ミホシンザン |
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ミホシンザン、牡、鹿毛、日本生産、日本調教 |
生没年月日・1982年4月16日−2014年12月4日 |
父シンザン 母ナポリジヨオー |
生産者・日進牧場 馬主・堤勘時 |
調教師・田中朋次郎 主戦騎手・柴田政人 |
競走成績・16戦9勝(9−1−4−2) 主な勝利・皐月賞、菊花賞、天皇賞・春 |
■コメント |
ミホシンザンは、1982年に生まれました。 ミホシンザンは、1985年の皐月賞、菊花賞の2冠を制し、さらに1987年の天皇賞・春を制す 16戦全て柴田政人騎手が騎乗 □ミホシンザンを知るおすすめ作品 ■血統 ミホシンザンは、父シンザン母ナポリジヨオー(父ムーテイエ)という血統です 父シンザンは日本の3冠馬でさらに2つの大レースを制し「5冠馬」とも シンザン晩年の産駒で「シンザン最後の最高傑作」といわれることも ■履歴 ▼現役時代 ▽3歳 ソエ(骨髄炎)の影響などで3歳1月にデビューし、デビュー戦快勝 デビューから3戦全勝で、皐月賞に臨み、スクラムダイナに5馬身差で圧勝し、シンザンとの「親子3冠馬」も期待されたが、骨折で日本ダービーには出られず 皐月賞の圧勝と秋に菊花賞を勝ったことから「幻の3冠馬」といわれることもあるが、その年の日本ダービーはミホシンザンの苦手な重馬場で行われ、もし日本ダービーに出でいても勝てなかったとの見方も ちなみに日本ダービーは重馬場が得意なシリウスシンボリが優勝 秋にセントライト記念に出走するが、苦手の不良馬場でタイガーボーイの5着 (タイガーボーイは重馬場が得意) しかし良馬場の京都新聞杯に勝つと、菊花賞も勝ち、2冠馬に 暮れの有馬記念でシンボリルドルフとの対決が注目されたが、シンボリルドルフに完敗の4馬身差の2着 優駿賞の最優秀4歳牡馬と最優秀父内国産馬 ▽4歳 4歳なると、日経賞が苦手の重馬場でチェスナットバレーの6着 再び骨折し、秋に復帰したが、毎日王冠3着、天皇賞・秋がサクラユタカオーの3着、ジャパンカップがジュピターアイランドの3着、有馬記念がダイナガリバーの3着 当年は未勝利ながらJRA賞の最優秀父内国産馬 ▽5歳 5歳になると、天皇賞・春まで3戦全勝 天皇賞・春は、ニシノライデンの追撃をハナ差でしのぎ優勝 ニシノライデンは斜行で3位入線のアサヒエンペラーの進路妨害で失格 アサヒエンペラーが繰り上がり2着 この天皇賞・春を最後に現役引退 当年はJRA賞で、年度代表馬のサクラスターオーをさしおき最優秀父内国産馬 競走成績・・・ 3歳 新馬1着、水仙賞1着、スプリングS1着、皐月賞1着、セントライト記念5着、京都新聞杯1着、菊花賞1着、有馬記念2着 4歳 日経賞6着、毎日王冠3着、天皇賞・秋3着、ジャパンカップ3着、有馬記念3着 5歳 AJC杯1着、日経賞1着、天皇賞・春1着 ▼現役引退後 現役引退後、種牡馬となったが、NHK杯などのマイシンザン、愛知杯のグランドシンザンを出した程度 2002年に種牡馬を引退、2014年に死亡 □ミホシンザンを知るおすすめ作品 |
■3代血統図 |
Nearco5×5、Gainsborough5×5 |
シンザン 1961 鹿毛 |
*ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | ||
Sonibai | ||||
ハヤノボリ 1952 鹿毛 |
ハヤタケ | |||
第五バツカナムビユーチー | ||||
ナポリジヨオー 1975 栗毛 |
*ムーテイエ Moutiers 1958 栗毛 |
Sicambre | ||
Ballynash | ||||
*タイタイ Tai−Tai 1969 栃栗毛 |
Will Somers | |||
Anneiv | ||||
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