古田敦也 |
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■古田敦也■野球選手■首位打者→捕手兼監督 右投右打 身長182センチ、体重80キロ 1965年8月6日− 古田敦也(ふるた・あつや)は、ヤクルトスワローズ一筋で現役を貫き、捕手という重労働ながら、プロ2年目の1991年に首位打者、8度のシーズン3割達成、晩年は捕手兼監督として活躍 1993年のシーズン盗塁阻止率6割4分4厘と通算盗塁阻止率4割6分2厘は、プロ野球記録 日本プロ野球選手会会長でも辣腕をふるった 通算2000安打達成者 ■履歴 ▼プロ入り前 小学3年から少年野球で親しみ、野球で無名の公立高校から一般入試で立命館大学経営学部経営学科に進学 関西学生リーグで通算77試合に出場し、234打数72安打、打率3割0分8厘、8本塁打、44打点、ベストナイン4度 3年時は、春季・秋季連続リーグ優勝、4年時は主将 大学卒業後、トヨタ自動車入社し、都市対抗野球で活躍し、ソウル五輪の公開競技で金メルを獲得し、野茂英雄らとともに注目される 古田は大学の頃から眼鏡をしていた 当時は「眼鏡の捕手は大成しない」というジンクスがあったが、ヤクルトは1989年のドラフト会議で古田を2位指名 ▼プロ 1年目(1990年)のシーズン途中からレギュラーに定着し、106試合に出場し、リーグ1位の盗塁阻止率でゴールデングラブ賞受賞 2年目の1991年は、128試合に出場し、打率3割4分0厘で首位打者 オールスターゲーム第1戦MVP 以後、3年連続3割以上 1992年オールスターゲーム第2戦MVP 1993年はシーズン盗塁阻止率6割4分4厘のプロ野球記録 最多安打とシーズンMVP 1994年はケガなどで76試合の出場にとどまる 1997年は打率3割2分2厘、9本塁打、86打点の勝負強い打撃でシーズンMVPと日本シリーズMVP 1999年はシーズン打率3割達成、シドニー五輪予選で活躍 2000年は、シドニー五輪の本大会に出られず 2001年は、シーズンでは打率リーグ2位の3割2分4厘で日本シリーズMVP 2004年が最後のシーズン20本塁打以上で4回目(1992年、1995年、2003年、2004年) 同年が最後のシーズン打率3割で8回目(1991年ー1993年、1997年、1999年、2001年、2002年、2004年) 2005年4月24日に、捕手では野村克也に次ぐ史上2人目、大卒・社会人を経てのプロ入りでは史上初の通算2000安打達成 2006年から選手兼監督 この年は36試合出場 2007年に10試合出場で現役引退 ▼現役引退後 ヤクルトも退団し、フリーの解説者 2015年、野球殿堂入り(日本) ■特徴 「眼鏡をかけた捕手は大成しない」とのジンクスを破る 捕手での首位打者(野村克也、阿部慎之助、森友哉、そして古田敦也) シーズン、通算ともに盗塁阻止率のプロ野球記録保持者 (盗塁阻止率のリーグ1位は、1990年ー1994年、1997年ー2000年、2003年の10回) 正捕手として日本プロ野球名球会入りしているのは、野村克也、谷繁元信、阿部慎之助、そして古田敦也 通算2000安打達成者 「ID野球の申し子」といわれる 野村克也によると、捕手の気質と投手の気質が混在している珍しいタイプ 引退後は、タレントとしても活動 打撃成績・・・ 18年、2008試合、7141打数2097安打、217本塁打、1009打点、打率2割9分4厘 MVP2回 首位打者1回 最多安打1回 ベストナイン9回 ゴールデングラブ賞10回 日本シリーズMVP2回 オールスターゲームMVP2回(1991年第1戦、1992年第2戦) セ・リーグ連盟特別表彰2回(会長特別賞1回、特別功労賞1回) 野球殿堂入り(日本)(2015年) フルタの方程式(DVD付) 番組から古田敦也の考え方・練習法などをまとめた 実際のテクニックを解説したDVD付 監督成績・・・ 2年、290試合、130勝157敗3分、勝率4割4分8厘 |
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