幡瀬川邦七郎 |
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■幡瀬川邦七郎■相撲の神様 |
幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう) |
本名・大野邦七郎(旧姓・佐藤)〜出身地・秋田県〜身長173cm、体重86kg |
生没年月日−1905年6月1日−1974年5月12日 |
最高位・関脇 |
■コメント |
幡瀬川邦七郎(はたせがわ・くにしちろう)は、わずか身長173センチ、体重86キロの体格ながら抜群の運動神経を持ち、「相撲の神様」とうたわれました。 技能力士であり、当時三賞制度があれば「技能賞」を多く獲得していたかもしれません。 能弁であり、独特の技術論で解説や評論を行っていました。 ▼履歴 1905年6月1日に秋田県に生まれます。 幼少の頃から運動神経は抜群で1922年5月に同郷の清瀬川のいる楯山部屋より初土俵を踏みます。 部屋の所属は清瀬川の引退・伊勢ヶ濱襲名後から伊勢ヶ濱部屋になります。 上記の体格ながら肩幅が広く柔軟な身体・抜群の運動神経で幕内上位で活躍しました。 平蜘蛛仕切りで立ち、変幻自在の技を駆使し、特に出し投げからの小またすくいは抜群の切れ味を見せ、警戒していても食らうほどでした。 横綱・男女ノ川に大関時代に3連勝(通算対戦成績は3勝3敗)したこともあります。 「相撲の神様」の異名のきっかけとなった当時「相撲の神様」といわれていた大ノ里との対戦では6勝3敗と勝ち越しました。 幡瀬川が大ノ里に勝ち、新たな「相撲の神様」と呼ばれます。 稽古熱心でありながら心臓病を患って以降は四股すら踏まず、いつも本場所の一番相撲に懸けていたが、それでも勝利したことで「神様」の名を高めたともいえます。 1940年1月場所後に現役引退。 引退後は伊勢ヶ濱部屋の隆盛に貢献。 定年前の1968年に相撲評論家に転進、独特の技術論で解説や評論を行いました。 1974年5月12日死去。 享年68歳。 ▼ライバル ともに「相撲の神様」とうたわれた幡瀬川邦七郎と大ノ里萬助 大ノ里萬助を挙げます 大ノ里萬助 身長164センチ、体重97キロ 幕内通算成績 217勝147敗6分4預22休 勝率5割9分6厘 37場所 金星2個 最高位・大関 小柄な身体ながら卓越した技術を駆使した名大関 対戦成績 ○○●○●●○○○ 6勝3敗(対戦成績は幡瀬川から見てです) 大ノ里についての更なる詳細は、個性派力士内の大ノ里萬助を参照 |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
昭和3(1928)3月 | 東前10 | 7勝4敗 | |||
昭和3(1928)5月 | 東前13 | 6勝3敗2休 | |||
昭和3(1928)10月 | 東前13 | 7勝4敗 | |||
昭和4(1929)1月 | 西前3 | 4勝7敗 | |||
昭和4(1929)3月 | 西前3 | 2勝5敗4休 | |||
昭和4(1929)5月 | 西前9 | 6勝5敗 | |||
昭和4(1929)9月 | 西前9 | 7勝4敗 | |||
昭和5(1930)1月 | 西前2 | 5勝6敗 | |||
昭和5(1930)3月 | 西前2 | 2勝9敗 | |||
昭和5(1930)5月 | 東前10 | 6勝5敗 | |||
昭和5(1930)10月 | 東前10 | 6勝5敗 | |||
昭和6(1931)1月 | 東前4 | 8勝3敗 | |||
昭和6(1931)3月 | 東前4 | 6勝5敗 | |||
昭和6(1931)5月 | 西小結 | 8勝3敗 | |||
昭和6(1931)10月 | 西小結 | 4勝7敗 | |||
昭和7(1932)1月 | 東小結 | (春秋園事件のため中止) | (春秋園事件のため中止) | ||
昭和7(1932)2月 | 東関脇 | 3勝5敗 | |||
昭和7(1932)3月 | 東関脇 | 5勝5敗 | |||
昭和7(1932)5月 | 西関脇 | 5勝6敗 | |||
昭和7(1932)10月 | 西関脇 | 5勝6敗 | |||
昭和8(1933)1月 | 西小結 | 3勝8敗 | |||
昭和8(1933)5月 | 東前4 | 6勝5敗 | |||
昭和9(1934)1月 | 東前1 | 8勝3敗 | |||
昭和9(1934)5月 | 西関脇 | 4勝7敗 | |||
昭和10(1935)1月 | 東前3 | 7勝4敗 | |||
昭和10(1935)5月 | 東小結 | 2勝9敗 | |||
昭和11(1936)1月 | 西前6 | 3勝8敗 | |||
昭和11(1936)5月 | 西前14 | 8勝3敗 | |||
昭和12(1937)1月 | 西前3 | 3勝8敗 | |||
昭和12(1937)5月 | 西前8 | 5勝5敗3休 | |||
昭和13(1938)1月 | 西前10 | 8勝5敗 | |||
昭和13(1938)5月 | 東前3 | 2勝11敗 | |||
昭和14(1939)1月 | 東前11 | 4勝9敗 | |||
昭和14(1934)5月 | 西前16 | 6勝7敗2休 | |||
昭和15(1935)1月 | 東前17 | 3勝12敗 | |||
幕内通算成績 35場所 174勝201敗11休 勝率4割6分4厘 |
幡瀬川邦七郎 |