柏戸剛 |
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RANKING外の強豪力士
■柏戸剛■大鵬のライバル (RANKING外) |
柏戸 剛(かしわど つよし) |
本名・富樫剛 〜出身地・山形県〜身長188cm、体重139kg |
生没年月日・1938年11月29日−1996年12月8日 |
最高位・横綱 |
■コメント |
柏戸剛(かしわど・つよし)は、大鵬幸喜とともに「柏鵬時代」を築いた強豪横綱です。 優勝回数は5回と少ないですが、大鵬との本割での対戦成績が16勝21敗(最晩年の5連敗までは16勝16敗の5分)と拮抗していました。 体が堅く、思わぬ取りこぼしなどあったため、記録が伸びていませんが、成績以上に強さの感じた横綱です。 ▼大相撲入門まで 柏戸剛は、1938年11月29日に山形県で生まれます。 バスケットボールやサッカー、陸上競技で活躍し、スポーツ万能で、身長は中学入学時に180センチを超えていました。 県内有数の進学校(山形県立鶴岡南高校)に進学しますが、相撲が好きで、伊勢ノ海からスカウトされます。 ▼現役 両親に反対されますが、伊勢ノ海部屋に入門し、1954年9月に初土俵を踏みます。 若い頃から大いに期待され、伊勢ノ海からは「伊勢ノ海部屋の富樫(柏戸の本名、初土俵の時の四股名)を知ってるか?未来の横綱だぞ」と公言されるほどでした。 とんとん拍子で出世し、1957年11月に新十両。 1958年9月に新入幕します。 1959年9月から伝統の柏戸に四股名を改名し、13勝2敗で敢闘賞と技能賞を獲得。 翌同年5月には、5勝10敗で負け越しますが、同年9月には12勝3敗で敢闘賞を獲得します、翌場所の新三役も獲得します。 1960年1月は、東小結でこの場所が新入幕で初日から11連勝中の大鵬と対戦し、下手投げで、大鵬を下し、9勝6敗と勝ち越し、技能賞を獲得し、同年3月には関脇に昇進します。 同年9月に大関昇進。 1961年1月に初優勝。 同年9月には12勝3敗で優勝決定戦に進み、明武谷に勝つも、大鵬に敗れ、優勝を逃すも、場所後の横綱昇進を優勝した大鵬とともにします。 横綱に昇進するも、その後はケガや病気で休場が相次ぎ、再起を賭け、1963年3月場所に臨み、大鵬との千秋楽全勝対決を制し、全勝優勝をします。 しかしこの一番は、石原慎太郎から「八百長疑惑」を指摘されます。 後に、石原が謝罪し、和解しています。 1964年3月に再び大鵬との千秋楽全勝対決が実現しますが、今度は大鵬が勝ちます。 その後も、病気やケガに苦しみ、休場が増え、優勝回数が伸びず、連覇もありませんでした。 優勝回数は5回と少ないですが、よく優勝争いをし、大鵬との対戦成績も前述のように拮抗していました。 決して「弱い横綱」だったと個人的には思いませんが、人によっては大鵬との対戦成績などが拮抗していることをふまえても優勝回数(5回)などが少なすぎ「弱い横綱」と評価する人もいます。 その後も病気やケガに苦しみ、1969年7月に初日は勝ったものの、2日目、3日目と連敗し、体力の限界を感じ(4日目の不戦敗)現役を引退しています。 ▽現役引退後 現役引退後は、後援会の薦めで独立し、鏡山部屋を創設。 厳格で厳しい指導に定評がありました。 部屋の親方としては、平幕優勝の多賀竜などを育てています。 現役引退後も病気に苦しみ、1996年12月8日に死去しています。 ▽大洋・柏戸・水割り 子供や女性に人気のあった大鵬に対し、柏戸は男性ファン人気が高く、大鵬の「巨人・大鵬・玉子焼き」に対し、柏戸は「大洋・柏戸・水割り」といわれました。 大人(特に男性)受けするのは、柏戸の直線的な豪快な速攻相撲にあったといわれます。 ▽勝つ相撲 いわゆる「勝つ相撲」で、豪快さはあるものの、脆さもあり、思わぬ取りこぼしなどがあり、それが優勝回数など記録が伸びなかった原因とされています。 豪快である面と脆い面の両極を併せ持つという点では典型的「勝つ相撲」のタイプですが、優勝回数(5回)が少ないと思います。 (「勝つ相撲」の特徴には、優勝回数の多さもあるのだが) ▽金星配給 金星配給35個は、当時の最多記録(現在は北の湖の53個) ▽エピソード 大変に厳格で知られ、舞の海が最初の新弟子検査(不合格)の時に不合格を言い渡した人物で、舞の海はその一件を恨んでいたが、1991年11月の舞の海の技能賞獲得は柏戸の推薦があったとされ、そのことを知り、舞の海が見直したとされます。 ▼ライバル 柏戸のライバルといえば、なんといっても大鵬です。 (対戦成績は柏戸剛から見ています) 大鵬幸喜 北海道出身、身長187cm、体重153kg 幕内通算成績 69場所 746勝144敗136休 勝率8割3分8厘 優勝32回 敢闘賞2回 技能賞1回 金星1個 最高位・横綱 対戦成績 16勝21敗 柔らかい巨体を利した「負けない相撲」を完成 柏戸の「剛」に対し、大鵬の「柔」といわれました 大鵬幸喜についての更なる詳細は、史上最強力士RANKING内の大鵬幸喜を参照 ○●○○●○○○●○●●○●●●○○●●●○○○●●●○●●○○●●●●● (上の対戦成績は本場所の本割でのもの、他に優勝決定戦が柏戸の2敗) |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
昭和33(1958)年9月 | 東前20 | 9勝6敗 | ○●○●○○○●○○●○●○● | ||
昭和33(1958)年11月 | 西前17 | 8勝7敗 | ●○●●●●●○●○○○○○○ | ||
昭和34(1959)年1月 | 東前16 | 8勝7敗 | ○○●○○○●●●●●●○○○ | ||
昭和34(1959)年3月 | 西前13 | 13勝2敗 | ○○○○○○○●○○○○●○○ | 敢技 | |
昭和34(1959)年5月 | 東前4 | 5勝10敗 | ○●●●●●●●●○○●●○○ | ||
昭和34(1959)年7月 | 東前8 | 9勝6敗 | ○○○●○●○●●●●○○○○ | ||
昭和34(1959)年9月 | 東前3 | 12勝3敗 | ○○●○○○●○●○○○○○○ | 敢 | |
昭和34(1959)年11月 | 東小結 | 8勝7敗 | ●○●●○○●○○●●●○○○ | ||
昭和35(1960)年1月 | 東小結 | 9勝6敗 | ●○●○○○○●○●○○○●● | 技 | |
昭和35(1960)年3月 | 西張関 | 9勝6敗 | ○●○●○●○○●○○●○●○ | 殊 | |
昭和35(1960)年5月 | 西関脇 | 10勝5敗 | ○○●○○●○○○●○●○○● | 技 | |
昭和35(1960)年7月 | 東関脇 | 11勝4敗 | ○●○○●●○○○○○○○○● | 殊技 | |
昭和35(1960)年9月 | 西大関 | 12勝3敗 | ●○○○●○○○○○○○○●○ | ||
昭和35(1960)年11月 | 東大関 | 11勝4敗 | ○●●○○○○○○●○○○●○ | ||
昭和36(1961)年1月 | 西大関 | 13勝2敗 | ○○○○○○○○○●○○○●○ | 1 | |
昭和36(1961)年3月 | 東大関 | 12勝3敗 | ○○○○○○○●○○○●●○○ | ||
昭和36(1961)年5月 | 東大関 | 10勝5敗 | ○●○○○●●○○●●○○○○ | ||
昭和36(1961)年7月 | 西大関 | 11勝4敗 | ●○○○○○○○○○○●●●○ | ||
昭和36(1961)年9月 | 西大関 | 12勝3敗 | ●○○○○●○○○○○●○○○ | 決 | |
昭和36(1961)年11月 | 東張横 | 12勝3敗 | ●○○○○○○○○○○○●●○ | ||
昭和37(1962)年1月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ○○○○●○○○●○●○○●● | ||
昭和37(1962)年3月 | 東張横 | 11勝4敗 | ○○●○○○○○●○●○●○○ | ||
昭和37(1962)年5月 | 西横綱 | 11勝4敗 | ○○●●○○○●○○○○○○● | ||
昭和37(1962)年7月 | 西横綱 | 11勝4敗 | ○○○○○○●○○●○●○○● | ||
昭和37(1962)年9月 | 西横綱 | 11勝4敗 | ○○○○○○○●○○○●○●● | ||
昭和37(1962)年11月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ○○○○○○○○○●●●○○○ | ||
昭和38(1963)年1月 | 西横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和38(1963)年3月 | 西横綱 | 5勝1敗9休 | ○○○○○■休休休休休休休休休 | ||
昭和38(1963)年5月 | 西横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和38(1963)年7月 | 西横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和38(1963)年9月 | 西横綱 | 15勝 | ○○○○○○○○○○○○○○○ | 2 | |
昭和38(1963)年11月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ●○●○○○○●○○○○●○● | ||
昭和39(1964)年1月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ○○○○●○○○○○○○●○● | ||
昭和39(1964)年3月 | 西横綱 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○□○○○○● | ||
昭和39(1964)年5月 | 西横綱 | 11勝1敗3休 | ○○○○○○○○○○○■休休休 | ||
昭和39(1964)年7月 | 西横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和39(1964)年9月 | 東張横 | 4勝2敗9休 | ○○○○●■休休休休休休休休休 | ||
昭和39(1964)年11月 | 東張横 | 2勝4敗9休 | ○●○●●■休休休休休休休休休 | ||
昭和40(1965)年1月 | 西横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和40(1965)年3月 | 西張横 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和40(1965)年5月 | 西張横 | 9勝6敗 | ○●○○●●○○○○●○○●● | ||
昭和40(1965)年7月 | 東張横 | 12勝3敗 | ●○○○●○○○○○○●○○○ | ||
昭和40(1964)年9月 | 東張横 | 12勝3敗 | ●○○○○●○○○●○○○○○ | 3 | 決 |
昭和40(1964)年11月 | 西横綱 | 1勝1敗13休 | ○■休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和41(1966)年1月 | 西張横 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○●○○○○○ | 4 | |
昭和41(1966)年3月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ○○●○○○○○○○●○●●● | ||
昭和41(1966)年5月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ○○○○●○○○○○○●○○● | ||
昭和41(1966)年7月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ○○○○○○●○○○●○○○● | ||
昭和41(1966)年9月 | 西横綱 | 13勝2敗 | ○○○○○○○○□○○●○●○ | 決 | |
昭和41(1966)年11月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ○○●○○●○○○●○○○●● | ||
昭和42(1967)年1月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ○○○○●○○○○○○○●○● | ||
昭和42(1967)年3月 | 東張横 | 11勝4敗 | ○○●○○●○○○○●○○○● | ||
昭和42(1967)年5月 | 西横綱 | 13勝2敗 | ○●○○○○●○○○○○○○○ | ||
昭和42(1967)年7月 | 西横綱 | 14勝1敗 | ○●○○○○○○○○○○○○○ | 5 | |
昭和42(1967)年9月 | 東横綱 | 9勝6敗 | ○●○●○○○○○○●○●●● | ||
昭和42(1967)年11月 | 東張横 | 11勝4敗 | ○○○○○●○○●○●○○●○ | ||
昭和43(1968)年1月 | 東張横 | 9勝6敗 | ○○●○●○○○○○●○●●● | ||
昭和43(1968)年3月 | 西横綱 | 9勝6敗 | ○●●○○○●○○○●○●○● | ||
昭和43(1968)年5月 | 東横綱 | 4勝4敗7休 | ○○●○□●●■休休休休休休休 | ||
昭和43(1968)年7月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ●○○○○○●●○○●○●○○ | ||
昭和43(1968)年9月 | 東横綱 | 9勝6敗 | ●●○○○○●○○○○●●○● | ||
昭和43(1968)年11月 | 西横綱 | 11勝4敗 | ○○○○○○○○○○○●●●● | ||
昭和44(1969)年1月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ○●○○○○○○○○●○●●● | ||
昭和44(1969)年3月 | 西横綱 | 9勝6敗 | ○○○●○○○○●●○●●○● | ||
昭和44(1969)年5月 | 東横綱 | 9勝6敗 | ●○○●○○○○○●○●●○● | ||
昭和44(1969)年7月 | 西横綱 | 1勝3敗 | ○●●■ | ||
幕内通算成績 66場所 599勝240敗140休 勝率7割1分4厘 優勝5回 殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞4回 |
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