鬼面山谷五郎 |
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■鬼面山谷五郎■陣幕久五郎のライバル (RANKING 18位) |
鬼面山 谷五郎(きめんざん たにごろう) |
本名・田中 新一〜出身地・岐阜県〜身長186cm、体重140kg |
生没年月日・文政9(1826)年?−明治4(1871)年7月23日 |
最高位・大関(横綱免許) |
■コメント |
鬼面山谷五郎(きめんざん・たにごろう)は、陣幕久五郎とともに一時代を築いた強豪です。 ▼履歴 鬼面山谷五郎は、嘉永5(1852)年閏2月に武隈の門から江戸で濱碇の名で初土俵を踏みます。 6年2月には弥高山に改名、安永4(1857)年正月に入幕すると鬼面山に改名します。 入幕の頃に徳島(阿波)藩に抱えられ、陣幕久五郎、大鳴門灘右エ門、虹ヶ嶽杣右エ門とともに「阿波四天王」と呼ばれました。 慶応3(1867)年4月7日目に「元・徳島藩抱えで松江藩を経て薩摩藩の抱えとなった」陣幕と「徳島藩抱え」鬼面山のかつての「阿波四天王」同士の対決が実現しますが、徳島藩が短期間に抱えが変わった陣幕に対し嫌悪感を持っていた背景もあり、お互いの藩が殺気立つ異様な盛り上がりを見せました。 この勝負は水入り2回の末に引き分けとなっています。 守りを固めて「負けない相撲」を目指した陣幕に対し、鬼面山は勢いにまかせる攻撃的な「勝つ相撲」を取りました。 鬼面山谷五郎は、陣幕久五郎のライバルといってよいでしょう。 勢いにまかせる相撲のため、ライバル・陣幕と比較して取りこぼしが多かったといわれますが、本人は「勝負は時の運」と意に介していなかったようです。 明治2(1869)年2月に横綱免許を受けています。この時43歳で最高齢の横綱免許です。 古武士を思わせる風貌と温厚な性格で知られ、稽古上がりにアサリを200文買ってちゃんこにするのを何よりも楽しみにしていたといわれます。 ▼ライバル ライバルとしては前述の「因縁」のあった陣幕久五郎と同時代に横綱免許を受けた不知火光右エ門をライバルとして挙げました。 (対戦成績は鬼面山から見ています) 陣幕久五郎 島根県出身、身長174cm、体重138kg 幕内通算成績 19場所 87勝5敗17分3預65休 勝率9割4分6厘 優勝相当5回 最高位・大関(横綱免許) 幕内でわずか5敗の古今の強豪で「負けず屋」といわれました。 陣幕久五郎についての更なる詳細は、史上最強力士RANKING内の陣幕久五郎を参照 対戦成績 1分 分 不知火光右エ門 福岡県出身、身長177cm、体重120kg 幕内通算成績 27場所 119勝35敗15分9預77休 勝率7割7分3厘 優勝相当3回 最高位・大関(横綱免許) 対戦成績 8勝5敗2分1預 ●●○○●●○分○預○●分○○○ |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
安政4(1857)年正月 | 東前7 | 4勝3敗1休 | ○●○○休●●○ | ||
安政4(1857)年11月 | 東前4 | 6勝2敗2休 | ○○○休●○●○○休 | ||
安政5(1858)年正月 | 東前2 | 8勝2休 | 休○○○○○○○○休 | (1) | |
安政5(1858)年11月 | 東前4 | 中止 | 中止 | ||
安政6(1859)年正月 | 東小結 | 8勝1預1休 | ○○○預○○○○○休 | (2) | |
安政6(1859)年11月 | 東小結 | 6勝2敗2休 | ○○○○○●○●休休 | ||
万延元(1860)年3月※ | 東小結 | 8勝1敗1休 | ○○○○●○○○○休 | ||
万延元(1860)年10月 | 東小結 | 6勝1休 | ○○○○休○○ | (3) | |
万延2(1861)年2月 | 東小結 | 3勝1敗1預5休 | 休預●○○○休休休休 | ||
文久元(1861)年10月 | 東小結 | 6勝1敗3休 | ○○○●休○休○○休 | ||
文久2(1862)年3月 | 東小結 | 6勝1敗1分2休 | ○○○●○○分休○休 | ||
文久2(1862)年11月 | 東関脇 | 6勝3敗1休 | ○○●○●○○○●休 | ||
文久3(1863)年7月 | 東関脇 | 7勝1分1預1休 | ○○○○分○○預○休 | (4) | |
文久3(1863)年11月 | 東関脇 | 7勝2分 | ○○○○○分○分○ | (5) | |
元治元(1864)年4月 | 東関脇 | 5勝2分3休 | ○○休分分○○○休休 | ||
元治元(1864)年10月 | 東関脇 | 5勝3敗2休 | ○○●●○○●休○休 | ||
元治2(1865)年2月 | 東関脇 | 5勝2敗1預2休 | ○○●○○○●預休休 | ||
慶応元(1865)年11月 | 東大関 | 4勝3分1預2休 | ○○預○○分分休分休 | ||
慶応2(1866)年3月 | 東大関 | 7勝1分1預1休 | ○○○○○○預分○休 | (6) | |
慶応3(1867)年4月 | 東張出 | 5勝3分1預1休 | ○○分○○預分分○休 | ||
慶応3(1867)年11月 | 東張出 | 4勝1分5休 | ○○○○分休休休休休 | ||
慶応4(1868)年7月 | 西大関 | 1勝2敗1預6休 | 休休休休○預●●休休 | ||
明治元(1868)年11月 | 西大関 | 9勝1休 | ○○○○○○○○○休 | (7) | |
明治2(1869)年4月 | 西大関 | 7勝2敗1休 | ○○○●○○○●○休 | 横綱 | |
明治2(1869)年11月 | 西大関 | 6勝2分2休 | ○○○○○○分休分休 | ||
明治3(1870)年4月 | 西大関 | 4勝1敗5休 | ○○●○○休休休休休 | ||
明治3(1870)年11月 | 西大関 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
幕内通算成績 27場所 143勝24敗16分8預63休 勝率8割5分6厘 優勝相当7回 | |||||
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