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ダイヤモンドジュビリー
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1950年生まれ以前の名馬>>>>>>

■ダイヤモンドジュビリー■

ダイヤモンドジュビリー(Diamond Jubilee)、牡、鹿毛、イギリス生産、イギリス調教
生没年月日・1897年−1923年7月10日
父セントサイモン 母バーディタ
生産者・プリンス・オブ・ウェールズ(後のエドワード7世)  馬主・プリンス・オブ・ウェールズ(後のエドワード7世)
調教師・リチャード・マーシュ  主戦騎手・
競走成績・13戦6勝 主な勝利・英3冠
■コメント
ダイヤモンドジュビリーは、1897年にイギリスで生まれ、イギリスで調教されました。

□ダイヤモンドジュビリーを知るおすすめ作品

ダイヤモンドジュビリーの父は大種牡馬・セントサイモンで、セントサイモンの最後のクラシックホースです。

母バーディタは、他にセントサイモンとの間に活躍馬を出しています。

ダイヤモンドジュビリーの全兄に、グッドウッドカップを勝ち種牡馬として活躍したフロリゼル、英ダービー、英セントレジャーの2冠馬(英2000ギニーは未出走)でアスコットゴールドカップなども勝ち種牡馬として活躍したパーシモン(牝馬3冠馬・セプターの父)などがいます。

ダイヤモンドジュビリーは、1899年の2歳でデビューするも気性難で1勝しかできませんでした。


多くの騎手は騎乗もままならず、担当厩務員(ハーバート・ジョーンズ氏)を乗せてクラシックに挑んだところ、1900年の英2000ギニー、英ダービー、英セントレジャーのイギリス3冠馬を史上9頭目で達成します。
この年は他にエクリプスステークスなどを勝っています。


しかし1901年はさらに気性が悪化し、プリンスオブウェールズステークス2着、ジョッキークラブステークス3着と今ひとつの成績で競走馬を引退し、種牡馬となります。


大種牡馬・セントサイモンの後継種牡馬として大きな期待をされ、種牡馬となったダイヤモンドジュビリーは、主な産駒にジョッキークラブステークスを勝ったサンシーを出したぐらいで、期待を裏切り、すぐにアルゼンチンに輸出されています。

アルゼンチンは、やはりイギリス3冠馬のオーモンドを導入していました。

アルゼンチンなどでは成功し、アルゼンチンのリーディングサイヤーに4回なっています。

系統では、産駒のLast Reasonなど複数がチリのリーディングサイヤーとなっています。

サイヤーライン(父系)は滅亡への道をたどりました。

日本へはイギリスに残した産駒のダイヤモンドウェディングが1909年に導入され、初期の日本のサラブレッドにも影響を与えてもいます。



馬体は素晴らしかったが、気性は極めて荒く、セントサイモン自身やさらにセントサイモン産駒は多くが気性が荒いといわれていますが、ダイヤモンドジュビリーは最悪といわれました。

馬丁の指を食いちぎったこともあるようで、去勢すら検討されたほどです。

1900年のセントサイモンは、イギリス3冠(英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー)馬にダイヤモンドジュビリー、英1000ギニー、英オークスにウイ二フレッダ、ラロッチェが勝利し、産駒が英クラシックを全勝しています。

1900年のセントサイモンの種牡馬成績はわずか27勝ですが、記録的な獲得賞金となりました。


1923年に死亡しています。

□ダイヤモンドジュビリーを知るおすすめ作品

■3代血統図
Voltigeur(Vollry)4×5×5、Voltaire5×5、Melbourne5×4
St.Simon

1881 鹿毛
Galopin

1872 鹿毛
Vedette
Flying Duchess
St.Angela

1865 鹿毛
King Tom
Adeline
PerditaU

1881 鹿毛
Hampton

1872 鹿毛
Lord Clifden
Lady Langden
Hermione

1875 黒鹿毛
Young Melbourne
La Belle Helene

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