舞の海秀平 |
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舞の海秀平■■技のデパート(本店) |
舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい) |
本名・長尾秀平〜出身地・青森県〜身長170センチ、体重97kg |
生没年月日−1968年2月17日− |
最高位・小結 |
■コメント |
舞の海秀平(まいのうみ・しゅうへい)は、身長170センチ、体重97キロの小柄な体格ながら多彩な技を駆使し、「技のデパート(本店)」「平成の牛若丸」といわれた力士。 〜小よく大を制す〜勝負脳の磨き方 小よく大を制すを体現してきた舞の海の「勝負脳」の磨き方 ▼生誕から現役力士時代 1968年年2月17日に青森県で生まれます。 アマチュアでは、中学・高校・大学と相撲部で活躍しました。(大学は相撲の名門・日大) 山形県の高校教員採用試験(社会科)に合格していましたが、一転して大相撲入りを目指します。 出羽海部屋へ入門。当時の日本相撲協会の体格基準に満たず、1度不合格の後、手術でシリコンを頭に埋め、身長を高くし合格します。 (しかし以後、舞の海と同じ方法を施した受験者が数人出たが、健康上の理由から上記の方法は禁止に) (その代わり、幕下付け出しは体格不問となったり、身長基準などをゆるめた「第二新弟子検査」が新設されたりと小柄な力士志願者の門戸の拡大につながる) (舞の海以前にもシリコンを注入した者あり) 1990年5月に学生時代の全日本相撲選手権ベスト32の実績が認められ、幕下付け出しで初土俵。 負け越しを経験せず、1991年9月に新入幕。 史上初めて新入幕から2場所連続技能賞。 「猫騙し」「後退する立ち合い」「くるくる舞の海」「八艘跳び」など多彩な奇手を用い、「三所攻め」「居反り・襷反り(技は成功せず)」など四十八手を駆使した取り口を見せる。 通算では5回の技能賞に輝く。 しかし1996年7月の小錦戦で大ケガをし、その場所を休場し十両陥落。(翌場所も十両で休場) 1度幕内に復帰するも、再び十両陥落、1999年11月に翌場所の幕下陥落が濃厚となり、現役引退。 ▼現役引退後 現役引退後は、相撲界に残らず、タレントに転進、NHK相撲解説、スポーツキャスターなどで活躍しています。 テレビでは言えない大相撲観戦の極意 大相撲観戦の楽しみ方を舞の海が書き綴る ■鋭くない立ち合い 相撲では、立ち合いに頭などで当たる「鋭い立ち合い」が求められることが一般的ですが、舞の海はしばしば「鋭くない立ち合い」をし、いろいろな奇手、技を駆使しました。 これは増位山太志郎のふわっとした立ち合いと似た部分を感じます。 増位山(太志郎)も舞の海もどちらも技を駆使する力士でした。 ■技のデパート本店 他の力士が珍しい決まり手で勝つと舞の海の「技のデパート」にちなみ「技のデパート○○支店」といったりいわれたりすることがありました。 (例:モンゴル出身の旭鷲山が「技のデパートモンゴル支店」) (舞の海は「技のデパート本店」) |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
平成3(1991)年9月 | 西前12 | 8勝7敗 | 技 | ||
平成3(1991年)11月 | 東前9 | 8勝7敗 | 技 | ||
平成4(1992)年1月 | 東前7 | 4勝11敗 | |||
平成4(1992)年3月 | 東前15 | 9勝6敗 | |||
平成4(1992年)5月 | 東前8 | 6勝9敗 | |||
平成4(1992)年7月 | 東前11 | 8勝7敗 | |||
平成4(1992)年9月 | 東前6 | 7勝8敗 | |||
平成4(1992)年11月 | 西前7 | 4勝11敗 | |||
平成5(1993)年1月 | 東前16 | 9勝6敗 | |||
平成5(1993)年3月 | 西前11 | 6勝9敗 | |||
平成5(1993)年5月 | 東前15 | 10勝5敗 | |||
平成5(1993)年7月 | 西前6 | 4勝11敗 | |||
平成5(1993)年9月 | 東前14 | 9勝6敗 | 技 | ||
平成5(1993)年11月 | 東前8 | 6勝9敗 | |||
平成6(1994)年1月 | 東前12 | 8勝7敗 | |||
平成6(1994)年3月 | 西前7 | 6勝9敗 | |||
平成6(1994)年5月 | 東前12 | 9勝6敗 | 技 | ||
平成6(1994)年7月 | 東前4 | 9勝6敗 | 技 | ||
平成6(1994)年9月 | 東小結 | 2勝13敗 | |||
平成6(1994)年11月 | 東前8 | 8勝7敗 | |||
平成7(1995)年1月 | 西前3 | 4勝11敗 | |||
平成7(1995)年3月 | 東前9 | 6勝9敗 | |||
平成7(1995)年5月 | 西前12 | 9勝6敗 | |||
平成7(1995)年7月 | 東前6 | 5勝10敗 | |||
平成7(1995)年9月 | 西前11 | 8勝7敗 | |||
平成7(1995)年11月 | 西前6 | 4勝11敗 | |||
平成8(1996)年1月 | 東前15 | 8勝3敗 | |||
平成8(1996)年3月 | 西前6 | 6勝9敗 | |||
平成8(1996)年5月 | 西前9 | 7勝8敗 | |||
平成8(1996)年7月 | 西前11 | 2勝1敗12休 | |||
平成9(1997)年5月 | 東前15 | 9勝6敗 | |||
平成9(1997)年7月 | 東前9 | 5勝10敗 | |||
平成9(1997)年9月 | 東前14 | 8勝7敗 | |||
平成9(1997)年11月 | 東前9 | 5勝10敗 | |||
平成10(1998)年1月 | 西前14 | 9勝6敗 | |||
平成10(1998)年3月 | 西前10 | 5勝10敗 | |||
幕内通算成績 36場所 241勝287敗12休 勝率4割5分6厘 技能賞5回 |
舞の海秀平 |