サクラユタカオー |
ホーム>>>スタディ>>>競馬>>>世界の競走馬・日本の競走馬>>>サ ■サクラユタカオー■毎日王冠・天皇賞・秋の連続レコード勝ち |
サクラユタカオー、牡→セン、栗毛、日本生産、日本調教 |
生没年月日・1982年4月28日−2010年11月23日 |
父テスコボーイ 母アンジェリカ |
生産者・藤原牧場 馬主・(株)さくらコマース |
調教師・境勝太郎 主戦騎手・小島太、岩元市三 |
競走成績・12戦6勝(6−1−0−5) 主な勝利・天皇賞・秋 |
■コメント |
サクラユタカオーは、1982年に生まれに生まれました。 サクラユタカオーは、母系が名門・スターロッチ系の名門だが、「栗毛のテスコボーイ産駒は成功しない」とのジンクスがあり、関係者は落胆した しかし、結果的に、天皇賞・秋の日本レコード勝ちなど3度のレコード勝ちで2000メートル前後で活躍し豊かなスピードを示す □サクラユタカオーを知るおすすめ作品 ■血統 サクラユタカオーは、父テスコボーイ母アンジェリカ(父ネヴァービート)という血統です。 父テスコボーイは、5度リーディングサイヤーになった大種牡馬 母系は名門スターロッチ系で、サクラユタカオーの半兄には、快速馬・1981年優駿賞最優秀スプリンターのサクラシンゲキのいる良血 近親に、皐月賞・菊花賞を勝ったサクラスターオーがいる ■履歴 ▼現役時代 ▽2歳 1984年の2歳(当時は馬齢旧表記、3歳)10月にデビューし、新馬→万両賞と2戦2勝で2歳戦を終える ▽3歳 年が明け、1985年は重賞の共同通信杯4歳ステークス(当時は馬齢旧表記、現在の3歳)に勝ち、クラシックの有力候補となるが、骨折で春のクラシックシーズン全休 秋に、京都新聞杯で復帰し、ミホシンザンの4着、菊花賞もミホシンザンの4着 年末のダービー卿チャレンジトロフィーがスズパレードの2着 その後、脚部不安で休養 ▽4歳 年が明け、大阪杯優勝で復帰し、天皇賞・春がクシロキングの14着と大敗 秋に、毎日王冠でレコード勝ちすると、天皇賞・秋が日本レコード勝ち ジャパンカップは、ジュピターアイランドの6着 有馬記念がダイナガリバーの6着で現役引退 この年は、優駿賞最優秀5歳以上牡馬(馬齢旧表記) ▼現役引退後 引退後、種牡馬になると、重賞勝ち馬を多く出し、スプリンターズステークス2回のサクラバクシンオーなどのG1馬を出し、オークス馬・ウメノファイバーというクラシック馬も出し成功 母の父としてもロジック(NHKマイルカップ)などを出した 主な産駒・・・ サクラバクシンオー(スプリンターズステークス2回など) サクラキャンドル(エリザベス女王杯など) エアジハート(安田記念、マイルチャンピオンシップなど) ウメノファイバー(オークスなど) メルシータカオー(中山大障害) など 母の父として・・・ タムロチェリー(阪神ジュベナイルフィリーズなど) ロジック(NHKマイルカップ) クイーンオブマンテ(エリザベス女王杯) など 受胎率が大幅に低下し、2000年の種付けを最後に種牡馬を引退 去勢し、セン馬に 2010年11月23日死亡 ■評価 豊かなスピードと脚部不安を伝える 重馬馬は苦手 調教師の境は「私が手がけた馬で最も強い馬はサクラローレルだと思うが、2000(メートル)の良馬場という条件つきなら、あるいは(サクラ)ユタカオーの方が強いかもしれない」という主旨の発言 □サクラユタカオーを知るおすすめ作品 |
*テスコボーイ Tesco Boy イギリス 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift イギリス 1958 鹿毛 |
Nasrullah | ||
Blue Gem | ||||
Suncourt アメリカ 1952 黒鹿毛 |
Hyperion | |||
Inquisition | ||||
アンジェリカ 1970 黒鹿毛 |
*ネヴァービート Never Beat アメリカ 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | ||
Bridge Elect | ||||
スターハイネス 1970 黒鹿毛 |
*ユアハイネス Your Highness |
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スターロツチ | ||||
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