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レスター・ピゴット
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■レスター・ピゴット■
レスター・ピゴット(イギリス)
生没年月日・1935年11月5日−
所属・イギリス
騎手通算勝利・5300勝(イギリス国内のみで4493勝)
■コメント
■レスター・ピゴット(英ダービー9勝、イギリスクラシック30勝)

レスター・ピゴットは、イギリスの(平地)リーディングジョッキー11回、通算5300勝(イギリス国内のみで4493勝)、イギリスクラシック30勝などを挙げました。

英ダービー9勝(最多勝)をしている偉大な騎手です。


■履歴
▼騎手になるまで
父親が調教師をしており、4歳から乗馬に親しみます。

▼現役時代
12歳で騎手デビューすると、2年後の1959年に初重賞勝利を挙げ、見習騎手チャンピオン

「ワンダー・ボーイ」「ゴードン・リチャーズの再来」といわれ、1954年にネヴァーセイダイで18歳で英ダービー初勝利・・・

19歳の時、名調教師・ソエル・マーレスの主戦騎手となります。

1959年に英オークス制覇

マーレスの主戦騎手を離れた後は、名伯楽・ヴィンセント・オブライエンとのコンビでイギリス3冠馬・ニジンスキーなどに騎乗し、数々の大レースを制覇します。

ピゴットは1960年に初めてリーディングに輝くと、1964年から1971年まで8年連続リーディング

ピゴットは、特に主婦に人気があり、競馬人気に貢献しました。

ピゴットは、騎手としては173センチと長身のため、現役中は、常に減量に苦しみました。

新しい騎乗スタイルを開発し、この騎乗スタイルで1960年代を席巻しました。

1972年から騎乗数を制限し、リーディングから遠ざかります。

1980年代になると、オブライエンから離れ、ヘンリー・セシル厩舎の主戦騎手となります。

1981年・1982年に再びリーディングに

しかしトラブルもあり、1984年にセシルから離れます。

1985年に騎手を引退し、調教師となるも1987年に脱税で3年の服役の判決

騎手時代に授与された大英勲章第4号(OBE)を剥奪されるなど
(この勲章で「サー」の称号も与えられたのだが・・・)

1年服役後、仮出所し、1990年に騎手復帰でブリーダーズカップ・マイルを制覇・・・(仮出所後わずか10日!!)

1992年には英2000ギニー、愛2000ギニーを制覇

1995年9月に再び引退します。


■総評
18歳の時、英ダービーを初制覇し、英ダービー9勝、イギリスクラシック30勝などをほこる20世紀を代表する騎手の一人です。

特にオブライエンとのコンビで数々の大レースを制覇した印象が強いですね。


・主な各国クラシック勝利
イギリスクラシック30勝
フランスクラシック8勝
アイルランドクラシック16勝

・4大陸、35ヶ国で勝利した国際派ジョッキー

・ピゴットの主な騎乗馬
ニジンスキー(イギリス3冠=英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー、キングジョージY&クイーンエリザベスSなど)
アレッジド(凱旋門賞2回)
ダリア(キングジョージY&クイーンエリザベスS2回など)
サーアイヴァー(英2000ギニー、英ダービーなど)
ザミンストレル(英ダービー、愛ダービー、キングジョージY&クイーンエリザベスSなど)




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