ビートルズのメンバー |
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■ビートルズのメンバー■ ビートルズは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人を中心に活動しました。 そのビートルズのメンバーについて軽く触れてみたいと思います。 ■ジョン・レノン 1940年10月9日生まれ。 本名:ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(出生時は、ジョン・ウィンストン・レノンでしたが、オノ・ヨーコと結婚後に改名)。 出身地:イングランド リヴァプール ビートルズでの主な担当楽器:リズム・ギター、その他いろいろ ビートルズ時代の代表曲:「ヘルプ!」、「抱きしめたい」、「シー・ラブズ・ユー」、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「ストロベリー・フィーリズ・フォーエヴァー」、「愛こそはすべて」、「アクロス・ザ・ユニバース」、「カム・トゥゲザー」など ビートルズ解散後の代表曲:「ラヴ」、「イマジン」、「スターティング・オーヴァー」など 出生時、父親のアルフレッドは商船の乗組員として航海中で不在、母親のジュリアも他の男性と同棲していたため、母親の姉・メアリー(ミミ伯母、以下ミミとする)夫妻のもとで育てられました。 戦後に、父親のアルフレッドが帰国し、父親に引き取られ数週間一緒に暮らすものの、母親のジュリアンがジョンを連れ戻すが、母親と暮らすことは出来ず、再び、ミミ夫妻のもとで育ちます。 メンバーと出会う以前から音楽に興味があり、出会ってから音楽にのめりこみます。 1957年7月にポール・マッカートニーと出会い、1958年2月にジョージ・ハリソンと出会います。 1958年7月に母親のジュリアンが交通事故で死去。 リヴァプールだけでなく、ドイツのハンブルクでの演奏を経て、1962年1月のデッカ・レコードのオーディションに落ちるも、6月にパーロフォンとレコーディング契約を結びます。 バンド名もこれまでにいくつか変わっています。 8月に、当時のドラマーだったピート・ベストを解雇し、新たにドラマーとしてリンゴ・スターが加入します。 現在のメンバーとなったのは、この時です。 10月に「ザ・ビートルズ」として、レコード・デビューします。 1962年2月に、シンシア・パウエルと結婚、二人の間に、ジュリアン・レノンが生まれます。 1966年にのちに二人目の妻となるオノ・ヨーコと出会い、二人の間柄は深くなります 1968年11月にシンシアと離婚。 1969年3月に、オノ・ヨーコと結婚。 以後は、ビートルズの活動より、オノ・ヨーコとの音楽活動が多くなります。 1970年4月にビートルズが解散、ソロとして活動します。 1976年に、ソロ活動からハウス・ハズバンド業に専念、しかし暇を見ては、自宅で録音もしていたようです。 1980年11月にアルバム『ダブル・ファンタジー』で、音楽活動を復帰、アルバムもチャートを駆け上がりますが(最高位は、全米1位、全英1位)、その年の12月8日夜に、射殺されます。享年40。 没後、アルバムは大ヒット、1981年のグラミー賞最優秀アルバムとなっています。 衝撃的な死もあり、音楽的カリスマ性、影響力は今なお強いといえます。 ビートルズ時代、ポール・マッカートニーとソングライティング・チーム「レノン=マッカートニー」で、多くの楽曲を制作しました。 「レノン=マッカートニー」は「史上最も成功したソングライティング・チーム」の一つかもしれません。 ■ポール・マッカートニー 1942年6月18日生まれ。(左利き) 本名:サー・ジェイムズ・ポール・マッカートニー・ジュニア(出生時は、当然、サーの称号はなく、ジェイムズ・ポール・マッカートニー・ジュニア) 出身地:イングランド リヴァプール ビートルズでの主な担当楽器:ベース、その他いろいろ ビートルズ時代の代表曲:「ラヴ・ミー・ドゥ」、「イエスタディ」、「エリナー・リグビー」、「へルター・スケルター」、「レット・イット・ビー」、「ヘイ・ジュード」、「ペニー・レイン」、「フールズ・オン・ザ・ヒルズ」など ビートルズ解散後の代表曲:「バンド・オン・ザ・ラン」、「マイ・ラヴ」、「夢の旅人」、「心のラヴ・ソング」、「エボニー・アンド・アイボリー」など 1942年に生まれます。 1956年に母・メアリーが病死。 1957年7月にジョン・レノンと出会います。 1962年6月に、ビートルズとして、レコードデビュー。 1969年に、リンダ・イーストマンと結婚。 1970年4月に、ビートルズを脱退、これが解散へとつながります。 1971年にウイングスを結成。 ビートルズ時代の中期以降行わなかったツアー活動も積極的に行います。 1980年、成田空港にて大麻・不法所持で現行犯逮捕され、ウイングスの日本公演中止。 同年末には、ジョン・レノンが射殺されます。 1981年にウイングス解散。 1989年−1990年、ソロとしてワールドツアー、ソロでは初の日本公演。 1993年、ワールドツアーで、ソロとして2度目の日本公演。 1997年、ナイトに叙勲される。 1998年、妻のリンダ・マッカートニー病死。 2002年、へザー・ミルズと結婚、ソロとしては3度目の日本公演。 2006年に、へザー・ミルズとの離婚調停を開始し、2008年に離婚成立。 2011年に、ナンシー・ジェベルと結婚。 ビートルズ時代、ジョン・レノンとソングライティング・チーム「レノン=マッカートニー」で、多くの楽曲を制作しました。 「レノン=マッカートニー」は「史上最も成功したソングライティング・チーム」の一つかもしれません。 ポール・マッカートニーは、マルチ・プレーヤーとして知られ、器用で多くの楽器を演奏できることでも知られています。 ビートルズ時代の「3大バラード」といわれる「イエスタディ」、「レット・イット・ビー」、「ヘイ・ジュード」がポールの作品であるように、親しみやすいメロディを生み出し、「永遠のメロディ・メーカー」といわれています。 初期のビートルズを牽引したのは、ジョン・レノンですが、中期以降のビートルズを牽引したのは、ビートルズより、オノ・ヨーコとの活動に力を入れていたジョン・レノンではなく、ポール・マッカートニーだったと思います。 前述のように、マルチ・プレーヤーで、多くの楽器を演奏し、ポピュラー音楽だけでなく、ジャズ、クラシックも手がけています。 器用でマルチな才能を持つポールは、ジョン・レノンのカリスマ性とは違った魅力があります。 ■ジョージ・ハリスン 1943年2月24日生まれ。(2月25日とも) 本名:ジョージ・ハリスン 出身地:イングランド リヴァプール ビートルズでの主な担当楽器:リード・ギター、その他いろいろ ビートルズ時代の代表曲:「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「サムシング」、「ヒア・カム・ザ・サン」など ビートルズ解散後の代表曲:「マイ・スィート・ロード」、「過ぎ去りし日々」など 1943年2月24日、ビートルズでは、一番の年少で生まれます。 ビートルズでは、ジョン、ポールの次にビートルズに加入しており、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーという2人の天才の影に隠れていた存在でしたが、ビートルズの中期以降は、音楽制作などで隠れた才能を発揮、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「サムシング」、「ヒア・カム・ザ・サン」などの名曲をを制作した他、シタールなどのインド楽器を採用したり、当時、導入され始めたシンセサイザーを導入するなど音楽面で大きく貢献しました。 ビートルズが、インド音楽を導入したのには、ジョージの存在が大きかったといわれます。 メンバーで、最もインドと接近しました。 ビートルズ解散後も、順調にソロ活動など、音楽活動をしていましたが、2001年11月29日に病死しています。享年58。 ジョージ・ハリスンは、エリック・クラプトンなどとの交流がよく知られています。 ■リンゴ・スター 1940年7月7日生まれ。(左利きといわれている) 本名:リチャード・スターキー 出身地:イングランド リヴァプール ビートルズでの主な担当楽器:ドラムス、その他いろいろ ビートルズ時代の代表曲:「オクトパス・ザ・ガーデン」 ビートルズ解散後の代表曲:「想い出のフォトグラフ」など リンゴ・スターことリチャード・スターキーは、1940年7月7日に生まれました。 ビートルズ時代は、音楽面での貢献より、メンバーの中を取り持つ潤滑油のような役割をしました。 温厚で人格者として知られ、個性の強いビートルズのメンバーを支えていました。 ビートルズへ加入以前は、他のバンドのドラマーで、ビートルズに加入したのも、ビートルズでは最後です。 1970年にビートルズが解散すると、1970年前半は、順調で好調な音楽活動でした。 しかし、1970年代後半から1980年代は、不振で、1980年代後半には、アルコール依存症にも悩まされます。 1989年に、アルコール依存症の更生施設での治療を経て、カムバック、1992年には、久々のアルバムを発表し、着実に現在までにコンスタントに音楽活動も復帰しています。 リンゴ・スターは、音楽活動以外に、俳優としても活躍しています。 ジョン・レノンが亡くなり、ジョージ・ハリソンも亡くなった今、存命のビートルズのメンバーは、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターだけになりました。(2012年7月2日現在) |
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