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ロジャース・ホーンスビー
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テッド・ウィリアムズ ベーブ・ルース R・ホーンスビー R・ヘンダーソン
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■ロジャース・ホーンスビー■野球選手■大リーグ史上最高の右打者

右投右打

身長約180センチ、体重約79.5キロ

1896年4月27日−1963年1月5日

ロジャース・ホーンスビーは、大リーグ記録となるテッド・ウィリアムズと並ぶ2回の(打撃)三冠王、タイ・カッブと並ぶシーズン打率4割以上のいわゆる「4割打者」を2年連続を含む3回記録した「大リーグ史上最高の右打者」といわれます。

ポジションは内野手(二塁手)です。

打席での堂々たる振る舞いやロジャースという名前の響きから「the rajah」(ラージャ=インドの王様)ともいわれます。

タイ・カッブと比較され、大リーグ史上最高の選手の候補にも挙がる名選手で、ちなみに打撃の天才(神様)テッド・ウィリアムズは、「ロジャース・ホーンスビーの方が(タイ・カッブより)上」との主旨の発言をしています。
(私は、タイ・カッブが大リーグ史上最高の選手だと思いますが、ロジャース・ホーンスビーも、タイ・カッブに迫る素晴らしい選手だと思います)

□R・ホーンスビーを知るおすすめ作品

■履歴
▼大リーグまで
1896年4月27日に、ロジャース・ホーンスビーは、アメリカに生まれます。

▼現役時代(大リーグ)
1915年のイーズン終盤の19歳の時に、マイナーのデニソンという球団からセントルイス・カージナルスに入団・・・
カージナルスには遊撃手として入団したが、内野はどこでもこなせたようです。
1917年には遊撃手として1試合14補殺の当時の大リーグ記録を作ります。
ただ、ホーンスビーはポップ・フライを捕るのが苦手だったようです。
(背走したり真上を向いた際、平衡感覚に異常を生じたためといわれます)
ホーンスビーは、入団2年目から打撃の才能を開花させ、バッターボックスの一番後ろに立ち、左右に打ち分けていたといわれます。
退場処分は1918年に2回あるだけで、以後は審判に文句もいわなかったといわれます。
1920年代前半には、大きく踏み込む打法のため、「内角高め」を苦手としましたが、ホーンスビーがのけぞる姿勢を見せると、審判がボールをコールするようになります。
(1922年と1925年に三冠王)
(1922年・1924年・1925年に打率4割以上の「4割打者」)
(日本のプロ野球における「長嶋茂雄ボール」「王貞治ボール」などと一緒で、「ホーンスビーほどの大打者がのけぞるのだからボールだろう」と判断されたようです)
1918年と1919年に一時打撃成績が落ち込みますが、1920年にライブボール(飛ぶボール)時代に突入し、ホーンスビーの打撃は脅威となります。

守備でも1920年に二塁手に定着し、1920年は打率(3割7分9厘)と打点(94)でリーグ・トップの2冠・・・
1921年も打率(3割9分7厘)と打点(126)でリーグ・トップの2冠・・・
1922年には、打率(4割0分1厘)、本塁打(42)、打点(152)でリーグ・トップの三冠王・・・
打率では、いわゆる「4割打者」で、打率4割と三冠王・・・しかも本塁打も42本を打っています。
1923年は、3割8分4厘で首位打者・・・
1924年は、打率4割2分4厘で首位打者で、「4割打者」・・・
1925年は、打率4割0分3厘、39本塁打、143打点で三冠王と4割打者・・・リーグMVP・・・
ここまでが全盛期で、全盛期には、タイ・カッブをも上回る成績を挙げています。
1925年の2回目の三冠王は兼任監督(チームは4位)・・・

1926年は兼任監督で、ワールドシリーズ制覇・・・
1927年にニューヨーク・ジャイアンツ移籍・・・兼任監督・・・
1928年にボストン・ブレーブス移籍・・・兼任監督・・・
ここで自身最後の7回目の首位打者・・・
1929年にシカゴ・カブス移籍・・・
ここで2回目のリーグMVP・・・
(ちなみに主な打撃タイトルは無冠ながら打率3割8分0厘・39本塁打・149打点)
1930年シーズン途中から1932年シーズン途中まで兼任監督・・・
1933年にセントルイス・カージナルスに戻り、シーズン途中でセントルイス・ブラウンズの兼任監督を1937年途中まで務め、同年に現役引退・・・

▼現役引退後
1942年にアメリカ野球殿堂入り・・・
1952年にセントルイス・ブラウンズ監督・・・
同年のシーズン途中からシンシナティ・レッズの監督を1953年のシーズン途中まで務める。
監督業を退いた後も、1958年から2年間、シカゴ・カブスのコーチ・・・
1962年にニューヨーク・メッツのコーチ・・・
1963年に、ホーンスビーは、白内障の手術中に心臓発作を起こし、66歳で死去。

■テッド・ウィリアムズとの関係
ロジャース・ホーンスビーは、選手としての最晩年にテッド・ウィリアムズと出会っています。
ウィリムズによれば、とても親切にしてくれたそうです。

■真面目な性格
現役引退後も、ホーンスビーは、酒やタバコ、コーヒーすら飲まず、「目が悪くなる」という理由で、映画も見なかったとされます。

■永久欠番
セントルイス・カージナルスでは背番号の無かった時代の名選手として、永久欠番扱いになっています。

■総評
全盛期は短かったですが、全盛期には大リーグ史上最高の選手といわれることの多いタイ・カッブをも上回る打撃成績を挙げている名選手です。
前述のように、テッド・ウィリアムズは「ロジャース・ホーンスビーの方が(タイ・カッブより)上」との発言をしています。
「大リーグ史上最高の右打者」にふさわしい打撃成績を残しており、大リーグ史上2位の終身打率3割5分8厘は、(打撃などに)不利とされる右打者だったこともあり、大リーグ記録の終身打率(3割6分6厘)をほこるタイ・カッブ(左打者)に匹敵すると思います。
大リーグ記録の三冠王2回、4割打者3回で、2回の三冠王がいずれも4割打者であったのは凄いと思います。

■年度別打撃成績
球団 試合  打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 四死球 三振 打率 
1915 STL 18 57 14 2・0 .245
1916 STL 139 495 63 155 17 15 65 17 40・4 63 .313
1917 STL 145 523 86 171 24 17 66 17 45・4 34 .327
1918 STL 115 416 51 117 19 11 60 40・3 43 .281
1919 STL 138 512 68 163 15 71 17 48・7 41 .318 
1920 STL 149 589 96 218 44 20 94 12 60・3 50 .370
1921 STL 154 592 131 235 44 18 21 126 13 60・7 48 .397
1922 STL 154 623 141 250 46 14 42 152 17 65・1 50 .401
1923 STL 107 424 89 163 32 10 17 83 55・3 29 .384
1924 STL 143 536 121 227 43 14 25 94 89・ 32 .424
1925 STL 138 504 133 203 41 10 39 143 83・2 39 .403
1926 STL 134 527 96 167 34 11 93 61・0 39 .317
1927 NYG 155 568 133 205 32 26 125 86・4 38 .361
1928 BSN 140 486 99 189 42 21 94 ※1 41 .387
1929 CHC 156 602 156 229 47 39 149 87・1 65 .380
1930 CHC 42 104 15 32 18 12・1 12 .308
1931 CHC 100 357 64 118 37 16 90 56・0 23 .331
1932 CHC 19 58 10 13 10・2 .224
1933 ※2 57 92 11 30 23 14・2 .326
1934 SLB 24 23 11 7・1 .304
1935 SLB 10 24 3・0 .208
1936 SLB 1・0 .400
1937 SLB 20 56 18 11 7・0 .321
                           
1933 
内訳
STL 46 83 27 21 12・2 .325
SLB 11 2・0 .333
  2259 8173 1579 2930 541 169 301 1584 135 ※3 679 .358
(注)通算23年
(注)球団のSTLはセントルイス・カージナルス、NYGはニューヨーク・ジャイアンツ、BSNはボストン・ブレーブス、CHCはシカゴ・カブス、SLBはセントルイス・ブラウンズ
(注)年度の黒太字はリーグ1位
(注)四死球は、四球数・死球数
※1 107四球・1死球
※2 STLからシーズン途中SLBへ移籍

※3 1038四球・48死球

■打撃

□主なタイトル
(打撃)三冠王2回(1922年・1925年)

首位打者6年連続含む7回(1920年−1925、・1928年)
本塁打王2回(1922年、1925年)
打点王4回(1920年−1922年、1925年)

□主な野球表彰(現役時代)
MVP2回(1925年、1929年)

□特記事項
4割打者 2年連続含む3回(1922年、1924年、1925年)
シーズン打率 4割2分4厘(1924年)(近代野球の1901年以降ナ・リーグ記録)
アメリカ野球殿堂入り(1942年)

(注)赤太字は大リーグ記録
(注)黒太字はナ・リーグ記録

■監督としての成績
セントルイス・カージナルス(ナ・リーグ)
1925年、4位(5月31日−)
1926年、1位(ワールドシリーズ制覇)

ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ・リーグ)
1927年、3位(9月3日−)

ボストン・ブレーブス(ナ・リーグ)
1928年、7位

シカゴ・カブス(ナ・リーグ)
1930年、2位(9月25日−)
1931年、3位
1932年、1位(−8月2日)

セントルス・ブラウンズ(ア・リーグ)
1933年、8位(7月29日−)
1934年、6位
1935年、7位
1936年、7位
1937年、8位(−7月20日)

セントルイス・ブラウンズ(ア・リーグ)
1952年、(−6月8日)

シンシナティ・レッズ(ナ・リーグ)
1952年、6位(8月3日−)
1953年、6位(−9月5日)

□R・ホーンスビーを知るおすすめ作品

関連記事;いろいろなスポーツの主要記録(野球の項目を参照)



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