ディマジオ

■その他
試合前の打撃練習では、自画自賛の発言をしていたといわれます。

遊びもせず、タバコなども吸わず、自己管理の厳しいストイックな性格だといわれています。

ウィリアムズの打撃に対し、クークランド・インディアンスの監督・ルー・ブードローは、内野を右に寄せる「ブードロー・シフト」で対抗しましたが、これは後に日本のプロ野球での「王シフト」の原型といわれています。

現役引退後に「第1ストライクを狙うことが強打者になる秘訣」という主旨の発言をしています。

野村克也は、打撃についてウィリアムズの著書で投手のクセなどを研究するようになったといわれます。

■総評
(打撃)三冠王2回、4割打者

終身打率3割4分4厘、521本塁打、1839打点

通算出塁率4割8分2厘

その優れた打撃成績は、たしかに「打撃の天才(神様)」と呼んでいいかもしれません。


■年度別打撃成績
球団 試合  打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 四死球 三振 打率 
1939 BOS 149 565 131 185 44 11 31 145 ※1 64 .327
1940 BOS 144 561 134 193 43 14 23 113 96・3 54 .344
1941 BOS 143 456 135 185 33 37 120 ※2 27 .406
1942 BOS 150 522 141 186 34 36 137 ※3 51 .356
                           
1946 BOS 150 514 142 176 37 38 123 ※4 44 .342
1947 BOS 156 528 125 181 40 32 114 ※5 47 .343
1948 BOS 137 509 124 188 44 25 127 ※6 41 .369
1949 BOS 155 565 150 194 39 43 159 ※7 48 .343
1950 BOS 89 334 82 106 24 28 97 82・0 21 .317
1951 BOS 148 531 109 169 28 30 126 ※8 45 .318
1952 BOS 10 2・0 .400
1953 BOS 37 91 17 37 13 34 19・0 10 .407
1954 BOS 117 386 93 133 23 29 89 ※9 32 .345
1955 BOS 98 320 77 114 21 28 83 91・2 24 .356
1956 BOS 136 400 71 138 28 24 82 ※10 39 .345
1957 BOS 132 420 96 163 28 38 87 ※11 43 .388
1958 BOS 129 411 81 135 23 26 85 98・4 49 .328
1959 BOS 103 272 32 69 15 10 43 52・2 27 .254
1960 BOS 113 310 56 98 15 29 72 75・3 41 .316
  2292 7706 1798 2654 525 71 521 1839 24 ※12 709 .344
(注)通算19年
(注)球団のBOSはボストン・レッドソックス
(注)年度の黒太字はリーグ1位
(注)四死球は、四球数・死球数
(注)1954年は規定打席に達していないが、残りの打席が全て凡退であるとしても規制打席到達者の最高出塁率、長打率、OPSを上回る為、リーグ1位として扱われる
※1 107四球・2死球
※2 147四球・3死球
※3 145四球・4死球
※4 156四球・2死球
※5 162四球・2死球
※6 126四球・3死球
※7 162四球・2死球
※8 144四球・0死球
※9 136四球・1死球
※10 102四球・1死球
※11 119四球・5死球

※12 2021四球・39死球

■打撃

□主なタイトル
(打撃)三冠王2回(1942年・1947年)

首位打者6回(1941年・1942年・1947年・1948年・1957年・1958年)
本塁打王4回(1941年・1942年・1947年・1949年)
打点王4回(1939年・1942年・1947年・1949年)

□主な野球表彰(現役時代)
MVP2回(1946年・1949年)

□特記事項
通算出塁率 4割8分2厘
4割打者 1回(1941年)
アメリカ野球殿堂入り(1966年)

(注)赤太字は大リーグ記録


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