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藤田川藤介
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■藤田川藤介■ケチ
藤田川 藤介(ふじたがわ とうすけ)
出身地・富山県
生没年月日−1866年−没年不明
最高位・三段目
■コメント
藤田川藤介(ふじたがわ・とうすけ)は、明治期の力士。

相撲の実績は皆無であった(最高位・三段目)が、そのケチぶりのすごさから角界の隠語「とうすけ」に歴史を残すことになる。

「とうすけ」とはケチのことである。

相撲は弱く、しまいには稽古をすれば腹が減る、一生懸命取っても怪我をしてはいけないと負けることに専念し、場所が始まると3日目には休業していたらしい。

年2場所の時代に連続32場所・16年も序二段だった。

しかし居心地がよかったようで角界に居座った。

1908年(明治42年)に42歳で引退。

現役引退後も角界周辺にとどまったので居心地がよかったのかもしれない。


▼エピソード
酒もタバコもやらず、ばくちに手を出さず、女道楽もせず、本業の相撲も中途半端で、お金を貯めることが楽しみだったようだ。

財布は持たず、小銭を貯め、貯めると紙幣と交換し、悦にいっていたらしい。

口が増えるといって、なかなか結婚しなかったが、長年の「蓄財」でようやく結婚。

しかし、妻とは名ばかりで女中がわりにこき使った。

長年の「蓄財」で東京日本橋に数軒の貸家をもつ大家となったが、娘夫婦に貸す際、実の娘からは家賃がとれないと、家を他人名義にして家賃を徴収した。

このため本人の死後、実の娘であるのに家を相続することができなかった。

力士としての地位は低かったが、関取たちに利子をつけて貸し、その取立ては高利貸し以上に厳しかった。

巡業先などでは食べ残しなどをかき集め、豪華な「幕の内弁当」というか「特製弁当」をこしらえていた。

「とられる」ものは写真もだめで、本人の写真は一切ない。

上記のように、ケチに徹底しており、出すものは舌を出すのもいやな徹底ぶり・・・相撲の隠語に名を残すことになった。

ケチぶりは、現役時代、現役引退後も変わらなかった。




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