笠智山勝一 |
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■笠置山勝一■打倒双葉山の参謀 |
笠置山勝一(かさぎやま かついち) |
本名・仲村勘治〜出身地・奈良県〜身長173cm、体重101kg |
生没年月日−1911年1月7日−1971年8月11日 |
最高位・関脇 |
■コメント |
笠置山勝一(かさぎやま・かついち)は、当時としては珍しい大学出身力士(早大出身)で、双葉山定次が連勝を重ねると、出羽海部屋では双葉山の連勝を止めるべく「打倒・双葉山」の対策・研究に明け暮れる日々が続いた その作戦参謀に早大出身のインテリ力士・笠置山が就いた 笠置山は打倒・双葉の戦略・戦術を練り、雑誌「改造」に「横綱双葉山論」として双葉山に勝利するための対策を論文にして寄稿した この成果は1939年1月場所4日目に自らが研究し、授けた作戦によって安芸ノ海節男が連勝を69で止めたことで名を挙げた 研究によって双葉山の右目が失明状態であることを突き止め、双葉山の右足を狙ってすくい投げ、または外掛けで倒すとの作戦だった 実際に双葉山の連勝を止めたのは安芸ノ海の左外掛けだった だが、作戦を考えた笠置山自身は本場所で一度も勝てなかった ただし、双葉山と同部屋の「立浪3羽烏」の双葉山以外の羽黒山政司、名寄岩静男には強かった 1944年1月場所で羽黒山から金星獲得 現役時代は、笠置山自身は双葉山に本場所で1度も勝てなかったが「打倒・双葉山」の作戦参謀として安芸ノ海に作戦を授け見事に双葉山の69連勝を止めた 現役引退後は、今度は双葉山の時津風理事長の片腕の参謀として活躍 アナウンサー顔負けの語り口で物言い協議の場内説明役を担当 頭脳明晰で決まり手70手の制定、公認相撲規則の条文化などを行った 文才もあり、小説、随筆、相撲評論なども書いた ▼履歴 1911年1月7日に奈良県に生まれます。 幼少の頃から相撲に親しみ、出羽海部屋と縁があったが、大学卒業まではプロ入りしない約束でアマで活躍 ところが、春秋園事件でプロ入り 1932年2月場所に幕下付け出しで初土俵 1933年1月場所に新十両 1935年1月場所に11戦全勝で十両優勝し、同年5月場所に新入幕 三役は通算3度務めたが、いずれも10敗で1場所で平幕に降格 最高位・関脇 双葉山が連勝を重ねると、前述のように出羽海部屋の「打倒双葉」の作戦参謀となり安芸ノ海が双葉山の連勝を止めた作戦を授け名を挙げた しかし笠置山自身は本場所で双葉山に1度も勝てなかった 現役引退後は、年寄・秀の山を襲名 前述のように双葉山の時津風理事長の参謀として活躍 1971年8月11日に死去、60歳没 相撲襍記 評論と小説 文才に秀でた笠置山勝一の相撲に関する評論と小説 ▼エピソード 現役時代から英字新聞を読み、小説、随筆、相撲評論を書くなど文才があった 笠置山は前述のように本場所では1度も双葉山に勝てなかった(17戦全敗)が、後日、双葉山から「勘ちゃん(笠置山の本名)は頭で勝とうとするからダメなんだよ」とからかわれたという 1960年12月には日本相撲協会が財団法人化35周年を記念した式典が行われ、時津風理事長へ挨拶状を手渡すことになっていたが、事務室に置き忘れたために慌てて取りに戻る一幕もあった |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
昭和10(1935)5月 | 西前9 | 8勝3敗 | |||
昭和11(1936)1月 | 東前2 | 5勝6敗 | |||
昭和11(1936)5月 | 東前3 | 6勝5敗 | |||
昭和12(1937)1月 | 西関脇 | 1勝10敗 | |||
昭和12(1937)5月 | 西前4 | 6勝7敗 | |||
昭和13(1938)1月 | 西前4 | 5勝8敗 | |||
昭和13(1938)5月 | 西前5 | 9勝4敗 | |||
昭和14(1939)1月 | 東前1 | 6勝7敗 | |||
昭和14(1939)5月 | 西前3 | 9勝6敗 | |||
昭和15(1940)1月 | 西前2 | 9勝6敗 | |||
昭和15(1940)5月 | 西前1 | 8勝7 敗 | |||
昭和16(1941)1月 | 東前1 | 10勝5敗 | |||
昭和16(1941)5月 | 東小結 | 5勝10敗 | |||
昭和17(1942)1月 | 西前3 | 10勝5敗 | |||
昭和17(1942)5月 | 西張関 | 5勝10敗 | |||
昭和18(1943)1月 | 東前3 | 8勝7敗 | |||
昭和18(1943)5月 | 西前1 | 6勝9敗 | |||
昭和19(1944)1月 | 東前3 | 9勝6敗 | 金 | ||
昭和19(1944)5月 | 西前1 | 3勝7敗 | |||
昭和19(1944)11月 | 西前6 | 3勝7敗 | |||
昭和20(1945)6月 | 東前9 | 3勝4敗 | |||
昭和20(1945)11月 | 東前11 | 10休 | |||
幕内通算成績 22場所 134勝139敗10休 勝率4割9分1厘、金星1個 |
笠置山勝一 |