増位山太志郎 |
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増位山太志郎■■内掛けと内無双と上手出し投げ |
増位山 太志郎(ますいやま だいしろう) |
本名・沢田昇〜出身地・東京都(大相撲の登録上は兵庫県)〜身長180センチ、体重109kg |
生没年月日−1948年9月16日(戸籍上は同年11月16日)− |
最高位・大関 |
■コメント |
増位山太志郎(ますいやま・だいしろう)は、大関・増位山大志郎の長男。 ふわっとした立ち合い、内掛け、内無双、上手出し投げなどの技を駆使した大関。 大相撲名力士風雲録17−月刊DVDマガジン 三重ノ海 魁傑 旭國 増位山 三重ノ海、魁傑、旭國、増位山の戦いの軌跡を収録 ふわっとした立ち合い、内掛けなどを駆使した最初で最後のチャンスで大関になった増位山太志郎も収録 ▼生誕から現役力士時代 大関・増位山大志郎の長男として東京都の三保ヶ関部屋に生まれます。(ただし、大相撲の登録上は父と同じ兵庫県) 小学生の頃から相撲好きで、強行に父の三保ヶ関部屋に入門します。 1967年1月に初土俵。(横綱・北の湖とは同期になります) 1969年7月に新十両。 1970年3月に新入幕。 負傷などで何度か幕内と十両を往復し、その後は上位に進んでは大負けする繰り返しだったが、徐々に三役に定着し、5度目の三役昇進となった1979年9月から相撲ぶりが目立って良くなり、8勝(技能賞)、11勝(技能賞)、12勝(技能賞)で三役で3場所31勝で「最初で最後の大関昇進のチャンス」を見事にものにし、大関に昇進しました。 (大関昇進は三役で3場所33勝が目安だが、当時は大関は貴ノ花しかおらず、新大関待望もあり、目安もゆるかった) 大関昇進は28歳11ヶ月で当時の最年長。(その後琴光喜に記録を更新される・31歳3ヶ月) 史上初の親子大関。 新大関の場所に途中休場し、いきなりカド番となりますが、8勝7敗でギリギリしのぎ、9勝、9勝の後、3勝12敗と大負け、翌場所は10勝しますが、翌場所の1981年3月に2連勝の後2連敗、翌日不戦敗で現役引退。 ▼現役引退後 現役引退後は、年寄・小野川を襲名し、三保ヶ関部屋の部屋付き親方へ。 父・三保ヶ関の定年退職で三保ヶ関に名跡変更し、部屋を継ぎます。 部屋を継いだ親方としては、名門・日大相撲部の学生相撲出身者を多く入門させて育て、外国人からも把瑠都(入門から途中までは三保ヶ関部屋所属だった)らを育てました。 ■取り口 相撲では、ふわっとした立ち合いで相手の突進をそらし、右でまわしをつかむと、投げや内掛け・外掛け・内無双など多彩な技を繰り出しました。 中でも内掛けと内無双に独特の趣があり、引きずるような上手投げ、上手出し投げも独特でした。 相撲協会では 審判部などを務め、2013年11月に定年退職。 後継者がいないことから三保ヶ関部屋消滅。 演歌歌手として 美声で知られ、現役時代から「そんな女のひとりごと」「そんな夕子にほれました」などのヒット曲を持つプロの演歌歌手。 父も美声で知られ、親子で相撲甚句のレコードを出しています。 その他 他に父と同じく絵の才能があり、二科展に入選しています。 |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
昭和45(1970)年3月 | 西前11 | 7勝8敗 | |||
昭和45(1970)年7月 | 西前12 | 7勝8敗 | |||
昭和46(1971)年3月 | 西前11 | 9勝6敗 | |||
昭和46(1971)年5月 | 西前7 | 9勝6敗 | |||
昭和46(1971)年7月 | 東前2 | 3勝11敗1休 | |||
昭和46(1971)年9月 | 東前11 | 1勝4敗10休 | |||
昭和47(1972)年3月 | 西前13 | 6勝9敗 | |||
昭和47(1972)年9月 | 東前13 | 10勝5敗 | |||
昭和47(1972)年11月 | 西前4 | 9勝6敗 | 技 | ||
昭和48(1973)年1月 | 西小結 | 5勝10敗 | |||
昭和48(1973)年3月 | 西前3 | 5勝10敗 | |||
昭和48(1973)年5月 | 東前10 | 8勝7敗 | |||
昭和48(1973)年7月 | 西前7 | 10勝5敗 | |||
昭和48(1973)年9月 | 東前1 | 6勝9敗 | |||
昭和48(1973)年11月 | 東前5 | 8勝7敗 | |||
昭和49(1974)年1月 | 東前2 | 5勝10敗 | 金 | ||
昭和49(1974)年3月 | 西前7 | 8勝7敗 | |||
昭和49(1974)年5月 | 東前4 | 12勝3敗 | 技、金 | ||
昭和49(1974)年9月 | 東小結 | 5勝10敗 | |||
昭和49(1974)年11月 | 西前4 | 6勝9敗 | |||
昭和50(1975)年1月 | 東前6 | 9勝6敗 | |||
昭和50(1975)年3月 | 東前2 | 8勝7敗 | 金 | ||
昭和50(1975)年5月 | 東前1 | 6勝9敗 | 金 | ||
昭和50(1975)年7月 | 西前4 | 9勝6敗 | |||
昭和50(1975)年9月 | 東前1 | 6勝9敗 | |||
昭和50(1975)年11月 | 東前4 | 6勝9敗 | |||
昭和51(1976)年1月 | 東前7 | 8勝7敗 | |||
昭和51(1976)年3月 | 東前5 | 8勝7敗 | |||
昭和51(1976)年5月 | 東前1 | 5勝10敗 | |||
昭和51(1976)年7月 | 西前5 | 5勝10敗 | |||
昭和51(1976)年9月 | 東前10 | 9勝6敗 | |||
昭和51(1976)年11月 | 東前4 | 6勝9敗 | |||
昭和52(1977)年1月 | 西前7 | 10勝5敗 | |||
昭和52(1977)年3月 | 東小結 | 5勝10敗 | |||
昭和52(1977)年5月 | 東前5 | 8勝7敗 | |||
昭和52(1977)年7月 | 東前2 | 8勝7敗 | |||
昭和52(1977)年9月 | 東前1 | 5勝10敗 | |||
昭和52(1977)年11月 | 西前3 | 4勝11敗 | |||
昭和53(1978)年1月 | 西前9 | 8勝7敗 | |||
昭和53(1978)年3月 | 東前6 | 9勝6敗 | |||
昭和53(1978)年5月 | 東前2 | 8勝7敗 | |||
昭和53(1978)年7月 | 東小結 | 8勝7敗 | |||
昭和53(1978)年9月 | 東関脇 | 8勝7敗 | |||
昭和53(1978)年11月 | 東関脇 | 6勝9敗 | |||
昭和54(1979)年1月 | 東前1 | 6勝9敗 | |||
昭和54(1979)年3月 | 西前3 | 8勝7敗 | |||
昭和54(1979)年5月 | 東前1 | 6勝9敗 | |||
昭和54(1979)年7月 | 東前3 | 8勝7敗 | |||
昭和54(1979)年9月 | 東小結 | 8勝7敗 | 技 | ||
昭和54(1979)年11月 | 西関脇 | 11勝4敗 | 技 | ||
昭和55(1980)年1月 | 東関脇 | 12勝3敗 | 技 | ||
昭和55(1980)年3月 | 東大関 | 3勝5敗7休 | |||
昭和55(1980)年5月 | 西大関 | 8勝7敗 | |||
昭和55(1980)年7月 | 西大関 | 9勝6敗 | |||
昭和55(1980)年9月 | 西大関 | 9勝6敗 | |||
昭和55(1980)年11月 | 西大関 | 3勝12敗 | |||
昭和56(1981)年1月 | 西大関 | 10勝5敗 | |||
昭和56(1981)年3月 | 西大関 | 2勝3敗 | |||
幕内通算成績 59場所 422勝435敗18休 勝率4割9分2厘 技能賞5回、金星4個 |
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増位山太志郎 |