藤村富美男 |
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■藤村富美男■野球選手■初代ミスタータイガース 右投右打 身長173センチ、体重79キロ 1916年8月14日−1992年5月28日 藤村富美男(ふじむら・ふみお)は、プロ野球の誕生から活躍した戦前戦後を代表する選手 初代・ミスタータイガースといわれる そのダイナミックでエンターテインメントにあふれショーマンシップなプレーぶりは、あのミスタープロ野球長嶋茂雄も憧れたという (長嶋は、大リーグでは華麗で人気もあったジョー・ディマジオに憧れたので、華のある選手が好きだったようです) ■履歴 ▼プロ プロ入り前は、大正中学で夏の甲子園の優勝投手で、プロ野球誕生でプロ入りし、投手もこなしたが、そのうち打者として活躍 初代本塁打王になったり、「ダイナマイト打線」の中心選手として活躍 1948年から「物干し竿」といわれた長いバッドで本塁打を量産したり、日本プロ野球初のサイクルヒットを達成した 「ミスタータイガース」と呼ばれるようになり、ファンからも愛された 藤村は、自分のチームのタイガースから主力選手が次々と抜けてもタイガースに残りチームを支えた 1949年の打撃成績は、打率3割3分2厘(首位打者は小鶴誠の3割6分1厘)、46本塁打(本塁打王、当時の日本プロ野球記録)、142打点(打点王、当時の日本プロ野球記録)、187安打(最多安打、当時の日本プロ野球記録)の驚異の数字を挙げる 1950年の打撃成績も、打率3割6分2厘(首位打者),、39本塁打(本塁打王は小鶴誠の51本塁打、当時の日本プロ野球記録)、146打点(打点王は小鶴誠の161打点、日本プロ野球記録)、191安打(最多安打、当時の日本プロ野球記録)の驚異の数字を挙げる シーズン191安打は、当時のシーズン最多安打で長らく破られなかった シーズン146打点は、打点王を逃した記録(打点王は前述の通り小鶴誠の161打点)では今(2019年4月2日現在)も最多打点 1955年から監督兼任となり、1956年には、プロ野球2人目の最も劇的な代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ この時、監督で代打を告げる際、「代打ワシ」といったといわれる。 「代打ワシ」といって前述の劇的一打を放つとは格好よすぎ この本塁打が、藤村の現役最後の本塁打だった ▼現役引退後 1956年限りで現役を引退し、1957年から監督専任に 1958年に現役復帰したが、この年で再び現役引退 藤村の背番号10は、永久欠番 終身打率は3割0分0厘 1950年の日本シリーズ出場の夢は果たせなかった 現役引退後に数チームの打撃コーチを務め、その後に解説者にも 1974年に野球殿堂入り(日本)し、1992年に75歳で死去 ■ミスタータイガース 前述の通り、初代・ミスタータイガースといわれます 異口同音に藤村富美男は「別格のミスタータイガース」と称えられています。 (初代も2代目などもなく、藤村富美男こそミスタータイガースだという人も・・・) 打撃成績 17年、打率3割0分0厘、224本塁打、1126打点 MVP1回、首位打者1回、本塁打王2回、打点王5回 サイクルヒット2回 ミスタータイガースー藤村富美男伝 [ミスタータイガースといわれた藤村富美男の壮絶な野球人生 投手成績 防御率2.35、34勝11敗 監督成績 4年、266勝190敗6分、勝率5割8分3厘 |
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