大リーグ史上最高の投手は?2 |
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■大リーグ史上最高の投手は?2■ 野球の大リーグ史上最高の投手は誰かと問われたら、私は生涯のほとんどを二グロリーグなどで活躍したサチェル・ペイジを挙げますが、サチェル・ペイジは、全盛期を二グロリーグで活躍したので、正確には「史上最高の投手」というべきかもしれません。 大リーグで活躍した大リーグ史上最高の投手といえば、大リーグ史上1位の511勝(敗戦も大リーグ史上1位の316敗)を挙げたサイ・ヤングかもしれません。 ニックネームの「サイ」は、「サイクロン」(台風)のようにうなりをあげる速球を投げていたことによります。 入団2年目の1891年から1909年まで19年連続10勝以上、20勝以上15回、30勝以上5回を記録しています。 1937年に野球殿堂入り。 ■履歴 ▼生い立ち 1867年3月29日にアメリカ・オハイオ州のギルモアに生まれたヤングは、6年生までで、学校をやめ、両親の所有する農場を手伝っていましたが、野球との出会いもあり、ピッチング練習も始め、野球と関わりながら、腕をみがき、1884年頃にはオハイオのセミプロチームに参加するようになります。 結婚を期に野球で生計を立てようと、1890年にトライステート・リーグのカントン球団に参加。 (15勝15敗の成績を挙げる) ▼スパイダース時代 同じ年の1890年にクリーブランド・スパイダースに入団します。 1年目(1890年)こそ9勝7敗でしたが、2年目(1891年)27勝22敗、3年目(1892年)36勝12敗・防御率1.93で、最多勝と最優秀防御率・・・ その後も毎年50試合ぐらい登板し、400イニング前後を投げ、20勝以上をしました。 1895年は35勝10敗で最多勝、1896年は28勝で140奪三振の奪三振王、1897年はノーヒットノーラン・・・ 結局スパイダース時代(1890年〜1898年)は、1年目を除き、毎年20勝以上挙げました。 ▼セントルイスからボストンへ 1899年にセントルイス・パーフェクトズに移籍し、移籍1年目は26勝、移籍2年目はケガもあり19勝にとどまりました。 1900年は、セントルイス・カージナルスに球団名が変更・・・ 1901年にボストン・アメリカンズ(レッドソックス)に移籍・・・ 1901年から1903年まで3年連続最多勝(33勝・32勝・28勝)・・・ 1901年は防御率1.62・158奪三振で最優秀防御率・奪三振王も獲得、いわゆる投手3冠(最優秀防御率・最多勝・奪三振王)・・・ ボストン・アメリカンズ(レッドソックス)時代(1901年から1907年はアメリカンズ・1908年はレッドソックス)は、8年間で毎年10勝以上、20勝以上4回、30勝以上2回・・・ 1904年5月5日、ア・リーグ初の完全試合・・・ 1907年選手兼任で監督(リーグ7位)・・・ 1908年に自身3回目(完全試合を含む)のノーヒットノーラン・・・ ▼クリーブランドからボストンへ 1909年にクリーブランド・ナップスに移籍し、19勝を挙げますが、これが最後の10勝以上で、ナップスには1911年シーズン途中まで在籍・・・ 1911年シーズン途中からボストン・ラスラーズに移籍し、この年で現役を引退します。 ▼現役引退後 現役引退後は、しばらく農場を営んでいましたが、1934年に妻が死去し農場を売った後は経済的に恵まれなかったようです。 1937年にアメリカ野球殿堂入り。 1955年に88歳で死去。 ヤング死去の翌年に彼の業績を称えてサイ・ヤング賞を制定しました。 ■生涯成績 通算22年・511勝316敗、2803奪三振、防御率2.63。 ノーヒットノーラン3回(完全試合1回を含む)。 ヤングは、故障のほとんどないタフネスぶりで、数々の大リーグ記録を作りましたが、511勝の勝ち星は凄いと思います。 ヤングは打者としても優秀で、1896年は打率2割8分9厘・3本塁打、1898年4月20日には1試合2本塁打、1903年には打率3割2分1厘、通算でも18本塁打、29盗塁を記録しています。 関連記事:いろいろなスポーツの主要記録(野球の項目を参照) 関連記事:サイ・ヤング(本記事に、加筆・一部修正した記事です) |
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