大ノ里萬助 |
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■大ノ里萬助■名人といわれた男 |
大ノ里 萬助(おおのさと まんすけ) |
本名・天内萬助〜出身地・青森県〜身長164cm、体重97kg |
生没年月日−1892年4月1日−1938年1月22日 |
最高位・大関 |
■コメント |
大ノ里萬助(おおのさと・まんすけ)は、小柄な身体ながら相撲の「名人」といわれた技術で、「相撲は小柄な方が得だ」と思わせた男。 「相撲の神様」ともいわれた幡瀬川邦七郎をして「本当の相撲の神様は大ノ里」といわしめたとも 大ノ里はある意味で「神様の神様」ともいえる名人大関だった。 ▼履歴 1892年4月1日に青森県で生まれます。 幼少の頃から相撲好きで、周囲からは小柄な身体から角界入りを反対されたが、若松部屋に入り、1912年1月に初土俵。 小兵ながら、腕力と足腰が強く、1918年5月に新入幕。 この場所は4勝5敗1分と負け越すが番付が上がり、翌場所は8勝1敗1預の好成績・・・ 1920年1月に初金星。 その後は小結、関脇と昇進し、一度平幕に下がるが、1924年5月に好成績で大関昇進。 この間に八甲山とともに部屋を離脱。 八甲山は高島部屋を創設させたが、大ノ里は湊部屋に移籍、その後に出羽海部屋に再移籍した。 小柄ながら卓越した技術で「相撲の神様」とさえいわれ、大ノ里の相撲を見た多くの人に「相撲は小柄ほうが得」とさえ思わせました。 しかしその後は小柄な弱点をつかれ、成績が伸び悩み、1932年1月6日に起きた春秋園事件の盟主として日本相撲協会を脱退。 関西角力協会で土俵を務めた後、1935年に引退。 引退後は苦労から1938年1月22日に満州・大連で客死した。 ▼大ノ里の評価 小柄ながら「名人大関」、「名大関」ともいってよく、人望もあったようだ。 ▼ライバル ともに「相撲の神様」といわれた幡瀬川と大ノ里・・・「神様対決」です。 幡瀬川邦七郎 秋田県出身、身長173センチ、体重86キロ 幕内通算成績 174勝201敗11休 勝率4割6分4厘 35場所 最高位・関脇 抜群の運動神経で、「相撲の神様」とうたわれた。 対戦成績 ●●○●○○●●● 3勝6敗(対戦成績は大ノ里から見てです) 幡瀬川についての更なる詳細は、個性派力士内の幡瀬川邦七郎を参照 |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
大正7(1918)5月 | 東前15 | 4勝5敗1分 | ●●●●●○○分○○ | ||
大正8(1919)1月 | 東前14 | 8勝1敗1預 | ○預○○○●○○○○ | ||
大正8(1919)5月 | 東前5 | 5勝4敗1休 | ○●○休○○●○●● | ||
大正9(1920)1月 | 東前4 | 7勝2敗1分 | ○○●○○○分○○● | 金 | |
大正9(1920)5月 | 西前1 | 2勝8敗 | ●●●○●●●●○● | ||
大正10(1921)1月 | 西前6 | 2勝6敗2預 | ●預●●●●●預○○ | ||
大正10(1921)5月 | 東前9 | 7勝2敗1休 | ●●○○休○○○○○ | ||
大正11(1922)1月 | 東小結 | 6勝3敗1分 | ○○○分●●○○○● | ||
大正11(1922)5月 | 西関脇 | 5勝3敗2分 | ○●●●○○○○分分 | ||
大正12(1923)1月 | 東関脇 | 4勝6敗 | ●●●○○○●●●○ | ||
大正12(1923)5月 | 西前1 | 6勝4敗1預 | ●○○○○預○●●○● | 金 | |
大正13(1924)1月 | 西関脇 | 7勝2敗1分 | ○○●○○○分○○● | ||
大正13(1924)5月 | 東関脇 | 9勝2敗 | ○○○○○○○○○●● | ||
大正14(1925)1月 | 東大関 | 11休 | 休休休休休休休休休休休 | ||
大正14(1925)5月 | 西大関 | 4勝3敗4休 | ●●○○○○●休休休休 | ||
大正15(1926)1月 | 西大関 | 7勝4敗 | ○○○●○●○○○●● | ||
大正15(1926)5月 | 東大関 | 8勝3敗 | ○○○○○○○○●●● | ||
昭和2(1927)1月 | 西大関 | 6勝5敗 | ○○●●○●●○○●○ | ||
昭和2(1927)3月 | 西大関 | 9勝2敗 | ○○○○●○○○●○○ | ||
昭和2(1927)5月 | 西張大 | 6勝5敗 | ○○●○●○○●○●● | ||
昭和2(1927)10月 | 東大関 | 8勝3敗 | ○○○○○●○○●○● | ||
昭和3(1928)1月 | 東張大 | 3勝3敗5休 | 休休休休休●●○○●○ | ||
昭和3(1928)3月 | 西張大 | 8勝3敗 | ○○○○○●○●○●○ | ||
昭和3(1928)5月 | 西張大 | 6勝5敗 | ○○●○○●●●●○○ | ||
昭和3(1928)10月 | 西張大 | 6勝5敗 | ○○○○●●●●●○○ | ||
昭和4(1929)1月 | 東張大 | 6勝5敗 | ○○●○□○●○●●● | ||
昭和4(1929)3月 | 東張大 | 6勝5敗 | ○○○○●●○○●●● | ||
昭和4(1929)5月 | 東張大 | 6勝5敗 | ○●●○○○○●○●● | ||
昭和4(1929)9月 | 東張大 | 7勝4敗 | ●○○●●○●○○○○ | ||
昭和5(1930)1月 | 東大関 | 6勝5敗 | ○●○●●●○○○●○ | ||
昭和5(1930)3月 | 東大関 | 7勝4敗 | ●○●○○○○○○●● | ||
昭和5(1930)5月 | 東大関 | 9勝2敗 | ○●○○○○○○○○● | ||
昭和5(1930)10月 | 東大関 | 6勝5敗 | ●●○○●●○○○○● | ||
昭和6(1931)1月 | 西大関 | 6勝5敗 | ○●○○○●●○○●● | ||
昭和6(1931)3月 | 西大関 | 7勝4敗 | ○○○●○○●●○●○ | ||
昭和6(1931)5月 | 東大関 | 4勝7敗 | ●○●●○○●●●●○ | ||
昭和6(1931)10月 | 東大関 | 4勝7敗 | ●○○●○●○●●●● | ||
昭和7(1932)1月 |
西張大 | 脱退 | |||
幕内通算成績 37場所 217勝147敗6分4預22休 勝率5割9分6厘 金星2個 |
大ノ里萬助 |