タイ・カッブ |
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■タイ・カッブ■野球選手■大リーグ史上最高の選手 右投左打 身長約185センチ、体重約79キロ 1886年12月18日−1961年7月17日 野球の大リーグ史上最高の選手は誰かと問われたら、私はタイ・カッブ選手を挙げますね。 野球王タイ・カップ自伝 (1981年) (ほるぷ自伝選集―スポーツに生きる〈5〉) 大リーグ史上最高の選手といわれたタイ・カッブの自伝です (注)当時は、タイ・カップと表記 ポジションは外野手です。 タイ・カッブ選手は、大リーグでベーブ・ルース選手と並び称される選手です。 「球聖」「野球王」ともいわれます。 ジョージア州出身であったことから「ジョージア・ピーチ」ともいわれました。 ホームランの魅力を世間に知らしめ、「野球の神様」ともいわれたベーブ・ルース選手もたしかに偉大で、アメリカ大リーグ史上最も知られる選手だと思いますが、それでもタイ・カッブ選手は、大リーグ史上最高の選手だと思いますね。 □タイ・カッブを知るおすすめ作品 ■履歴 ▼大リーグデビュー前 タイ・カッブ選手ことタイラス・レイモンド・カッブは、1886年12月18日にアメリカの厳格な家庭で、地元の名士の家に生まれます。 (カッブ家は、名家で、アメリカ初代大統領・ジョージ・ワシントンとも姻戚関係があったといわれます) タイ・カッブ選手はそのような出自を特別に見られることを嫌い、実力のみで評価される野球の道に進みます。 1904年にマイナー・リーグのオーガスタ・ツーリスツと契約します。 1905年にマイナー・リーグトップの打率を残しますが、同年8月に父親が母親にライフルで撃たれ、死亡する事件が起こります。 その後、デトロイト・タイガースに移籍し、父の葬儀の10日後に大リーグ昇格 ▼現役時代 大リーグデビュー1年目の1905年は、打率2割4分0厘でした。 大リーグ2年目の1906年は、打率3割2分6厘 1907年は、打率3割5分0厘で当時の史上最年少首位打者 さらに、打点王と盗塁王なども獲得 1908年も首位打者と打点王などを獲得 1909年は、三冠王(首位打者・本塁打王・打点王)とさらに盗塁王も獲得します。 1910年も首位打者など (1910年の首位打者は、八百長問題(当時、首位打者を争っていたナップ・ラジョイ選手(参照)に首位打者を獲らせるため、ナップ・ラジョイ選手の相手チームのセントルイス・ブラウンズの監督が八百長・・・)があり、記録の見直しでタイ・カッブ選手が打率2位になりますが、公式記録では、八百長問題もあったためか、タイ・カッブ選手が首位打者) 1911年は首位打者・打点王・盗塁王など・・・4割打者の打率4割1分9厘6毛 1912年は首位打者など・・・4割打者の打率4割0分9厘 1913年は首位打者 1914年は首位打者 (公式記録はタイ・カッブ選手が首位打者ながら・・・タイ・カッブ選手はケガで出場不足で首位打者ではないとの指摘も・・・) 1915年は首位打者・盗塁王など 1916年は盗塁王 1917年は首位打者・盗塁王など 1918年は首位打者 1919年は首位打者など 1920年以後は、打撃タイトルは無冠でしたが、1922年は4割打者の打率4割0分1厘 (打率2位に・・・) (首位打者はジョージ・シスラー(参照)の4割2分0厘) (1921年から1926年まで兼任監督) 同年10月に八百長問題も持ち上がり 新規一転 1927年フィラディルフィア・アスレチックス移籍 (この移籍後、兼任監督から選手専任に戻っています) 1928年のシーズン後に現役引退 (同年シーズンオフに来日) ▼現役引退後 タイ・カッブ選手は、ジョー・ディマジオのニューヨーク・ヤンキースとの契約に一役買う、困窮した元大リーガーに自分の財産の一部を寄付するなどのバックアップをしたといわれます。 カッブ選手は、経済的には恵まれました(投資などで大成功し、億万長者になったといわれる)が、ケチであったといわれます。 私生活では、生活が荒れ、結婚生活も最後は破局し、あまり幸せとはいえなかったようです。 また、フリーメイソンの会員であったといわれます。 1936年、得票数トップ(ベーブ・ルース、ホーナス・ワグナー、ウォルター・ジョンソンらを上回り・・・)で、最初のアメリカ野球殿堂入り また、カッブ選手の現役時代には背番号がなかったため、背番号は指定されなかったものの、デトロイト・タイガースで永久欠番と同様の扱いに 1961年7月17日、死去。享年74歳。 (参照) ナップ・ラジョイ 右投右打 身長184.5センチ、体重88.5キロ 1874年9月5日−1959年2月7日 二塁手、一塁手 アメリカ・ロードアイランド州ウーンソケット出身 ナップ・ラジョイことナポレオン・ラジョイは1874年9月5日に生まれます フランス系カナダ人の血を引くラジョイは優雅で洗練されたプレーをし、二塁守備において特に堅実で広い守備範囲を誇りました 1896年にフィラディルフィア・フィリーズから大リーグデビュー 1901年にフィラディルフィア・アスレチックス移籍 1901年に打率4割2分6厘(近代野球の1901年以降の最高打率・・・)・14本塁打・125打点で打率4割で打撃三冠王(首位打者・本塁打王・打点王)・・・ 1902年のシーズン途中でクリーブランド・ブロンコス(1903年にクリーブランド・ナップスに球団名変更・・・)移籍・・・ 1902年に打率3割7分8厘で首位打者 1903年に打率3割4分4厘で首位打者 1904年に打率3割7分6厘、102打点で首位打者、打点王 1910年は打率3割8分4厘でシーズン打率1位ながら首位打者を逃す (ラジョイびいきの相手チーム監督の八百長問題がありました・・・) (八百長問題もあり、公式記録ではタイ・カッブが首位打者) (ラジョイはその後の記録見直しでシーズン打率1位ながら前述のように首位打者を逃す・・・) 1915年にフィラディルフィア・アスレチックス移籍・・・ 1916年に現役引退 1937年にアメリカ野球で殿堂入り 打撃成績 通算21年、2480試合、9589打数3243安打、82本塁打、1599打点、終身打率3割3分8厘 近代野球の1901年以降のみ 首位打者4回(1901年−1904年)※1910年はラジョイを首位打者とする記録あり 本塁打王1回(1901年) 打点王2回(1901年・1904年) 打撃三冠王(1901年) アメリカ野球殿堂入り(1937年) シーズン打率4割2分6厘(1901年)近代野球の1901年以降の最高打率 (注)赤太字は大リーグ記録 (参照) ジョージ・シスラー 左投左打 身長180.5センチ、体重77キロ 1893年3月24日−1973年3月26日 一塁手 アメリカ・オハイオ州マンチェスター出身 ジョージ・シスラーことジョージ・ハロルド・シスラーは1893年3月24日に生まれました・・・ 1915年にセントルイス・ブラウンズから大リーグデビュー・・・ 1918年に45盗塁で盗塁王・・・ 1920年に当時の大リーグ記録のシーズン257安打で打率4割0分7厘で首位打者・・・ 1921年に35盗塁で盗塁王・・・ 1922年に打率4割2分0厘、51盗塁で首位打者、盗塁王・・・ 1923年は目の病気で1年間休み・・・ 1924年から1926年まで兼任監督・・・ 1927年に27盗塁で盗塁王・・・ 1928年にワシントン・セネタース移籍・・・ 同年のシーズン途中でボストン・ブレーブス移籍・・・ 1930年に現役引退・・・ 1939年にアメリカ野球殿堂入り・・・ 打撃成績 通算15年、2055試合、8267打数2812安打、102本塁打、1175打点、終身打率3割4分0厘(375盗塁) 投手成績 24試合登板、5勝6敗、防御率2.35 監督としての成績 通算3年 3位1回 首位打者2回(1920年・1922年) 盗塁王4回(1918年・1921年・1922年・1927年) MVP1回(1922年) アメリカ野球殿堂入り(1937年) サイクル安打2回(1920年8月8日・1921年8月13日) ■野球選手 タイ・カッブ選手は、勝負へのあくなき執念と必要以上の強いこだわり、人種差別問題や人格などの悪評から「最高の技術と最低の人格」「大リーグ史上最も偉大かつ最も嫌われた選手」ともいわれました。 悪評をすべて否定するわけではありませんが、両親の不幸な事件を振り払うために野球に打ち込んだ、困窮しているかつての野球仲間に定期的に送金していたなどのエピソードから、一般にいわれている悪評ほど、タイ・カッブ選手は悪人ではないと個人的には思いますが・・・ 凶暴の面のある性格、数々の暴力事件も自分の身を保身するためにしかたなかった面もあるような気がします。 タイ・カッブ選手のほほえましいエピソードや人間的やさしさなどのエピソードもあり、一般に伝わるほど悪人ではなかったのかもしれません。 タイ・カッブ選手は、グリップ・エンドが太くなっているいわゆる「タイ・カッブ型バット」を愛用し、右手と左手を離してバットを握り、そのまま構える独特のフォーム 体調に合わせて、バットの重さを変えていたといわれています。 セーフになるための新しいスライディングなどを考案し、今日の細かい野球(スモール・ベースボール)の可能性を追求したといわれます。 選手の権利を最初に主張した選手ともいわれています。 野球選手としては、「最高の技術」を持ち、「大リーグ史上最も偉大な選手」ではあったようです。 タイ・カッブ選手は、打撃三冠王(同一年に首位打者・本塁打王・打点王を獲得)を1回(大リーグ記録は2回)と年間で打率4割を超えるいわゆる「4割打者」を3回=大リーグ記録(タイ・カッブも含め大リーグ史上2人が達成)達成しています。 本塁打の少なかった時代の代表選手で、1909年の打撃三冠王は、本塁打9本が全てランニング本塁打(史上唯一)でした。 今日の細かい野球である「スモール・ベースボール」を体言していた選手で、今日の「スモール・ベースボール」の再評価や見直しで、タイ・カッブ選手の細かい野球(いわゆる「スモール・ベースボール」)が再評価され、見直されています。 豪快な本塁打時代を開いたベーブ・ルース選手とは、多くの点で対極であり、野球に対する考え方なども違いましたが、ベーブ・ルース選手が多くの本塁打を打ちながら、高打率を挙げたことを認める発言もタイ・カッブ選手はしています。 タイ・カッブ選手は、打撃三冠王の際、盗塁王(!)も獲得しており、打撃6冠王(他に安打数=最多安打と出塁率)=大リーグ記録=大リーグ史上唯一しています。 他にも得点数、塁打数、長打率、OPSなどでリーグトップ 打撃全タイトル独占=大リーグ記録=大リーグ史上唯一(首位打者、本塁打王、打点王、盗塁王、安打数=最多安打)。 ロジャース・ホーンスビーと並ぶ大リーグ記録の「4割打者」を2年連続を含む3回も達成しており、首位打者12回(9年連続を含む)=大リーグ記録(!!)、生涯の終身打率3割6分6厘=大リーグ記録を挙げています。 (注)・・・ 記録の見直しで、タイ・カッブ選手の首位打者を11回とする場合もありますが、いずれにしてもタイ・カッブ選手の首位打者の回数は大リーグ記録です。 (公式記録では、タイ・カッブ選手の1910年の首位打者は変更されず、首位打者の回数は12回) (公式記録では、1914年もタイ・カッブ選手が首位打者だが、ケガで出場不足で、首位打者ではないとの指摘もあります) 通算24年、3035試合、11434打数、4191安打(イチロー、ピート・ローズ(参照)に次ぐ大リーグ史上3位、※イチローは日米通算、、117本塁打、1937打点、892盗塁で打率3割6分6厘(大リーグ史上1位)という驚異的数字を挙げています。 (参照) ピート・ローズ 右投両打 身長180.5センチ、体重90.5キロ 1941「年4月14日− 二塁手、外野手、三塁手、一塁手 アメリカ・オハイオ州シンシナティ出身 1960年にシンシナティ・レッズに入団・・・ 1963年に大リーグデビュー・・・ 打率2割7分3厘・6本塁打・41打点で新人王・・・ 1968年・1969年に首位打者(打率3割3分5厘・打率3割4分8厘)・・・ 1973年に打率3割3分8厘で首位打者、MVP・・・・・・ その後もコンスタントに安打・・・ 1975年・1976年ワールドシリーズ制覇・・・ 1975年のワールドシリーズMVP・・・ 1979年フィラディルフィア・フィリーズ移籍・・・ 1980年にワールドシリーズ制覇・・・ 1984年モントリオール・エクスポズ移籍・・・ 1985年からシンシナティ・レッズに移籍し、兼任監督・・・ 1986年に現役引退・・・ 現役引退後は専任監督・・・ 1989年に野球賭博に関わり、永久追放・・・もちろん監督も退任・・・ 今後の動向が注目されます・・・ 2016年、現役時代の背番号14が永久欠番に・・・ レッズでの野球殿堂入り(ただし大リーグ機構では昨年に処分解除されず) 打撃成績 通算24年、3562試合、14053打数4256安打、160本塁打、1314打点、終身打率3割0分8厘(198盗塁) 監督としての成績 通算6年 首位打者3回(1968年・1969年・1973年) MVP1回(1973年) 新人王(1963年) ゴールドグラブ賞2回(1969年・1970年) ワールドシリーズMVP1回(1975年) シーズン200安打以上 10回(タイ) 通算安打 4256 通算試合 3562 通算打席 15861 通算打数 14053 通算出塁 5929 通算単打 3215 (注)赤太字は大リーグ記録 ■打撃 □主な打撃タイトル 首位打者9年連続含む12回(1907年−1915年、1917年ー1919年) (前述のように1910年と1914年はタイ・カッブ選手が首位打者ではないとも・・・) 本塁打王1回(1909年) 打点王4回(1907年ー1909年、1911年) 盗塁王6回(1907年・1909年・1911年・1915年ー1917年) □打撃三冠王1回(盗塁王も獲得、1909年) □4割打者 2年連続含む3回(3回は大リーグタイ、1911年・1912年・1922年) □特記事項 アメリカ野球殿堂入り(1936年) ホームスチール 55回 ランニング本塁打 46回 (注)赤太字は大リーグ記録 (注)黒太字はア・リーグ記録 ■本塁打 タイ・カッブ選手で少なかったのは、本塁打ぐらいですが、その本塁打も打つ必要にせまられて「予告本塁打」を何度か記録したことがあり、本塁打も打つ気になれば、ある程度打てたような感じがします。 ■年度別打撃成績
(注)球団のDETはデトロイト・タイガース、PHAはフィラデルフィア・アスレチックス (注)年度の黒太字はリーグ1位、通算での赤太字は大リーグ1位 (注)四死球は、四球数・死球数 (注)三振数は1905年−1912年は不明との説も・・・ (注)打数は11429、終身打率は3割6分7厘との説も・・・ ※1 118四球・10死球 ※2 1249四球・94死球 ■年度別投手成績
(注)Sはセーブ、Hはホールド (注)回の4、1はそれぞれ4回、1回 (注)与四死球は、四球数・死球数 ■(兼任)監督としての成績 デトロイト・タイガース 1921年、6位 1922年、3位 1923年、2位 1924年、3位 1925年、4位 1926年、6位 ■大リーグ内での評価 1942年に、大リーグの監督や引退した名選手らを対象に、「(大リーグ)史上最高の選手は誰か?」とのアンケートが行われ、最終的に回収できた票数は102票で、そのうちタイ・カッブ選手一人で半数を超える60票を獲得し、1位となりました。 他を圧倒していますね。 ■投手として カッブ選手は、デトロイト・タイガース時代の1918年と1925年に投手として登板しています。 通算投手成績は、0勝0敗1セーブで防御率3.60です。 ■(兼任)監督として デトロイト・タイガース時代に兼任監督で、1921年から1926年まで指揮をしています。 フィラディルヒア・アスレチックスに移籍した1927年から現役引退の1928年まで選手専任に戻っています。 ■タイ・カッブ選手の日本来日 1928年の現役の最晩年のオフに日本に来日しています。 日本に滞在していた時のカッブ選手は大変に紳士的だったといわれます。 来日中は熱心に野球を指導していたといわれ、ほほえましいエピソードもあります。 ■総評 私は、大リーグ史上最高の選手は、タイ・カッブ選手だと思いますね。 タイ・カッブの日本語表記・・・ タイ・カッブ選手は、日本語表記でタイ・カップ選手と表記されることもありますが、今日ではタイ・カッブ選手が一般的です。 (この記事は、「大リーグ史上最高の選手は?」に、加筆、一部修正したものです) タイ・カッブは「大リーグ史上最高の選手」とされています シーズン打率4割3回、終身打率3割6分6厘は凄いですね タイ・カッブの凄さは「野球王タイ・カップ自伝」で知ることが出来ます □タイ・カッブを知るおすすめ作品 関連記事:大リーグ史上最高の選手は?(本記事の元になった記事) 関連記事:いろいろなスポーツの主要記録(野球の項目を参照) |
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